2013年6月30日日曜日

ソーシャルネットワークとは一体何だったのか


2010年に公開され、第83回アカデミー賞でも多数の部門賞にノミネートされ、評論家からの評価も高いソーシャルネットワーク

 この映画は、日本人にとってアメリカの学生生活の一端を観れる機会であり、ハーバードの学生でも、起業のモチベーションってオンナなのかって思った方もいると思います。

 世界最大のSNSであるFacebookの創設者であるマーク・ザッカ―バーグの学生時代に焦点を当て、なぜFacebookが作られたのか、当時の関係者における人間関係、誰のアイディアがFacebookの元になったかを争うといったドタバタストーリ-でした。

 この映画は、シェークスピア劇が根底にあり、お金や会社といったモノを手に入れたオトコが、他人に対する配慮が苦手で四方八方に敵を作ってしまい、自分の好きなオンナを手に入れる事が出来なかったという物語なのですが、こういう映画は沢山作られているそうですね。詳しくは町山さんの映画特電をご参照ください。
 
ソーシャルネットワークの最大の問題点は、Facebookの開発に関わった人たちに対する皮肉・風刺的(?)人間ドラマに焦点が当てられすぎており、一体Facebookとは何なのか、映画の中で語られていないことです。

 監督のデービッド・フィンチャーや脚本のアーロン・ソーキン自体がFacebookを使っても全く理解出来なかったそうで・・・。実際に使っても分からないなら、Facebookをシェークスピア劇として描くのも仕方ないことかもしれません。

 一体ソーシャルネットワークとは何だろうか。インターネット上で、人と人を繋ぐ媒体としてのソーシャルネットワーク、映画が作られて約3年経った今こそ、ある程度ソーシャルネットワークの概念が形成されつつあると感じます。

 ソーシャルネットワークは、ミスコンテスト的な個人のプライベートを他人にアピールする手段として、日本では成り立ちつつありますね。筆者のアカウントを見ると、ニュースフィードに載っている内容は以下の要素に分類できます。

 ①パーティーやイベント等の写真を共有し、男女がカメラに向かって上目目線でピースサイン

 ②有名人等の講演会や、主催イベント開催の告知

 ③友人が取った写真の共有(旅行やプライベートで訪問した場所についての写真など)

 ④友達とは全く関係ない企業広告(勝手に表示されるようになりましたね、最近)


 ざっと挙げれば、上記のようになるでしょう。あとは、それぞれアップした内容に対してコメントしたり、「いいね」ボタンを押したりして、自分の感想等を相手に伝えるといったところでしょうか。

 デビッド・フィンチャーやアーロン・ソーキンが、Facebookを理解出来ないのも無理はありませんね。Facebookで、自分の主催イベントを広告して、人を呼び集め、派手で豪華なパーティー内容を共有し、自分がどれだけ活動的で社交的かをアピールする手段になりつつある。

 ミスコンテストですよね、こういうのは。外面を衣装や化粧で取り繕って、パーティーやイベントに参加して、いかに自分の生活が充実しているかをアピールする。そして、友人を増やし人脈を広げていくのである。目的は、金儲け、婚活、暇つぶし等、様々であると思う。

 それが良いことか悪いことかは判断しかねるが、自分にとって得な事を発信し、周りからの共感や支持を得たいという認知欲求の象徴なのではないか。自分というモノを商品化して宣伝するなら、商業主義的な広告ビジネスと変わらなくなる。

 Facebookはユーザーを不幸せにするという研究結果もあるようで・・・。やはり、自分より充実した生活を送る他人に対して、羨望や嫉妬等の感情が生まれるのも避けられない事。

 ソーシャルネットワークという映画は、市民ケーンが元になっていると言われる。市民ケーンとは、実在した新聞王ランドルフ・ハーストをモチーフに、金や名声、権力を手に知れた男に対する風刺映画であり、何もかも手に入れた男も、愛する女や母親の愛情だけは手に入れる事が出来なかったと脚色することで、成功者をバカにしたいという嫉妬心が根底にあるのでしょう。

 誰もが自分より成功している人間に対して嫉妬心を持つとしたら、Facebookでパーティー写真を見ると、自分も負けられないと思い発奮したり、こういうノリに付いていけないと思い全くFacebookを見なくなる人もいるでしょう。もしくは、現実の人間関係に疲れ果て、仮想社会における空虚な人間関係に精を出す人もいる。

 結局、どんな新しいアイディアやツールが生まれても、本質的なモノは昔から変わらない。自分より上手く行っている人間に対して、どうしても冷やかしたくなる人が存在するのです。

 ネットという技術が新しいモノだから、人が他人に嫉妬する形が変わってきただけかもしれない。結局、お金いっぱい稼いだみたいだけど、だから何なのさ?っていう不毛なやり取りが繰り返されるのか。



 

2013年6月16日日曜日

リストラ代理人としての「マイレージ・マイライフ」

ジョージ・クルーニー主演のリストラ代理人の生き様を面白おかしく描いた「マイレージ・マイライフ」。リストラという言葉は、学生を卒業したら、結婚の次に怖い言葉になります。

 アメリカにはリストラ代理人が実在するそうで、従業員を解雇する際に、会社が代理人を利用して解雇の意向を伝えるのです。

 そのリストラ代理人のプロとしてアメリカ中を回るベテランエージェントをジョージ・クルーニーが演じます。顔付きや雰囲気は仕事の出来るチョイ悪オヤジです。


 一つだけ苦手な事があって、ジョージ・クルーニーと同じで、家に帰った後に自分を待っている家族を作れなかったのです。仕事と、オンナ遊びに没頭するオトコこそが、リストラ代理人としての主人公であり、ある意味アメリカ人の象徴なのでしょうか。

 この映画は、おそらく見たくもないと思う方もいると思います。リストラなんて誰もしたくないですし、誰もがリストラを避けたいと思うのが自然です。なぜ主人公がリストラ代理人稼業を続けるのか、人間的におかしい人なのではないかと思って当然でしょう。

 しかし、主人公も、もしリストラを受けたら他にやることがないのです。自分は仕事で、他人をリストラするくせに、自分はリストラ稼業にしがみ付くという皮肉。これも監督のジェーソン・ライトマンの演出が面白いですね。

 だから、神様は主人公に試練を与えました。自分がリストラされそうになるのです。インターネット上で、遠隔地からスカイプのようなTV電話で解雇対象の従業員に、リストラ宣告をしようとするのです。そのアイディアを提案したのは新人の女性。経済不況によってリストラに掛ける余裕すら企業になくなってきたので、リストラ宣告会社(死刑執行代理人のギルド)が、そのアイディアを採用することになり、主人公にリストラ危機が訪れます。しかも、主人公が新人女性の研修係になりハメになり、ドタバタな騒動が起こり、最終的に悲劇も訪れます。

 ここで見えるのは、リストラですら機械的に処理しようとする会社の冷酷さ、なぜかリストラ宣告スカイプ作戦を思いついて提案するのが新人の女性(女性の社会進出としての比喩?)、自分の利害と相反する企業方針に従わざるをえない中年オトコ、世代間で考えや背景にギャップがある新人を教育する苦悩、自分がクビになるので、担当していた仕事のノウハウを他人に引き継いで、それでお役御免になるという虚しさ。
 
 中年リストラ代理人のリストラ危機、自分のアイデンティティそのものであるマイレージライフを失う不安、本当は、自分の仕事が奪われるのだから嫌々なのに、自分の職務をこなしていく姿は、まるで神様が、今までの自分の行いを振り返りなさいという事で主人公に与えた試練です。

 主人公に家族がいないのは、他人の職業を奪い、もしかしたら他人の人生をめちゃくちゃにしていたかもしれない人間に対して、幸せな家庭生活は値しないということでしょう。実際、アメリカ中を飛び回っており、家族と戯れる時間すらないのですから。

 これは、ダーレン・アーロフスキー監督、ミッキー・ローク主演の「レスラー」にも通じるテーマで、人は一つの事に全てを捧け続けると、やり直しがきかなくなってしまうのです。情熱を捧げると同時に、それ以外の事から頭から離れなくなり、家族を失う、もしくは家族を得る機会を失うというのは、その道を極めてきたプロフェッショナルに対する敬意でもあり、悲劇的な結末を迎えることによって、一つの道を究めるプロフェッショナル的生き方が、どういうモノなのかを知る良い機会になります。

 個人的には、ダーレン・アーロフスキー監督の映画に出てくる主人公の生き方は感動するけど、自分にとって大事な人には、そのような生き方をしてほしくないとも思ってしまいますが・・・。

 結局、こういう映画って、物語終盤に、自分には何もなかったという事を実感するというシーンがあるので、今まで続けてきた事を止められなかった人間に対する、神様からの人生リストラ宣告(?)でもあります。リストラ代理人は、他人の人生に良くも悪くも影響を与えている。長年の経験があるおかげで、人を傷つけないように配慮しながらリストラ宣告を行える為、主人公の人生は崩壊せずに職務を遂行させるが、絶対愛する人と結ばれる機会は一切与えないという神様の意志でしょう。他人をクビにする時に、あれだけ配慮出来るなら、やっぱりモテるのは避けられないよねというのは神様の諦めでしょう。

 ただ、新人女性は、遠隔地スカイプTVリストラ宣告作戦で、実際に自殺者が出てしまい、自分のやった事が正しいのか葛藤に苦しみます。実際なら、新人女性は精神崩壊してもおかしくはありません。新たな道を歩むのですが、これは一体なんの比喩なのか。過去に犯した過ちを簡単に乗り越えてしまう、もしくは忘れてしまう(?)アメリカ人そのものという解釈も出来るかなと思います。

 個人的な解釈なのですが、「人は結局自分の事しか考えてないよ、どんなに綺麗な建前があっても、結局お前ら他人をクビにしないと生きていけないんだろう。自分たちに対してクビを宣告するリストラ代理人も寂しい奴なんだよ」という風刺かと。だから、自分の上司に対してムカついたら、こういう映画を観てスッキリしましょう。他人を自殺に追い込んだ新人女性も新たな道を見つけたわけですから・・・w

 ただ、職務について、あくまでドライなアメリカ人の象徴でしょうか。リストラ話について、個人的に面白かった記事をリンクします。この記事読むと、クビになる側も結構ドライなんじゃないのって思いましたw。ホントかどうかは分かりません。ネタに見えるのですが・・・。


 

2013年6月9日日曜日

いつ「インセプション」見るの、今でしょ。

  「いつ見るか、今でしょ」。インセプションって難しい映画だけど、この映画から逃げてたら、俺はいつ夢から醒めるのか・・・。とりあえずいつ書くか、今でしょということで、インセプションを林センセーに贈ります。

 ダークナイトシリーズが代表作のクリストファー・ノーラン監督、レオナルド・ディカプリオ主演、怪演ケン・ワタナベ、他にも次世代のスター候補ジョセフ・ゴードン・レヴィット、アカデミー賞女優のマリオン・コティヤール等、凄い面々。

 こんな大作にケン・ワタナベが怪演しているなんて、日本人としては、これが現実なのか分からなくなる程の名作、もしくは迷作ですね。

 僕が、この映画で気になったのは、映画中のなかでディカプリオの奥さんであるマリオン・コティヤールが自殺するシーンですね。

 ディカプリオが部屋に戻ってきたら、妻が向井のビルの部屋の窓から飛び降りようとしている風景をみて、必死にディカプリオが止めようとするのですが、結局・・・。

 必死にディカプリオが止めようとして、子供たちの名前を出して妻を説得しようとしても、結局妻は飛び降りてしまう。「いつ落ちるか、今でしょ」と言わんばかりに。

 ディカプリオは、「君がいなくなったら自分の子供達の事はどうするんだ」、コティヤールは「リープオブフェイス、この世界は全て現実じゃないのよ」という形で、現実を考えるオトコと、現実以外の世界を考えるオンナを対比させて描いてますね。結局、目の前の世界は現実ではないという概念が頭の中に刷り込まれていくと、現実感を持って説得しても意味がないのでしょうか・・・。

 妻の自殺によって、ディカプリオは夢の中で妻の幻影に悩まされ続ける。これは、一つの例としてボストンテロでは犯人が宗教にのめり込んで、理性や倫理観の尺度がおかしくなっていくことによって、家族の絆が壊れていくといった事と類推できるかもしれません。

 宗教においても、この世界の秩序は全て神が司っているという概念を刷り込まれた人は沢山いるし、神様という存在自体を信じない人もいる。もし、こういう2種類のタイプが議論し合ったら多分噛み合わない。個人的には、ディカプリオは無神論者、コティヤールは有神論者の対立?、論理でしか考えられない男性脳?、論理だけじゃなくて、明確なモノ以外に対する共感や思いを持とうとする女性脳?の比喩なのかとすら解釈してしまいました。

 いや「いつやるか、今でしょ」というキャッチコピーを聞いて、まともに受ける人ってニコニコ動画やYouTubeでアップされているパロディー動画ぐらいかもしれませんが、こういうキャッチコピーが話題になること自体が、日本にとってエポックメイキングな瞬間かもしれない。
 
 「いつやるか、今でしょっ」て言われても、勇気を振り絞ってやれるかと言えば普通は出来ない。それ以外にも、自分は何をやるべきか、なぜやるべきか、それをやる事によって自分は何を得るか・何を失うか、本当に意味がある事なのか?等、様々な判断尺度があり、人間は考え込んでしまうからです。

 ゴチャゴチャ考えてないで、さっさとやれよ、マリオン・コティヤールがビルから飛び降りたみたいに、なんて言われたら、やっぱり不信感や不満を持つのは、やるかやらないかで判断出来るわけないだろうという、現実を視ろよ・・・という反論に他ならない。

 「現実を視よ論」対「考えずにさっさとやれよ論」、の対立、回りくどく考えると、無神論対有神論の戦いであって、無神論の日本人に、神様がいるから、きっとうまく行くと布教する人間に対する反発なのでしょうか。

 この映画のテーマは、人々が現実感を失っている事に対する警鐘みたいで、クリストファー・ノーラン監督曰く、目の前の実際に起きている事を現実として認識しよう、といった主張が込められているそうなんですが・・・。

 今起きている事は、人間という生き物が歯車として回った結果であって、それ以上でもそれ以外でもないですよね。その現象に、神が秩序を司っていると解釈する人もいれば、全部夢であると認識する人もいる。

 目の前に起きている事について、ゴチャゴチャ御託を並べるんじゃない。今起きていることは、現実とで起こっているんだ・・・。

 しかし、それが本当かどうか。神が世界の秩序を司っているかもしれないし、やっぱり夢かもしれない。結論が出ないのは、死後の世界を経験した人がいないからでしょう。誰も死後の世界を覚えている人、いないですからね。だけど死後の世界がどういうモノか気になるから、常に人間は不安になって考えたり想像したりする。

 あら、これは無限後退の文章になっておる。どうやら筆者がインセプションの世界に引き込まれ、妄想するハメになりました。

 「いつやるか、今でしょ」が、これだけ複雑な概念を考える機会になるなんて、今まで私は何をやってきたんだろうか。

 これほどシーンの不自然な点を指摘する動画が意味ない映画はないかもしれません。だって、不自然なシーンですら、わざとそういう演出をしたのかもしれないですし、もしかしたら錯覚かもしれない・・・
 
 
 

2013年6月4日火曜日

誰も知らない悲劇を描いた「THE INVISIBLE WAR」

橋下市長の慰安婦問題が未だに収まりませんね。選挙が近いんだから、もう少し体裁というものを考えた方がいいと思うんですが、未だにツイッターで発狂しているようです。

挙句の果てにはオスプレイの訓練を大阪でやりましょうとまるでソフトバンクの孫社長ばりのハリキリ具合。そのままいくと、ハリキリすぎて日本維新の会の首脳陣が腹切りを余儀なくされる気がするので、不安で仕方がない日本維新の会にお勧めのドキュメント映画、「The Invisible War」でも見て、欧米の橋下バッシングに対する対策でも考えたらいかがでしょうか。

 「The Invisible War」が焦点に当てるのは、女性の社会進出、軍隊の兵士として女性が入隊するが、男性兵士のレイプ被害に苦しむ現状である。

沖縄における米兵の犯罪は後を絶たない現状に腹を立て、橋下市長は在日米軍の司令官に、日本の風俗を合法的に使って男性兵士の性的欲求を発散すべきといったそうですが、この映画見ると、そんな悠長な事を言ってられる状態ではない事が分かる。というより、米軍自体が女性兵士のレイプ被害に頭を抱えている状況で、橋下発言はブラックジョークにも程があるってレベルなのだ。

除隊後は、普通の女性として結婚し、今では愛する夫と娘がいる幸せな女性。しかし軍所属時、男性兵士にレイプされていた経験を持っていたとしたら、どう思うか。その女性を心から愛する男性なら、耐えられない過去に他ならないだろう。

女性の社会進出が進んで、米軍に占める女性の割合は全兵士中の1割強。日本の自衛隊に比べれば、かなり多い数字であるが、未だに女性がマイノリティである。どの部隊でも、自分一人が女性で、他のメンバーは全て男性というのもザラにある。そして、不意に味方である男性兵士からレイプそして輪姦される。インタビュー中の女性は、自身がレイプされた経験を語るときは、涙目で思い出したくない過去を視聴者の前でさらけ出す。

「 彼は私をレイプしたの・・・」
「私はあの男に5回レイプされたわ。」
「 コンクリートの上で、力づくで犯されたわ。」

1991年の議会証言では、 20万人の女性兵士にレイプされたとの試算まである。しかし、試算は自身のレイプ経験を報告していない女性は含まれていないので、この数倍の数が実際にレイプされたと思われる。

最近の映画では、「ウィンターズ・ボーン 」で、生活に困窮した主人公(ジェニファー・ローレンス)が生活費を稼ぐ為に入隊志願をするという描写があったが、女性が軍隊を志願する理由は様々だ。経済的な理由もあれば、父親が軍人であったので、同じ道を進んだ女性もいる。

軍隊に入隊する前に、一切男性経験を持たず、入隊後にレイプされることで初体験を経験する女性の告白は衝撃的であった。特に、その経験を軍人であった父親に告白し、父親は残酷な現実に直面するのだ。

そういう厳しい現実に直面する女性兵士は、泣き寝入りせざるをえない。もし、自分がレイプされた事を報告しようとすれば、降格や、奨学金免除の待遇を失う可能性があるからだ。閉ざされた空間の中では、不正を揉みつぶそうとする権力に女性兵士は対抗する手段がない。予め試算された被害者の総数を正確に把握できない理由でもある。実際、除隊後に レイプされた経験を告白するしかないのが現状なのだ。

 レイプされた経験から、潰れていく女性も後を絶たず、ストレスからドラッグに浸り、除隊後にホームレスになった女性の4割はレイプ被害を受けているという。これでは、女性が軍隊に入隊する意味がない。まるで、女性兵士が軍内売春婦のような扱いである。レイプされた時の心の苦しみは、PTSDとして一生女性の人生に付きまとう。

レイプ問題は、軍隊という特殊な組織に深く根付いた問題である。男性優位の権力構造や、実際海軍に入隊する新兵の15%は、入隊前にレイプ加害者になったというデータもあり、常人に比べて性的衝動を抑えられない人が、軍隊という閉ざされた場所に閉じ込められれば、マイノリティで非力な女性がレイプ被害に合うのは自明の理でもあった・・・。

結局、レイプ加害者は罰せられる事も殆どない、このドキュメント映画の中では・・・(例外もある)。軍当局は。レイプ被害を完全に排除できるとも思っていないし、臭いものには蓋をしたいだけだった。レイプ被害を防ぐには、軍隊に入隊する人間を人格的な面から評価し、危険な人物をふるい落とす事と、レイプに対する罰則を設けて、実際にレイプ被害を受けた女性兵士がきちんと告発出来るシステムを整える必要があるが、米軍にそこまで出来るだろうか。

軍隊上層部は、軍内のレイプ問題の解決に消極的で、最近になってオバマ大統領が「国家の恥」と糾弾するようになったが、最初にレイプ問題が報道されてから 20年近く経っても状況の改善どころか、悪化していったのだ。途中でイラク戦争が発生したため、おそらくこの時期はレイプ被害が悪化したと思われる。戦争を行うにも兵隊が足りないため、入隊基準を下げて本来軍隊に入隊できないレベルの男性兵士が増えた。また実際に兵士が戦場に赴いて戦闘に参加したため、平常時とは比べ物にならないほどのストレスが兵士を襲っていたはずだ。

最近になって、大統領が軍内のレイプ問題解決に乗り出したという事は、共和党政権って一体何をやっていたのか。キリスト教福音派の支持を受けていて、婚外交渉を許さない人々から支持を受けた政党なら、共和党こそレイプ問題の解決に取り組むべきだと思うのだが・・・。

ドキュメントの終盤になると、実際にレイプ被害を受けた女性たちが勇気を振り絞って不正義と勇敢に戦う。女性としての権利を確立し、レイプ加害者が犯した罪は、決してInvisibleではない事を証明するために。




橋下市長の慰安婦問題を過大解釈して、他国の軍隊について性的スキャンダルを批判するのも実際は正当で、米軍からすれば図星な点も否めない。かといって、橋下市長を擁護するつもりもない。まずは、アメリカを批判するなら、こういう映画を予め見ておくべきだ。

慰安婦問題に代表される軍隊の性的スキャンダルは、どの国も抱える共通の悩みである。だからこそ、発言内容に配慮しなければ、無用な反発を生むだけである。

橋下市長殿、ツイッターで長文書いている時間があるなら、英語の勉強も兼ねて「The Invisible War」をご覧ください。Youtubeで探せば見つかるかもしれないですし。。。

2013年6月1日土曜日

俺たちニュースキャスター、「ザ・レジェンドオブセクハラ男社会・・・」

マスコミ業界でセクハラ問題が巷を騒がせている。セクシー系お目目パッチリ系アナウンサーの山岸舞彩さんにセクハラした日テレのNEWSZEROプロデューサーは更迭に追い込まれた。どうやら仕事以外の付き合いで頻繁に山岸アナを誘って、顰蹙を買っていた模様。それ以外にも、女性スタッフにも手を出したりと、男性プロデューサーの性的衝動は暴走していたみたいですね。

共同通信でも前人事部長が就職活動中の学生に手を出して社内震撼。どうやら社長交代にまで発展してしまいました。

マスコミは、旧態依然のセクハラ系男尊女卑社会が未だに続いているようで、まさしく「俺たちニュースキャスター」で描かれた女性に対する蔑視や差別は、日本においては変わらないのでしょうね。

「俺たちニュースキャスター」の舞台は1970年代のサンディエゴ。当時のマスコミ業界は、酷い女性差別が存在しておりアメリカ社会が女性に対して抑圧的な社会であった事を告発するコメディ映画。

公開は2004年で、主演はウィル・フェレル。コメディアンとしても有名で、「俺たちフィギュアスケーター」や「ザ・キャンペーン」、「アザー・ガイズ」等、社会批判を含んだ爆笑風刺コメディーに出演していることで有名。他にも、「リトル・ミス・サンシャイン」や「40歳の童貞男」で有名なスティーブ・カレルなど、有名なコメディアンが勢ぞろい。

主人公のロン・バーガンディ(ウィル・フェレル)は地元で有名なキャスターで、地元のテレビ局の報道番組チャンネル・ニュース4の冠キャスターでもある。他のキャスターとつるみ、4人組で行動して毎日パーティ三昧の日々を送っていた。そんな時に一人の女性キャスターが現れ、主人公のロン・バーガンディが惚れてしまい、積極的にアプローチを掛けるが、その愛した女性キャスター(ベロニカ)が自分の立場を脅かす存在であることを知ったために、嫌がらせをベロニカに仕掛けるという何とも子供じみた主人公・・・。

こんな子供じみた男が、ニュースキャスターとして一線を張っているなんてバカバカしいと思いつつ、当時の報道業界は閉鎖的で内情など視聴者が知る由もない。映画で描かれる事件は、過去に起こった事を再現したもので、アメリカは少し前まで女性差別が酷く多様性など皆無に等しい社会であったのだ。

英エンパイア誌による最高に面白いコメディーランキングで2位に輝くなど、コメディとしての面白さは一級品である。ギャグが非常に派手で、ハチャメチャなブラックジョークが満載。ベロニカがいないところでは、男同士で下ネタを言いあって、偶然その風景を目撃したベロニカが唖然としたり、ロン・バーガンディが自分の男らしさをアピールする為に、上半身裸で筋トレしてる風景をわざと見せたり、挙句の果てにはロンがベロニカにキレて社内で暴走して乱闘になったりと、男の既得権益を守る為に嫌がらせに奮闘するのだ。

マスコミの仕事に女が務まるわけがないと言わんばかりに嫌がらせをしても 、実力社会の中でベロニカがのし上がっていくのだが・・・。というのも、男性キャスター陣が不真面目で、いつでもテキトーだから当然の結果といえば当然。

仕事のライバルでもありながら、惚れた女でもあるので、結局デートに誘ったりして○ッキしてましたけどね。閉鎖的で旧態依然とした文化だからこそ、自分の衝動を抑える事が出来ない男の象徴的なシーンでもある。
 


なぜ、このようなコメディ映画が製作されたのか。それは公開当時の2004年といえばイラク戦争の真っ最中だったからだ。神の正義の名の元に、正義の戦争を仕掛けたはずのアメリカは、少し前までは酷い社会であったじゃないかという社会的メッセージが含まれている。

それが分かるのはラストシーンで、男性4人組キャスターがどうなるかがアナウンスされるのだが、FOXニュースのコメンテーターになるわ、ブッシュ政権の政策アドバイザーになった奴もいる。もちろん後にセクハラでクビになる人もいる。

「俺たちニュースキャスター」は現在のアメリカ社会や政権批判の映画だと分かるようになっており、まるでラストシーンで世界貿易センターを映し出してブッシュ政権を批判したスピルバーグの「ミュンヘン」のような映画です。まあ両作ともドリームワークス製作なので、似てる作品になる事は避けられないのでしょう。

とはいっても、ハチャメチャコメディでありながらラブストーリーでもあるので、最後にはハッピーエンディングにはなります。ロン・バーガンディ―の性的衝動は結局報われるのだ・・・。

この映画の舞台は1970年代で、一昔前のアメリカ社会の実態を告発するものだが、日本のマスコミは未だに「俺たちニュースキャスター」で描かれた社会そのもの。

橋下市長の在日米軍司令官に対して風俗を使って合法的に兵隊の性的欲求を発散するよう発言した件について、日本のマスコミは必死に批判しているが、他人の風俗発言を批判しておきながら、社員(しかも人事部長・・・管理職だよw)が就活中の学生に手を出したり、番組プロデューサーが、元NHKのスポーツキャスターをしていた山岸アナに手を出したりと、自分たちの方が酷くないか。

他人を批判する前に、社内風紀の乱れたマスコミ業界自体が自分達で厳しく綱紀粛正に努めないと、橋下市長に対する批判に全く説得力がなくなります。というか浮気はしても、学生には手を出してはいないからね、橋下市長は。

とりあえずマスコミの皆さんは、「俺たちニュースキャスター」を見て我が身を振り返っていただければと思います。 合法的に性的欲求を発散すべきなのは自分達ではないかと思えれば、一歩前進。

まあ景気悪いし、経費で落とせないなら、自分で発散してください。セクハラダメ、ゼッタイダメ!

追記:最近大物芸能人のみのもんたが俺たちニュースキャスターばりのセクハラを公然とやったそうで大炎上。公共電波の生放送で、CM放送中だからって油断するなって思います。少なくとも映画みたいに、生放送中にはセクハラはするなよ・・・。いや、セクハラダメ、ゼッタイダメ!

とりあえず、みのもんたの朝ズバという番組名、みのもんたの尻ズバって番組名に変えて欲しいと思います。所属事務所はニッコクということで、事務所内で不正の密告という事がなければいいと思いますが・・・。