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2013年8月7日水曜日

メディア業界狂騒戯曲「ネットワーク」

  「ワタシはテレビの前で自殺する事を予告する」から、「テレビなんて全て幻想である、さっさとTVを消すのだ」・・・。

 シドニー・ルメット監督の傑作「ネットワーク」で、主人公で大手メディアUBSの報道番組で主人公であり、長年ニュースキャスターを務めてきたハワード・ビール。

 報道業界に携わる人々は、視聴率競争や収益確保、製作者側の野心によって、全員気が狂ってるぜ・・・という報道業界風刺映画が「ネットワーク」です。

 いきなり始まりがナレーションから始まり、ハワード・ビールが番組で「私は公開自殺する」なんて言い放つ。もちろん、他のメディアも、その発言を取り上げ世の中大騒ぎ・・・。理由は視聴率低下によって自分のクビが決まったから、ちょっと気が狂ってしまいました。

 公開自殺予告の後、製作陣は大慌て。ということで、株主にどう説明するか悩みます。いきなり株主ですか・・・。報道業界の倫理はどこに逝ったの?って言うのが映画の始まりです。

 こんな事日本ではありえませんが、「ネットワーク」が公開された当時(1976年)のアメリカ社会は、ウォーターゲート事件やベトナム戦争終結、アメリカとソ連のイデオロギー対立、中流階級における夫婦交換の流行、宗教問題、石油危機等もう激動の時代でした。

 こういう激動の時代になると、報道のネタも事欠かないが、視聴率競争の為に番組内容がどんどん極端になり、いつの間にかハワード・ビールがテレビ宣教師のようになってしまうのです。ヒトラーのように大衆を扇動していきます。報道を通じて・・・。

 何故報道内容がどんどん極端になり、視聴率競争の為に手段を選ばなくなるか。単なる収益確保だけではないのです。いや、私達にとって身近な出来事によって狂っていくのです。

 まず最初のナレーションに、ハワード・ビールが妻と死に別れ、鬱的症状に悩まされアルコール中毒になり、視聴率低下も重なって解雇通告を受けたと解説されます。家族の不幸と、仕事の不幸が重なり合うことで、ハワード・ビールが狂っていくのです。それが、一キャスターがテレビ宣教師のようになり、世の中は不正ばかりだ、テレビでやっている事は全て嘘だと大衆を煽り、国民の怒りを糾弾するアイコン的象徴になるという・・・。

 それなら、即降板させてハワード・ビールをテレビに出さないようにすべきですが、視聴率競争に使えると思った女性プロデューサーがハワード・ビールを使う事にしました。その女性プロデューサーが実権を握り、視聴率獲得の為に極端な報道番組を作っていきます。最初は、物珍しさに注目が集まり、視聴率競争でダントツになり、表彰される一大センセーショナルになるのですが、途中で大株主を批判するような発言等が目立ち、番組制作がうまく行かなくなり、結局視聴率が落ちはじめて・・・というシナリオです。

 この映画で描かれる問題は、現代のメディアが抱えている問題そのものです。

 ①マスメディアの倫理崩壊で、差別的・扇動的内容を報道することによって、視聴率を稼ごうとする。報道ではなく、単なるプロパガンダになってしまい、国民を間違った方向に向かわせる危険性。

 ②株主利益のために収益拡大に走らざるをえず、それが視聴率競争を過熱させ公平な報道が不可能になる。また、大株主の利害関係で報道機関におけるタブー的内容が増え、公平な報道が成り立たなくなる危険性。

 ③極端な報道ばかりする番組を流しても、報道主の大手メディアは責任を取らない。番組制作中断で終わり・・・。

 アメリカのメディアにおいては、FOXニュースはニュース・コーポレーション傘下であり、ルパート・マードックの意図通りに報道されますね。またNBCもGE参加のメディアである以上、GEに不利益になる報道がやりづらい状況が生まれてしまう。「ネットワーク」では、ハワード・ビールがUBSの大株主であるCCAという企業を批判することによって急展開を迎え、現代のメディアコングロマットに対する危険性を示唆しています。

 この映画における描写は滑稽で、報道に全てを掛ける人達が織りなす人間ドラマという見方をすると、絶対面白く感じません。だからこそ、落ち着いて見れるのですが、映画の中で描かれる問題が現代のメディアに起こっていると思うと、怖い気持ちにもなります。報道もビジネスの一つなのでしょうか・・・。

 登場人物が虚飾にまみれた視聴率ジャンキーで、男も女もみんな狂っている人ばかり。こんな人達が今のテレビ番組を作ってるんじゃないの?と思うようになったら、それはそれで一種の洗脳かもしれません。

 映画の途中、女性プロデューサーがUBS内で表彰されるシーンがあるのですが、「私達は視聴率トップのメディアになるのよ」と言ったら、参加した社員全員発狂します。ハワード・ビールが番組でオーディエンスを煽って絶叫する反応とうり二つ。番組作っている人たちも、煽られる大衆も大して変わらない。かたやビジネスを視聴率狂騒と割り切って、視聴率取れるなら内容なんてどうでもいい、かたや面白くて、自分の怒りを代わりに吐き出してくれる番組サイコ―と思う視聴者・・・。

 報道に携わる人々も、やっぱり人間なんですね・・・。
 

2013年6月30日日曜日

ソーシャルネットワークとは一体何だったのか


2010年に公開され、第83回アカデミー賞でも多数の部門賞にノミネートされ、評論家からの評価も高いソーシャルネットワーク。

 この映画は、日本人にとってアメリカの学生生活の一端を観れる機会であり、ハーバードの学生でも、起業のモチベーションってオンナなのかって思った方もいると思います。

 世界最大のSNSであるFacebookの創設者であるマーク・ザッカ―バーグの学生時代に焦点を当て、なぜFacebookが作られたのか、当時の関係者における人間関係、誰のアイディアがFacebookの元になったかを争うといったドタバタストーリ-でした。

 この映画は、シェークスピア劇が根底にあり、お金や会社といったモノを手に入れたオトコが、他人に対する配慮が苦手で四方八方に敵を作ってしまい、自分の好きなオンナを手に入れる事が出来なかったという物語なのですが、こういう映画は沢山作られているそうですね。詳しくは町山さんの映画特電をご参照ください。
 
ソーシャルネットワークの最大の問題点は、Facebookの開発に関わった人たちに対する皮肉・風刺的(?)人間ドラマに焦点が当てられすぎており、一体Facebookとは何なのか、映画の中で語られていないことです。

 監督のデービッド・フィンチャーや脚本のアーロン・ソーキン自体がFacebookを使っても全く理解出来なかったそうで・・・。実際に使っても分からないなら、Facebookをシェークスピア劇として描くのも仕方ないことかもしれません。

 一体ソーシャルネットワークとは何だろうか。インターネット上で、人と人を繋ぐ媒体としてのソーシャルネットワーク、映画が作られて約3年経った今こそ、ある程度ソーシャルネットワークの概念が形成されつつあると感じます。

 ソーシャルネットワークは、ミスコンテスト的な個人のプライベートを他人にアピールする手段として、日本では成り立ちつつありますね。筆者のアカウントを見ると、ニュースフィードに載っている内容は以下の要素に分類できます。

 ①パーティーやイベント等の写真を共有し、男女がカメラに向かって上目目線でピースサイン

 ②有名人等の講演会や、主催イベント開催の告知

 ③友人が取った写真の共有(旅行やプライベートで訪問した場所についての写真など)

 ④友達とは全く関係ない企業広告(勝手に表示されるようになりましたね、最近)


 ざっと挙げれば、上記のようになるでしょう。あとは、それぞれアップした内容に対してコメントしたり、「いいね」ボタンを押したりして、自分の感想等を相手に伝えるといったところでしょうか。

 デビッド・フィンチャーやアーロン・ソーキンが、Facebookを理解出来ないのも無理はありませんね。Facebookで、自分の主催イベントを広告して、人を呼び集め、派手で豪華なパーティー内容を共有し、自分がどれだけ活動的で社交的かをアピールする手段になりつつある。

 ミスコンテストですよね、こういうのは。外面を衣装や化粧で取り繕って、パーティーやイベントに参加して、いかに自分の生活が充実しているかをアピールする。そして、友人を増やし人脈を広げていくのである。目的は、金儲け、婚活、暇つぶし等、様々であると思う。

 それが良いことか悪いことかは判断しかねるが、自分にとって得な事を発信し、周りからの共感や支持を得たいという認知欲求の象徴なのではないか。自分というモノを商品化して宣伝するなら、商業主義的な広告ビジネスと変わらなくなる。

 Facebookはユーザーを不幸せにするという研究結果もあるようで・・・。やはり、自分より充実した生活を送る他人に対して、羨望や嫉妬等の感情が生まれるのも避けられない事。

 ソーシャルネットワークという映画は、市民ケーンが元になっていると言われる。市民ケーンとは、実在した新聞王ランドルフ・ハーストをモチーフに、金や名声、権力を手に知れた男に対する風刺映画であり、何もかも手に入れた男も、愛する女や母親の愛情だけは手に入れる事が出来なかったと脚色することで、成功者をバカにしたいという嫉妬心が根底にあるのでしょう。

 誰もが自分より成功している人間に対して嫉妬心を持つとしたら、Facebookでパーティー写真を見ると、自分も負けられないと思い発奮したり、こういうノリに付いていけないと思い全くFacebookを見なくなる人もいるでしょう。もしくは、現実の人間関係に疲れ果て、仮想社会における空虚な人間関係に精を出す人もいる。

 結局、どんな新しいアイディアやツールが生まれても、本質的なモノは昔から変わらない。自分より上手く行っている人間に対して、どうしても冷やかしたくなる人が存在するのです。

 ネットという技術が新しいモノだから、人が他人に嫉妬する形が変わってきただけかもしれない。結局、お金いっぱい稼いだみたいだけど、だから何なのさ?っていう不毛なやり取りが繰り返されるのか。



 

2013年6月16日日曜日

リストラ代理人としての「マイレージ・マイライフ」

ジョージ・クルーニー主演のリストラ代理人の生き様を面白おかしく描いた「マイレージ・マイライフ」。リストラという言葉は、学生を卒業したら、結婚の次に怖い言葉になります。

 アメリカにはリストラ代理人が実在するそうで、従業員を解雇する際に、会社が代理人を利用して解雇の意向を伝えるのです。

 そのリストラ代理人のプロとしてアメリカ中を回るベテランエージェントをジョージ・クルーニーが演じます。顔付きや雰囲気は仕事の出来るチョイ悪オヤジです。


 一つだけ苦手な事があって、ジョージ・クルーニーと同じで、家に帰った後に自分を待っている家族を作れなかったのです。仕事と、オンナ遊びに没頭するオトコこそが、リストラ代理人としての主人公であり、ある意味アメリカ人の象徴なのでしょうか。

 この映画は、おそらく見たくもないと思う方もいると思います。リストラなんて誰もしたくないですし、誰もがリストラを避けたいと思うのが自然です。なぜ主人公がリストラ代理人稼業を続けるのか、人間的におかしい人なのではないかと思って当然でしょう。

 しかし、主人公も、もしリストラを受けたら他にやることがないのです。自分は仕事で、他人をリストラするくせに、自分はリストラ稼業にしがみ付くという皮肉。これも監督のジェーソン・ライトマンの演出が面白いですね。

 だから、神様は主人公に試練を与えました。自分がリストラされそうになるのです。インターネット上で、遠隔地からスカイプのようなTV電話で解雇対象の従業員に、リストラ宣告をしようとするのです。そのアイディアを提案したのは新人の女性。経済不況によってリストラに掛ける余裕すら企業になくなってきたので、リストラ宣告会社(死刑執行代理人のギルド)が、そのアイディアを採用することになり、主人公にリストラ危機が訪れます。しかも、主人公が新人女性の研修係になりハメになり、ドタバタな騒動が起こり、最終的に悲劇も訪れます。

 ここで見えるのは、リストラですら機械的に処理しようとする会社の冷酷さ、なぜかリストラ宣告スカイプ作戦を思いついて提案するのが新人の女性(女性の社会進出としての比喩?)、自分の利害と相反する企業方針に従わざるをえない中年オトコ、世代間で考えや背景にギャップがある新人を教育する苦悩、自分がクビになるので、担当していた仕事のノウハウを他人に引き継いで、それでお役御免になるという虚しさ。
 
 中年リストラ代理人のリストラ危機、自分のアイデンティティそのものであるマイレージライフを失う不安、本当は、自分の仕事が奪われるのだから嫌々なのに、自分の職務をこなしていく姿は、まるで神様が、今までの自分の行いを振り返りなさいという事で主人公に与えた試練です。

 主人公に家族がいないのは、他人の職業を奪い、もしかしたら他人の人生をめちゃくちゃにしていたかもしれない人間に対して、幸せな家庭生活は値しないということでしょう。実際、アメリカ中を飛び回っており、家族と戯れる時間すらないのですから。

 これは、ダーレン・アーロフスキー監督、ミッキー・ローク主演の「レスラー」にも通じるテーマで、人は一つの事に全てを捧け続けると、やり直しがきかなくなってしまうのです。情熱を捧げると同時に、それ以外の事から頭から離れなくなり、家族を失う、もしくは家族を得る機会を失うというのは、その道を極めてきたプロフェッショナルに対する敬意でもあり、悲劇的な結末を迎えることによって、一つの道を究めるプロフェッショナル的生き方が、どういうモノなのかを知る良い機会になります。

 個人的には、ダーレン・アーロフスキー監督の映画に出てくる主人公の生き方は感動するけど、自分にとって大事な人には、そのような生き方をしてほしくないとも思ってしまいますが・・・。

 結局、こういう映画って、物語終盤に、自分には何もなかったという事を実感するというシーンがあるので、今まで続けてきた事を止められなかった人間に対する、神様からの人生リストラ宣告(?)でもあります。リストラ代理人は、他人の人生に良くも悪くも影響を与えている。長年の経験があるおかげで、人を傷つけないように配慮しながらリストラ宣告を行える為、主人公の人生は崩壊せずに職務を遂行させるが、絶対愛する人と結ばれる機会は一切与えないという神様の意志でしょう。他人をクビにする時に、あれだけ配慮出来るなら、やっぱりモテるのは避けられないよねというのは神様の諦めでしょう。

 ただ、新人女性は、遠隔地スカイプTVリストラ宣告作戦で、実際に自殺者が出てしまい、自分のやった事が正しいのか葛藤に苦しみます。実際なら、新人女性は精神崩壊してもおかしくはありません。新たな道を歩むのですが、これは一体なんの比喩なのか。過去に犯した過ちを簡単に乗り越えてしまう、もしくは忘れてしまう(?)アメリカ人そのものという解釈も出来るかなと思います。

 個人的な解釈なのですが、「人は結局自分の事しか考えてないよ、どんなに綺麗な建前があっても、結局お前ら他人をクビにしないと生きていけないんだろう。自分たちに対してクビを宣告するリストラ代理人も寂しい奴なんだよ」という風刺かと。だから、自分の上司に対してムカついたら、こういう映画を観てスッキリしましょう。他人を自殺に追い込んだ新人女性も新たな道を見つけたわけですから・・・w

 ただ、職務について、あくまでドライなアメリカ人の象徴でしょうか。リストラ話について、個人的に面白かった記事をリンクします。この記事読むと、クビになる側も結構ドライなんじゃないのって思いましたw。ホントかどうかは分かりません。ネタに見えるのですが・・・。


 

2013年5月17日金曜日

政治家の皆様、自分の理念を実現するために手段を択ばない男の末路を教えてあげよう「トレーニング・デイ」

今年のGWも終わってから、政治が大変なことになっております。橋下市長の慰安婦問題から、飯島勲氏の極秘訪朝など、水面下で相当極秘なやり取りが繰り広げられているようです。

外交的には、北朝鮮の核問題が最優先事項で、隣国の中韓と日本の連携で北朝鮮に圧力を掛けて核問題の解決に向けて協力し合うべきタイミングで、こんな事やらかして良いと思っているのか。

少なくともアメリカはやきもきしているでしょう。イランの核問題の方が優先度が高く、未だに中東問題が最優先事項なのですから。イスラエルとの関係もありますし・・・。


 とりあえず、世界が混乱している時こそ、行動原則を明確にして敵対勢力に隙を与えない事が重要です。しかし、日本の政治家の皆様、ちょっとやらかし位が「トレーニング・デイ」のデンゼル・ワシントン並みになってきた。

 今年のアカデミー賞でもフライトで主演男優賞でノミネートされたデンゼル・ワシントン。フライトは飲んだくれパイロットを演じて、映画自体も好評だったが、その演技を上回る程強烈なキャラを演じたのが「トレーニング・デイ」におけるベテラン警官のアロンゾだ。

 警官なので正義の人だと思っていたら、アロンゾの悪役ぶりはコンビを組む新米警官のジェイク(イーサン・ホーク)が戸惑いを隠せず、アロンゾのいわれるがままなのだ。いきなり歓迎祝いとして薬をジェイクにやらせるわ、大物密売人に会ったりするわで、なんで正義の人である警官がこんなことしてるんだと思いつつ、アロンゾの術中にはまっていく。

 悪を倒せるのは悪だけだとでも言わんばかりのアロンゾ刑事の理念(?)に、次第に不信感を抱き始める新米警官のジェイク。新米警官といいながら、薬をやってしまったのでいつ逮捕されてもおかしくないという不思議な状況で、アロンゾとジェイクの中で埋められない亀裂が生まれていく。普通のバディムービーやブロマンス映画とは一線を画す映画なのだ。

 ベテラン警官のアロンゾと新米警官のジェイクを比較すると、アロンゾの方が現実主義的で、ジェイクは理想主義的なのだ。ロサンゼルスを舞台に、不正や腐敗に直面しながら経験を積んだアロンゾは、自分の正義を実現するために手段を選ばない。いや手段を選ぶ判断基準が全く失われているようなものだ。ジェイクは、まあ現実に直面していない分、不正を冒してでも自分の正義を貫こうとするアロンゾを理解出来ない。

 お互いの中で関係に亀裂が生まれるのだ。修復不能な程の大きな亀裂だ。


 正義を実現する為に手段を選ばなくなった男は、いつしか傲慢になり誰からも信頼されなくなっていく。何をやっても、自分のやった事は正しい事であるとしか思えなくなるから、他人の犠牲はおかまいなし。

 そして手段を選ばず傲慢な偽善者に成り下がった男は、致命的なミスをやらかすのだ。命を狙われるほどの危機に直面する。もちろん、悪気はないので、自分の罪を償う気持ちはない。生き残るために手段を選ばず、コンビを組んだジェイクまで利用しようとする。ここまで来たら、もうアロンゾの運命は破綻して当然なのだが、歯止めは効かない。アロンゾ自体、もう普通に戻れないのだ。

 生き残る為に、さらなる罪を重ねていく。哀れな男の末路だ。この男にまともな理性は存在しない。だから今までやってきたことを続けていくしかないのだ。相棒をハメようとするわ、現金強奪から証拠隠滅まで何でもやる。元々悪い奴をハメて、生き残ろうとすることに罪悪感はない。

 しかし、新米のジェイクを利用しようとしたのが間違いだった。むしろ、これがアロンゾが転落していくきっかけともなる。結局、正義を実現しようとしているのではなく、自分を正当化することしか考えていないので、いざ危機に陥った時に誰も助けようとしないから。

 ジェイクも悪の権化と化したアロンゾに利用され死の危機に直面するが、実はある行いによって救われた人がいて、その関係で命拾いするのだ。

 映画の中で描かれるアロンゾとジェイクのそれぞれが直面した危機は、対比構造になっている。悪の権化と正義の味方が危機に直面した時、各々はどう行動するのか、周りの人間はどう反応するのかがポイントだ。

 結局、どちらかが「俺達に明日はない」エンディングで、蜂の巣にされる。


 まるでアロンゾの行動や思想は、ある政治家に似ている。特に行政のトップでありながら、歴史問題から外交問題まで様々な波乱を引き起こし、日々釈明に追われている、あのお方だ。とりあえず行政のトップなのだから公務に集中すべきなのに、釈明のために記者会見開いたり報道番組に出演して、公務をこなす時間が浪費されていくので、海外からの批判だけでなく、有権者からの不満も強くなるだろう。

 相手が酷い事をやっているから、自分は何を言ってもいいわけではないのだ。結局敵対勢力に隙を見せることになり、足を掬われるだけだ。致命的なミスを犯してしまうと、そのミスを取り返す為に行動が過激化していけば、最終的には選挙という民意を反映する場で「俺達に明日はない」と同じように蜂の巣にされるだけだ。

 それとも「リンカーン」を見て、行動が過激化したのだろうか。リンカーンは奴隷制度を廃止する為に南北戦争を利用したとも、陰で沢山の不正を行った汚い政治家とも解釈できるが、奴隷制度廃止を政治利用したわけではない。奴隷制度廃止の為に全てを捧げた男なのだ。

 選挙アピールのために手段を選ばず、歴史問題を利用しようとすると痛い目に合うので気を付けて欲しい。実際リンカーンですら最後は暗殺されたのだから。

 暗殺されたリンカーンは、後世の歴史が彼を支持した。
果たして、某市長はいかに・・・



 

 

2013年5月16日木曜日

君の流す心の涙を慰めよう「レインメーカー」

 レインメーカーと聞いたら、プロレスラーのオカダカズチカの必殺技を思い浮かぶ方、いらっしゃると思います。金の雨を降らせる=お客を沢山呼んで大儲けという意味なんですが、これは、マットデイモン主演、フランシス・フォード・コッポラ監督の「レインメーカー」が由来です。

 金の雨を降らせる奴等とは、弁護士です。アメリカは訴訟社会で、企業相手にバンバン訴えて賠償金をふんだくる。強き者に味方する弁護士もいれば、弱き者に救いの手を差し伸べようとする弁護士もいる。

 誰を弁護するのであれ、結局報酬ありきなので、弁護士とはレインメーカーなのです。

 弁護士志望で希望に燃える若者であるルーディ(マット・デイモン)が、アメリカにおける弁護士業界の実態や、白血病に悩む男性に対して、保険会社が医療費を支払おうとしない現実に直面して、不正に立ち向かう法廷モノ映画です。シナリオはこちら

 こういう法廷モノの映画ってアメリカでは沢山あります。レインメーカーに近い映画といえば、ポール・ニューマン主演の「評決」とか、ジョン・トラボルタ主演の「シビル・アクション」とかですね。こういう映画は、主人公が飲んだくれのオヤジ弁護士や、バリバリのエリートだったりするのですが、レインメーカーは、希望に燃えるワカモノが酷い現実に直面し、人として成長していく物語。

 原作は、ジョン・グリシャムで、自身も弁護士であり、法廷モノの作品を数多く世に出し、何本も映画化されています。監督はコッポラで、地獄の黙示録やゴッドファーザーといった名作を世に送り出しました。

 マット・デイモンは、グッドウィルハンティングで名を成してから、社会派映画に出演し続けていますね。2000年代になってから、アメリカの中東政策や企業の癒着を克明に再現した「シリアナ」、イラク戦争における報道機関の欺瞞を極初する「グリーンゾーン」といった映画から、大企業の不正を告発(?)しようとする狂言者を演じた「インフォーマント」といった作品に出演しています。

 この映画では、善人は主人公だけで、被害者以外は全員金の事しか考えていません。保険会社を訴える原告側の弁護士軍団ですら、主人公の仲間は儲かりそうだから頑張るって感じで、保険会社は保身の為に弁護費用のお金に糸目を付けません。

 一番の弱者である白血病に悩まされる青年とその家族に大きな悲劇が訪れることによって、主人公が正義に目覚めるのです。白血病の治療には、骨髄移植が必要であるが、それにはお金が掛かる。アメリカでは国民皆保険が存在しないので、民間の保険会社に医療費を払うよう依頼するのですが、基本営利追求なので医療費を支払おうとしない。白血病という病気であれば、治療費が高く、治癒確立も低いから実験的医療であるとかイチャモンを付けて医療費請求を拒否し続ける。

 白血病を患った青年は、あえなく命を落とします。保険会社が医療費を負担してくれれば助かったのに、一切負担しようとしなかった現実に遺族は茫然自失・・・。自分たちにも、国にも、保険会社も本当にお金が無くて息子を救う手段がなければ運命を受けいれる事が出来る。しかし、実際は保険会社が医療費を支払おうとしないのだ。

 保険料はコツコツ徴収しておきながら、いざというときは医療費負担を拒否する。保険会社ではなく、ただの詐欺師ですが、国民皆保険が存在しないアメリカ、現実の民間保険会社も同じなのです。保険は、支払を拒否していたら成り立たないのに、ビジネスとしては最高です。安定的に保険料収入が入ってくるのに、支払を拒否しつづければ手元に莫大な資金が残ります。

 挙句の果てには、裁判において陪審員に、「この裁判結果が、アメリカの政府のあり方を変える。政府が、皆さんが払った税金を湯水のように使うようになるかもしれないから、良く裁判結果を考えて下さい。」とアピールする。まさに国民皆保険は、共産主義への第一歩というように。

 アメリカでも、数々の大統領が国民皆保険制度創設に挑んで来ました。しかし、ことごとく失敗していく。アメリカは経済的保守層の抵抗が強く、国民皆保険は共産主義であるというレッテル張りをすることによって、今までずっと、こういう状態が繰り返されてきた。

 キリスト教の国で、困っている人には手を差し伸べましょうと教えられているはずなのに、国内で困っている人を見捨て、誰も求めていない軍事攻撃はしっかりやるアメリカ。

 一体アメリカは何をやりたいのか良くわからない。共産主義狩りのために軍事侵攻や、イラク戦争などやらなければ、軍事費に使った税金を国民に振り向けることだってできた。レーガン政権の経済政策や、対外政策は打倒共産主義に拘り過ぎて、今から振り返れば軍事攻撃に使った金をアメリカ国内で使った方がマシだったのではないかと思う人もいるでしょう。タリバンやアルカイダは、アフガンに侵攻したソ連に対抗するために現地の兵士に武器を支援して、ソ連撤退後に野放しにしたため、9.11同時多発テロのしっぺ返しを喰らったりしたわけですから。

 国民の為に医療に税金を使わず、軍事攻撃には湯水のように税金を使うアメリカ。日本は真似をしてはいけません。TPPによって国民皆保険の崩壊が叫ばれている中、実際に国民皆保険が崩壊して民間保険会社が医療保険制度に関わるとどうなるか、「レインメーカー」を見れば分かります。

  民間保険会社は、絶対医療費を支払おうとしません。儲からないから。

 「これが現実だ、勇気があんならこの映画見て見ろ FU○K OFF」 by真壁 刀義



2013年4月29日月曜日

スピルバーグ監督が作った「ミュンヘン」、本当はイスラエルのモサドじゃなくて、CIAの出番だったんじゃないの?

 今年になって、中東で爆弾テロが多くの方が亡くなった。そしてボストンでも爆弾テロが発生してアメリカ社会に大きな衝撃を与えた。

 ボストン爆弾テロは、イスラム教を信奉するチェチェン系の兄弟が起こしたが、個人的には2001年の9.11同時多発テロを思い出す(犯人はサウジアラビア人と言われているが・・・)

 イスラム教の教えから明らかに乖離した狂気の集団が起こしたテロ事件。ボストン爆弾テロは、アフガン・イラク戦争によってイスラム社会が破壊されていくことを危惧した兄弟が起こした凶行というのが報道に上がっており、この報道が正しいと想定すれば、スピルバーグ監督の「ミュンヘン」について書かざるをえない。

 イラク戦争をテーマにした映画は沢山作られた。アカデミー作品賞を獲得した「ハート・ロッカー」、CIAによるテロ容疑者と見なした人間に対して行っている拷問の実態を描いた「レンデション」等は、アメリカの対外戦略に振り回されるアメリカ人を描いた映画で、個人的に印象に残っている映画です。

 第85回アカデミー賞で作品賞にノミネートされた「ゼロ・ダーク・サーティ」に出てくる拷問シーンは、おそらく「レンデション」が元ネタだと思います。「レンデション」では映画で初めて水責め拷問の実態を描いており、その事実を知って発狂したのか、悲劇のヒロインであるリース・ウィザースプーンは今年ひと悶着起こしました・・・。

 「ゼロ・ダーク・サーティ」は、映画としての完成度は非常に高い。映画としての娯楽性を失わず、ビンラディン殺害に全てを捧げた実在のCIA女性エージェントの苦悩や葛藤を描き出し、ビンラディン殺害作戦を再現したラストは圧巻の一言。アルゴに比べ映画の娯楽性は下回るが、シリアスさは段違いに上回っている。

 しかし、「ゼロ・ダーク・サーティ」の全米初公開は2012年。ビン・ラディンの殺害は2011年ということで、同時多発テロから10年も掛かったのだ。失われた10年といったも過言ではない。




  イラク戦争をやらず、アメリカ軍がタリバンとアルカイダ掃討に全力を尽くしていれば、今の状況は全く違っていたものになっていた。少なくとも、中東で爆弾テロがここまで増えることはなかった。「ハート・ロッカー」がアカデミー作品賞を取る事もなかっただろう。

 イラク戦争は、世界に混沌を生み出しただけであった。そのイラク戦争を直接描かずに批判した映画といえばスピルバーグ監督作「ミュンヘン」。ミュンヘンオリンピックでイスラエル人選手団がパレスチナ系テロリストに拉致され、最終的に全員死亡してしまった事件に対するイスラエル政府の報復を描いた作品。

 当時のイスラエル首相であったゴルダ・メイア(鉄の女?)が、ミュンヘンオリンピックにおけるテロ事件に対して報復を決意する。政府の諜報機関であるモサドに命令し、パレスティナ系の有識者を殺害するよう命じた。詳しくは町山さんの解説をどうぞ。

 2005年のクリスマスに公開され、映画のラストシーンで世界貿易センターを映し出す事により、ブッシュ政権のイラク戦争を批判した。映画のテーマは、報復は報復しか生まない、憎悪のスパイラルを断ち切らなければ、流血が続いていくという事を描き出した。

 スピルバーグ最新作の「リンカーン」でも、リンカーンが「Shall we stop this breeding」と言うセリフがあり、根底にあるテーマは「ミュンヘン」と「リンカーン」に通じるテーマだろう。同じ脚本家(トニー・クシュナー)ということでも推察できる。

 イスラエル政府のモサドによる報復を描く事によってイラク戦争を批判した「ミュンヘン」。本当は「ゼロ・ダーク・サーティ」で描かれたCIAのビン・ラディン殺害作戦。両作とも、政府による報復活動を描いた重厚な作品であるが、本当はスピルバーグが2005年にビン・ラディン殺害作戦を映画化して、スピルバーグ監督作品としての「ゼロ・ダーク・サーティ」が作られていれば・・・と思ってしまう。
「ミュンヘン」におけるSEXシーンは映画史上最も衝撃的な描写だ。(閲覧注意)





 キャサリン・ビグロー監督は女性監督として硬派な映画を撮り続ける骨太な方である。しかし、「ハート・ロッカー」という作品が生まれなければ良かったと個人的に考えている。あまりにビン・ラディン殺害が遅すぎたのだ。その途中にイラク戦争という周り道をしていくことによって、アメリカは軍事的・経済的覇権を失い、今年になってボストンでテロが発生してしまった・・・。

 「ゼロ・ダーク・サーティ」がもっと早く作られている状況であれば、テロで人が死んでいく現代の混沌は防げていたのかもしれないとすら思えるのだ。女性初のアカデミー作品賞・監督賞を獲得したキャサリン・ビグロー。「ハート・ロッカー」や「ゼロ・ダーク・サーティ」は映画として傑作で、評論家からの評価も高い。しかし、イラク戦争さえなければ、こういう映画は作られなかったし、その方が世界にとって好ましかったのは間違いない。

 だからキャサリン・ビグロー監督の真の最高傑作は、「K-19:The widowmaker」なのだ(個人的に)歴史的に、もしイラク戦争が防げたとしたならば・・・だが。

 2013年になって、テロによる流血が続いている状況だからこそ、スピルバーグの「ミュンヘン」を観る価値があるのではないか。キャサリン・ビグロー監督「ゼロ・ダーク・サーティ」を見て、もっと政治的に深いテーマを含んだ諜報機関による報復活動を観たいと思えれば、迷わず「ミュンヘン」をおススメする。

本当に市街地で爆弾テロが起こったら、人はどのように傷ついていくのか。人体がめちゃくちゃになって、阿鼻叫喚の地獄を絵図を容赦なく描いた「ミュンヘン」

 テロを実行し、精神的に追い詰められ自分の良心と葛藤していくモサドのエージェント、テロの標的にされた無実の人々(しかもインテリで、エージェントより数倍頭が良い)。テロに巻き込まれ、泣き叫ぶ市民。中東の平和を名目に強硬的に権力を行使するイスラエル政府。

 映画の中で描かれる残虐さやシナリオの残酷さに一切容赦がない「ミュンヘン」、報復とは血で血を洗う残酷な現実そのものなのだ。

 「ゼロ・ダーク・サーティ」に足らないのは、残虐性だと思う。もっと、血や人体が飛び出るような描写が必要だったのではないか?。爆弾テロの恐ろしさを描いた点については、「ミュンヘン」の方が遥かに上である。

2013年4月25日木曜日

宗教的対立に和解はありえないのか「アメリカン・ヒストリーX」

 ボストンの爆弾テロ事件、犯人が捕まってからいくつか供述をしているようですね。二人兄弟のうち、兄は射殺され、拘束された後の弟はベッドのベッドの上で供述しているようで、「兄はテロの首謀者で、イスラム世界を守りたかっただけなんだ」とCNNが明らかにした。

 この事件から、アメリカンヒストリーXという映画における主人公とその弟を思い出しました。

 トニー・ケイ監督、エドワード・ノートンやターミネーター2で少年時代のジョン・コナーを演じたエドワード・ファーロングが演じており、白人至上主義に傾倒する兄弟の心理的な危うさと葛藤、その悲劇を描き出した作品です。

 兄弟は白人至上主義に傾倒し黒人を憎んでいます。エドワード・ノートンはクルマ泥棒を働いた黒人を見つけ、容赦なく殺害し逮捕されます。なぜ黒人を憎んでいるのか。それは、アメリカの典型的な中流階級だった一家で、ある日父親が黒人に殺されてしまい、黒人に対する抑えきれようもない憎悪と、愛する父を失った事による喪失感から、ネオナチ組織に出会ってしまい、過激なキリスト教軍団に入ってしまったからです。

 愛する父親を失った後、心の中が空っぽになり、自分の居場所をネオナチ組織に求めてしまったのが悲劇の始まりでした。兄が逮捕された後、ファーロング扮する弟が兄が所属していたネオナチ組織に居場所を求めてしまうのです。

 愛する人を失って、心の中が空っぽになり、その空虚を埋めるために新たな居場所を求めてしまった兄弟の悲劇でもあります。ボストンのテロを実行した兄弟も、もしかしたらアメリカン・ヒストリーXで描かれた兄弟と似ているかもしれません。
 
 人は、希望無しには生きられない。自分の居場所を見いだせなければ、新たな居場所を見つけようとする。それが、ボストンのテロ事件を起こした兄弟にとって、イスラム教(もしくは、過激なイスラム教の思想を説く組織か?)だったのかもしれない。新たな居場所を見つける事によって、人は生き甲斐を見つける。その居場所を守る為なら、手段を選ばなくなる。洗脳といっても過言ではなく、まともな理性を失っていたことは間違いありません。

 「イスラム世界を守る為にテロを実行した」という動機に、理性も論理も存在しない。なぜなら、ボストンのテロ事件で犠牲になった人は、アメリカの中東政策と関係ない人で、イラク戦争に対する復讐なら、ブッシュ政権と裏で繋がっていた企業に対してテロを起こした方が自然な動機です。(テロを推奨しているわけでも、アメリカの責任ともいうつもりはありません。)

 また中東におけるテロは、タリバンやアルカイダ等、イスラム教の教義を歪めて解釈し、仕事がなく貧しい人々を洗脳して実行させているので、イスラム世界の敵がアメリカにいるわけではない。それでも、ボストンのテロ事件を強硬してしまった。イスラム世界を守る為に、本当にやるべき事は何か考える事すら出来なかったと思われる。

 アメリカンヒストリーXで描かれた兄弟と、ボストンのテロ事件を起こした兄弟に共通点を感じるのです。自分が信じる正義の為に、人を殺めてしまったという悲しい悲劇。その正義が、人を殺してまで、やるべき事だったのか。

 ネタバレになりますが、アメリカン・ヒストリーXにおいて最後に、黒人の報復として弟が殺されます。ボストンのテロ事件は、兄が射殺され弟が生き残った状態で拘束されました。映画と現実は違いますが、何か不思議な縁を感じるのです。

 エドワード・ノートンは「ラリー・フリント」で、ポルノ雑誌ハスラーの創刊者であるラリー・フリントとキリスト教福音派のジェリー・ファルウェルと裁判において、フリントの弁護士として戦ったり、ファイト・クラブでは、元々エリートビジネスマンが、自分の化身(理想像?)と幻想で交わることで、ファイトクラブを作って、金とクレジットカードにコントロールされた人間の本能を取り戻すために殴り合い友愛会を作るのですが、いつのまにか狂気のカルト集団(テロ組織)になってしまい、全米の都市にテロを起こそうという・・・。狂気性に気づいたエドワード・ノートンは、テロを阻止しようとするのですが、自身の化身と戦いつつ、最後にはビルが爆破される瞬間を眺めているという映画でした。

 エドワード・ノートンはエール大学卒のインテリで歴史学を学んでいたそうで、歴史に宗教がどのように関わってきたのかを映画における映画で体現しているのではないか(筆者の解釈)。

 「アメリカン・ヒストリーX」はネオナチと白人至上主義に傾倒するが、足を洗おうとして更正する中で最終的に弟を殺されたしまった男、「ファイトクラブ」では、ビジネスマンが自分の別人格と出会うことで、殴り合い友愛会に傾倒してしまい、最終的にビル爆弾テロに加担している事になってしまい、最後に別人格を克服したが、爆弾テロを阻止出来なかった男(傍観?)。

 「ラリー・フリント」は、ポルノ雑誌ハスラーの創刊者ラリー・フリントの弁護士としてジェリー・ファルウェルに戦いを挑む弁護士と、宗教やカルト的集団に関わったり、宗教勢力と戦う男を演じてたりと、エドワード・ノートンは1990年代の社会派ドラマによく出てたんですよね。

 一般人が何らかの機会(愛する人を失った、自分の居場所がない等)で、宗教や過激な思想を持つ集団に傾倒すると、人間性がどのように変わっていくかを知る上で、エドワード・ノートン出演作品を観ると、宗教とは何かを考えるきっかけになると思います。

 アメリカ社会における宗教のあり方、過激な思想を持った集団に傾倒してしまった人達について、「アメリカン・ヒストリーX」は白人と黒人の人種間対立だけでなく、多宗教との衝突を暗示していたのかもしれない。

 この記事は、個人の推察を元に書いておりますので、極力偏見や個人の倫理観を排除するよう配慮しておりますが不快な気持ちになられた方は、予め謝罪致します。
 

 

2013年4月20日土曜日

ビッグダディに届け、「父の祈りを」

遂に明日、ビッグダディ最終章、「最愛のオンナと別れ、家族と新たな道を見つけて幸せになるんだよ、俺たちプロですから」がテレビ朝日系列の電波で全国超拡大ロードショーされます。

 ビッグダディの応援掲示板は、ファンのビッグダディ終了に伴って阿鼻叫喚が増してきておりますね。

 そんなビッグダディのファンに贈る珠玉の感動家族ドラマがダニエル・デイ=ルイス主演、ジム・シェリダン監督の「父の祈りを」です。(あらすじはこちら)

 「父の祈りを」の原題は「In the name of The Father」で、直訳すると父の名の元にといったところで、神の名の元に正義を追及していくという意味が込められてますね。

 主人公は北アイルランド人のジェリー・コンロンという青年で、父親と上手くいかず遊んでばかりいる放蕩息子。家族との関係がうまくいかない中、主人公はロンドンで遊びほうけます。単なる遊びといっても、ハッキリ言って犯罪なのですが・・・。

 主人公がロンドンに滞在しているタイミングで、パブが爆発し、IRAの仕業と睨んだ警察に無実の罪で逮捕され、自分の無実を証明する為に人生を賭して公権力に戦いを挑んでいくという物語です。原作は1974年のIRAがギルフォード・パブ爆破事件を元に冤罪で逮捕されたジェリー・コンロンの回想記。

 この映画が描く悲劇とは、テロ事件が発生後、放蕩息子であったジェリー・コンロンが、公権力の思惑によって逮捕されるのですが、本人だけではなく家族まで逮捕されてしまい、ジェリー一家の未来が破壊されてしまうことです。

 実際の事件後、テロによる恐怖に対抗する為、英国議会は「テロ防止法」を制定します。警察に、テロが疑われる人間・勢力に対して、非合法な逮捕も容認するというものです。(筆者は事件を詳しく理解しておりませんので、詳しくはウィキでどうぞ)

 実際はIRA弾圧の為に、無差別に北アイルランド人を逮捕しているように描写されており、その被害にあった一人がジェリーコンロンであり、もし彼がテロ発生時にロンドンに滞在していなければ自分だけではなく、家族が逮捕されることはなかったかもしれません。

 テロが発生すると、国民全体が不安になり、見えない恐怖に対して過剰反応を利用して公権力が暴走してしまうことが歴史的に何度も繰り返されています。(最近では、ブッシュ政権の愛国者法で、テロリズムと戦う事を目的とした政府当局の権限が大幅に拡大された例が最も有名かと。)

 結局テロリズムと戦う為の公権力が、法律の制限を超えた権力を得ると、結論ありきの権力発動になる可能性が高く、疑わしきは罰する、関係のない人でも疑わしき人間として見なして、逮捕・弾圧するという悲劇になるのが歴史の常でした。

 ジェリー・コンロンだけではなく、家族等の人まで逮捕された背景としては、英国と北アイルランド(IRA)の対立が過熱し、英国自体が北アイルランド人を敵対視していたと言っても過言ではない。

 本作は、ジェリー・コンロンと父親ジュゼッペ・コンロンの無実を証明する為の戦いであり、最初は父親に対して反発ばかりしていた息子が、父親の毅然とした態度や意志を目にすることで生まれ変わっていく過程に焦点が当てられており、それだけでも感動的です。(実際は父親と息子は、同じ刑務所には収監されておらず、脚色と思われる)。それでも収監された初期は、やっぱり息子ダメダメなんですがw。

 主人公と父親が収監されてから、IRAは犯行声明を出して彼らは無実であると公表し、IRAのメンバーが逮捕され、自分の犯行であると認める。それでも父と息子は解放されず、父親は収監された実行犯の手を借りずに、自力で無実を証明しようと理不尽に立ち向かう。息子は少し更正したように見えて、半分諦めている雰囲気を醸し出す部分が非常に印象的。

 「セールスマンの死」というアーサー・ミラーの名作は、ずっと威張り散らしている父親が、実は大した事がないのではないかと気づいた息子が反発し、最終的に父としての威厳を失い自殺に追い込まれてしまうシナリオでしたが、父親と息子が対立するという構造を、本作も取り入れていますね。父親に対して反発する息子、お互いが心からぶつかっていく中で、息子が父親の偉大さを見出し、父親を超えようとする息子の成長物語。

 主人公が半分諦め燻っている中で、父子の運命を変える決定的な出来事が起きます。それは父親の死です。常に冷静で父親としての威厳を持ち、正義の為に戦い続けた父親。病に倒れ志半ばで死んでしまう。

 父親が病に倒れ、どんどん衰弱していく中で、息子は初めて父親の弱音を聞き、父の死に対する恐怖を感じたのです。いつも威厳を持ち堂々としていた父親が、初めて息子の前で死の恐怖を打ち明けたというシーンは、父子の絆が再生される瞬間でもあります。

 人間誰でも諍いがあります。特に親子は、全く違う環境で育っている事が多く、親の価値観に子が共感できず、反発するというのは誰もが経験していることです。セールスマンの死では、父子の魂のぶつかり合いによって最終的に父親が自殺するが、「父の祈りを」は、父親が病に弱っていく中で父子がお互いを分かり合っていく。

 不当逮捕という試練を乗り越える為に、父親の無念を晴らすために、息子は父親の偉大さを自ら体現しようとする、一種の通過儀礼的映画としての「父に祈りを」

 果たして、ビッグダディは「父の祈りを」で見せた父親の矜持を持ち合わせているのか。ビッグダディの子供達が、これからどう父親に向き合っていくのだろうか。「父の祈りを」を見た方なら、やはりビッグダディに対して否定的な意見を持ってしまうのではないかと思う。

 最後に自分達の無実が証明され、ダニエルがマスコミの前で語る台詞は涙なしでは見れない名シーンです。


 「私は無実だ。私は無実の罪で長い期間収監された。私は、英国の刑務所で無実の父が死んでいくのを見た。しかし、英国政府は未だに私の父が有罪であると主張している。私は、父の無実と、この裁判に関わった人が無実であることが証明されるまで、罪を犯した者に正義の裁きが下るまで、父の名と真実を元に私は戦い続ける。」



 
 これからビッグダディの総集編が放送されるみたいです。ビッグダディファンのみなさん、今すぐレンタルビデオ屋さんにいって、「父の祈りを」を見てください。テレビは消しましょう。悲劇に苛まれる家族の苦しみは、TV局の編集からは見る事はできない。

 予め脚色された感動なら、出来るだけ事実に近い、父子の葛藤と、その葛藤を乗り越える物語の方が共感できるのではないかと思います。

 とりあえずビッグダディは、シガニー・ウィーバーの濡れ場目的で「アイス・ストーム」を見て欲しいデス。

 最後に、この記事においてダニエル・デイ=ルイスの顔がドンっと写ってますが、わざとです。ホモセクシャル的な雰囲気を醸し出していますが、ビッグダディをイメージして載せました。なにか不快な思いをされた方は、予め謝罪致しますので、宜しくお願い致します。


 


2013年4月15日月曜日

今こそ、ビッグダディ(とそのファン)が見るべき映画「アイス・ストーム」


 ビッグダディシリーズの最新作が、4月21日テレビ朝日系列で全国公開ということで、ビッグダディファンの皆様クビを長くして待ち望んでいた事でしょう。

 本当は3月に最新作が公開される予定だったのに、離婚騒動や何かで公開が1か月遅れてしまったようで・・・。しかも、「ビッグダディの流儀」という駄本?まで出版するようで、お仕事絶好調みたいですね。

 そんなビッグダディとその愉快なファンに贈る衝撃的ドラマ映画がアイス・ストームです。原作はリック・ムーディで、ブロークバック・マウンテンとライフ・オブ・パイで2度アカデミー監督賞を受賞したアン・リーの作品。

 アン・リー監督は、ライフ・オブ・パイで映像化不可能と言われたパイの物語を映画化して、興行的にも大成功を収めました。元々は、性のタブーを破りちょっとエッチだけど、深いテーマを追求する硬派な監督です。



 そんなアン・リー監督が映画化したアイス・ストーム。エイリアンシリーズで有名、最近はホラー映画やSFパロディー映画のチョイ役で出演してばかりのシガニー・ウィーバーも出てます。

 舞台は1970年代、アメリカのコネチカット州。ある中流家庭の不安な日々に焦点を当てた映画。アイスストームとは、雨氷のことでアメリカ北東部では被害が大きいとのこと。

 テーマは夫婦交換・・・。1970年代のアメリカの一部地域では、夫婦交換が流行していたことを告発したのが原作で、シガニー・ウィーバーの濡れ場ももちろんありますw。この映画のあらすじ(ネタバレ注意)。

 この映画では、経済的には豊かでも、夫婦の不仲が子供の精神状況にどれほど悪影響を与えるかを克明に描き出しています。両親が不仲で、子供にいい影響を与える事はありません。また、自分の両親が、夜な夜な不倫や夫婦交換をしていたとしたら、子供はどう思うか。両親は絶対に子供にばれないよう気を付けても、子供は必ず気づき反社会的な性格になってしまうでしょう。

 両親の不仲は、子供にとって良い影響を与える事はない。悲劇を乗り越えれば、強いオトナになれるかもしれないが、やはり精神的代償が大きいのです。

 映画の終盤に、大きな悲劇が訪れます。まるで、子供の事を考えず自分たちの欲望を優先したオトナたちに天罰が下ったかのように。

 最近のTVやドキュメント番組では、子持ち夫婦の離婚劇や、大家族の生活劇に焦点を当てた番組が多い。特に過激な夫婦喧嘩や、その夫婦喧嘩を健気に我慢する子供は、見ていて同情を誘い視聴率も取りやすいと思われるが、子供の精神が崩壊していく事に一切焦点を当てない。

 アイス・ストームは、ビッグダディの解毒剤として一見する価値がある映画。ビッグ・ダディに不信感を持たれた方に是非見て頂きたい映画です。

 林下キヨシさん、シガニー・ウィーバーの濡れ場目的でいいので、一度ご覧になってください。




 ちなみに本作の舞台になったコネチカット州は、閑静な住宅街でお金持ちが住んでいる事で有名。W・ブッシュ前アメリカ大統領もコネチカット生まれ。アメリカ社会の欺瞞や崩壊に焦点を当てたドラマ映画の舞台は、コネチカット州であることも多い。(レボリューショナリー・ロード、エデンより彼方に、等)。