2013年8月24日土曜日

みんなメディアは左翼偏向と叩くけど(実際問題なのは間違いない)、煽ってばっかのメディアも怖いよ(OUTFOXED)

 日本においては、マスメディアの大半が反日という地獄絵図で、東京新聞ジャーナリストの長谷川幸洋さんの記事でジャーナリストは左じゃなくちゃいけないと本気で考える理性を失った方々が、日本のマスメディアの主流であって、偏向は当たり前なのですね。

 靖国参拝で安倍首相や内閣閣僚が参拝すると、中国や韓国に対して歴史問題に対して配慮が出来ていないとしきりに繰り返す日本の左翼メディア。

日本において左翼=反日本、親中韓なので、日本が悪いと言えば問題がないと本気で考えているようです。

 ただアメリカにも同じような問題があります。メディアという私達が情報を得る手段でもありがなら、国民を扇動し、国家が間違った方向に突入してしまう危険性に警鐘を鳴らしたドキュメントが「OUTFOXED」です。

 題名のOUTFOXとは、相手を出し抜く、裏をかくという意味で、アメリカのニュースチャンネルFOXニュースとかけて付けられました。

 FOXニュースとは、世界のメディア王であるルパート・マッドック率いるニューズ・コーポレーション傘下のニュースチャンネルで、アメリカにおいても強大な影響力を誇るメディアです。

 ドキュメントは、FOXニュースが極めて偏った報道によって、国民を煽りイラク戦争に導いたのではないかと糾弾する内容で、インタビューとしてFOXニュース製作に関わっていたスタッフや、CBSの有力キャスターであったウォルター・クロンカイト、同時多発テロで父親を亡くしたがアフガン戦争に反対する男性が出ています。

 またFOXニュースの報道戦術を紹介しており、いくつか紹介します。

 ①POLLING,GRAPHICS, AND MUSIC(

  スローガンとグラフィック、音楽で視聴者をメロメロにさせろ。グラフィックに国旗を入れて、BGMに壮大な音楽入れれば、脳内ドーパミンが放出されて中毒にさせるべし。スローガンは「FAIR & BALANCE」

 ②NEWS COMMENTARY & AD LIBS

 ずっとコメンタリーは、ビル・オライリーで決まり。ビル・オライリーにインタビュー担当させて、少しでも意図しない反応が返ってきたら一言「Shut up」で終わり。あと民主党がバカに見えるような広告を入れて共和党カッコいいよねみたいに見せる。あとFOXニュースの意図に合わない意見は一切排除。
 
 ③SOME PEOPLE SAY

 誰が言ったんだよ、それっていう内容を根拠にして、報道の根拠にする。インタビューでは、○○と誰かが言ってたんだけど、これどう思いますかって、インタビュー相手にぶつける。無論、意味が分からないので・・・になります。引用元は、誰かなのです。(ある○○官僚曰くっていう日本の報道を同じ?)

 ④EXPERTS

 FOXニュースに出てくるコメンテーターは、全部お金貰って主張内容は予め決められています。あとコメンテーターは別に有名じゃなくていいですよ、FOXニュースの言いたい事言ってくれればね。

 ⑤OPERATION CHARACTER ASSASSINATION

 ブッシュ政権にとって危険な人物は徹底的に叩く、叩く、叩く。無害になるまでね・・・



 これ以外にも・・・。書くのが面倒になるぐらいなんですよ。あまりにバカバカしくて。あとはご自身で見て頂ければと思います。

 FOXニュースは、アメリカの報道が左翼偏向なので、逆に右翼偏向メディアを作ればいいじゃないかということで生まれたのですが、人種、性、戦争等一切手抜きがありません。差別的な内容を報道することによって、庶民が扇動されてしまうという恐ろしい事実。

 またイラクが大量破壊兵器を保有いるとニューヨークタイムズのジュディス・ミラー記者が捏造した事件も有名で、アメリカでも左翼メディアが日本の戦前の朝日新聞になってしまいました。

 メディアとして最悪最凶の姿が、「OUTFOXED」にあります。NHKや民放の報道も、基本は同じ手法なので、マスメディアが偏向報道を行う時の手口を勉強されたい方は、是非お勧めしたいドキュメント映画です。

 国民の為に全力を尽くす国士でも、マスメディアが気に入らないとなれば、徹底的に叩く。そして政治生命が失われるという結末。それで、どれほど日本の国益を破壊したか・・・

 マスメディアは、真実を客観的に公平な視点で報道する事はないと肝に銘じた方がよいでしょう。マスメディアにとっての正義は、自分たちにとって気に入らないモノは徹底的に叩くに他なりませんから。

 それにしても、ルパート・マードックと組んでテレビ朝日を買収しようとしたソフトバンクの孫正義さんは一体何を考えていたのでしょうかね。テレビ朝日買収が成功していたとしたら、まさか朝日がFOXニュースみたいな右翼メディアになっていたのでしょうか。日本を良くしたいと思うなら、テレビ朝日をルパート・マードックの支配下に置くのは良くない。いや、それに気づいたから孫社長、テレビ朝日買収を諦めたのか・・・。やっぱり孫さん偉大だよ。心置きなくアメリカの別荘でゴルフ三昧な日々を過ごしていただきたい。

 世界最大の動画サイトにUPされているかもしれませんので、興味がある方はどうぞ。
  
   

2013年8月7日水曜日

メディア業界狂騒戯曲「ネットワーク」

  「ワタシはテレビの前で自殺する事を予告する」から、「テレビなんて全て幻想である、さっさとTVを消すのだ」・・・。

 シドニー・ルメット監督の傑作「ネットワーク」で、主人公で大手メディアUBSの報道番組で主人公であり、長年ニュースキャスターを務めてきたハワード・ビール。

 報道業界に携わる人々は、視聴率競争や収益確保、製作者側の野心によって、全員気が狂ってるぜ・・・という報道業界風刺映画が「ネットワーク」です。

 いきなり始まりがナレーションから始まり、ハワード・ビールが番組で「私は公開自殺する」なんて言い放つ。もちろん、他のメディアも、その発言を取り上げ世の中大騒ぎ・・・。理由は視聴率低下によって自分のクビが決まったから、ちょっと気が狂ってしまいました。

 公開自殺予告の後、製作陣は大慌て。ということで、株主にどう説明するか悩みます。いきなり株主ですか・・・。報道業界の倫理はどこに逝ったの?って言うのが映画の始まりです。

 こんな事日本ではありえませんが、「ネットワーク」が公開された当時(1976年)のアメリカ社会は、ウォーターゲート事件やベトナム戦争終結、アメリカとソ連のイデオロギー対立、中流階級における夫婦交換の流行、宗教問題、石油危機等もう激動の時代でした。

 こういう激動の時代になると、報道のネタも事欠かないが、視聴率競争の為に番組内容がどんどん極端になり、いつの間にかハワード・ビールがテレビ宣教師のようになってしまうのです。ヒトラーのように大衆を扇動していきます。報道を通じて・・・。

 何故報道内容がどんどん極端になり、視聴率競争の為に手段を選ばなくなるか。単なる収益確保だけではないのです。いや、私達にとって身近な出来事によって狂っていくのです。

 まず最初のナレーションに、ハワード・ビールが妻と死に別れ、鬱的症状に悩まされアルコール中毒になり、視聴率低下も重なって解雇通告を受けたと解説されます。家族の不幸と、仕事の不幸が重なり合うことで、ハワード・ビールが狂っていくのです。それが、一キャスターがテレビ宣教師のようになり、世の中は不正ばかりだ、テレビでやっている事は全て嘘だと大衆を煽り、国民の怒りを糾弾するアイコン的象徴になるという・・・。

 それなら、即降板させてハワード・ビールをテレビに出さないようにすべきですが、視聴率競争に使えると思った女性プロデューサーがハワード・ビールを使う事にしました。その女性プロデューサーが実権を握り、視聴率獲得の為に極端な報道番組を作っていきます。最初は、物珍しさに注目が集まり、視聴率競争でダントツになり、表彰される一大センセーショナルになるのですが、途中で大株主を批判するような発言等が目立ち、番組制作がうまく行かなくなり、結局視聴率が落ちはじめて・・・というシナリオです。

 この映画で描かれる問題は、現代のメディアが抱えている問題そのものです。

 ①マスメディアの倫理崩壊で、差別的・扇動的内容を報道することによって、視聴率を稼ごうとする。報道ではなく、単なるプロパガンダになってしまい、国民を間違った方向に向かわせる危険性。

 ②株主利益のために収益拡大に走らざるをえず、それが視聴率競争を過熱させ公平な報道が不可能になる。また、大株主の利害関係で報道機関におけるタブー的内容が増え、公平な報道が成り立たなくなる危険性。

 ③極端な報道ばかりする番組を流しても、報道主の大手メディアは責任を取らない。番組制作中断で終わり・・・。

 アメリカのメディアにおいては、FOXニュースはニュース・コーポレーション傘下であり、ルパート・マードックの意図通りに報道されますね。またNBCもGE参加のメディアである以上、GEに不利益になる報道がやりづらい状況が生まれてしまう。「ネットワーク」では、ハワード・ビールがUBSの大株主であるCCAという企業を批判することによって急展開を迎え、現代のメディアコングロマットに対する危険性を示唆しています。

 この映画における描写は滑稽で、報道に全てを掛ける人達が織りなす人間ドラマという見方をすると、絶対面白く感じません。だからこそ、落ち着いて見れるのですが、映画の中で描かれる問題が現代のメディアに起こっていると思うと、怖い気持ちにもなります。報道もビジネスの一つなのでしょうか・・・。

 登場人物が虚飾にまみれた視聴率ジャンキーで、男も女もみんな狂っている人ばかり。こんな人達が今のテレビ番組を作ってるんじゃないの?と思うようになったら、それはそれで一種の洗脳かもしれません。

 映画の途中、女性プロデューサーがUBS内で表彰されるシーンがあるのですが、「私達は視聴率トップのメディアになるのよ」と言ったら、参加した社員全員発狂します。ハワード・ビールが番組でオーディエンスを煽って絶叫する反応とうり二つ。番組作っている人たちも、煽られる大衆も大して変わらない。かたやビジネスを視聴率狂騒と割り切って、視聴率取れるなら内容なんてどうでもいい、かたや面白くて、自分の怒りを代わりに吐き出してくれる番組サイコ―と思う視聴者・・・。

 報道に携わる人々も、やっぱり人間なんですね・・・。
 

2013年6月30日日曜日

ソーシャルネットワークとは一体何だったのか


2010年に公開され、第83回アカデミー賞でも多数の部門賞にノミネートされ、評論家からの評価も高いソーシャルネットワーク

 この映画は、日本人にとってアメリカの学生生活の一端を観れる機会であり、ハーバードの学生でも、起業のモチベーションってオンナなのかって思った方もいると思います。

 世界最大のSNSであるFacebookの創設者であるマーク・ザッカ―バーグの学生時代に焦点を当て、なぜFacebookが作られたのか、当時の関係者における人間関係、誰のアイディアがFacebookの元になったかを争うといったドタバタストーリ-でした。

 この映画は、シェークスピア劇が根底にあり、お金や会社といったモノを手に入れたオトコが、他人に対する配慮が苦手で四方八方に敵を作ってしまい、自分の好きなオンナを手に入れる事が出来なかったという物語なのですが、こういう映画は沢山作られているそうですね。詳しくは町山さんの映画特電をご参照ください。
 
ソーシャルネットワークの最大の問題点は、Facebookの開発に関わった人たちに対する皮肉・風刺的(?)人間ドラマに焦点が当てられすぎており、一体Facebookとは何なのか、映画の中で語られていないことです。

 監督のデービッド・フィンチャーや脚本のアーロン・ソーキン自体がFacebookを使っても全く理解出来なかったそうで・・・。実際に使っても分からないなら、Facebookをシェークスピア劇として描くのも仕方ないことかもしれません。

 一体ソーシャルネットワークとは何だろうか。インターネット上で、人と人を繋ぐ媒体としてのソーシャルネットワーク、映画が作られて約3年経った今こそ、ある程度ソーシャルネットワークの概念が形成されつつあると感じます。

 ソーシャルネットワークは、ミスコンテスト的な個人のプライベートを他人にアピールする手段として、日本では成り立ちつつありますね。筆者のアカウントを見ると、ニュースフィードに載っている内容は以下の要素に分類できます。

 ①パーティーやイベント等の写真を共有し、男女がカメラに向かって上目目線でピースサイン

 ②有名人等の講演会や、主催イベント開催の告知

 ③友人が取った写真の共有(旅行やプライベートで訪問した場所についての写真など)

 ④友達とは全く関係ない企業広告(勝手に表示されるようになりましたね、最近)


 ざっと挙げれば、上記のようになるでしょう。あとは、それぞれアップした内容に対してコメントしたり、「いいね」ボタンを押したりして、自分の感想等を相手に伝えるといったところでしょうか。

 デビッド・フィンチャーやアーロン・ソーキンが、Facebookを理解出来ないのも無理はありませんね。Facebookで、自分の主催イベントを広告して、人を呼び集め、派手で豪華なパーティー内容を共有し、自分がどれだけ活動的で社交的かをアピールする手段になりつつある。

 ミスコンテストですよね、こういうのは。外面を衣装や化粧で取り繕って、パーティーやイベントに参加して、いかに自分の生活が充実しているかをアピールする。そして、友人を増やし人脈を広げていくのである。目的は、金儲け、婚活、暇つぶし等、様々であると思う。

 それが良いことか悪いことかは判断しかねるが、自分にとって得な事を発信し、周りからの共感や支持を得たいという認知欲求の象徴なのではないか。自分というモノを商品化して宣伝するなら、商業主義的な広告ビジネスと変わらなくなる。

 Facebookはユーザーを不幸せにするという研究結果もあるようで・・・。やはり、自分より充実した生活を送る他人に対して、羨望や嫉妬等の感情が生まれるのも避けられない事。

 ソーシャルネットワークという映画は、市民ケーンが元になっていると言われる。市民ケーンとは、実在した新聞王ランドルフ・ハーストをモチーフに、金や名声、権力を手に知れた男に対する風刺映画であり、何もかも手に入れた男も、愛する女や母親の愛情だけは手に入れる事が出来なかったと脚色することで、成功者をバカにしたいという嫉妬心が根底にあるのでしょう。

 誰もが自分より成功している人間に対して嫉妬心を持つとしたら、Facebookでパーティー写真を見ると、自分も負けられないと思い発奮したり、こういうノリに付いていけないと思い全くFacebookを見なくなる人もいるでしょう。もしくは、現実の人間関係に疲れ果て、仮想社会における空虚な人間関係に精を出す人もいる。

 結局、どんな新しいアイディアやツールが生まれても、本質的なモノは昔から変わらない。自分より上手く行っている人間に対して、どうしても冷やかしたくなる人が存在するのです。

 ネットという技術が新しいモノだから、人が他人に嫉妬する形が変わってきただけかもしれない。結局、お金いっぱい稼いだみたいだけど、だから何なのさ?っていう不毛なやり取りが繰り返されるのか。



 

2013年6月16日日曜日

リストラ代理人としての「マイレージ・マイライフ」

ジョージ・クルーニー主演のリストラ代理人の生き様を面白おかしく描いた「マイレージ・マイライフ」。リストラという言葉は、学生を卒業したら、結婚の次に怖い言葉になります。

 アメリカにはリストラ代理人が実在するそうで、従業員を解雇する際に、会社が代理人を利用して解雇の意向を伝えるのです。

 そのリストラ代理人のプロとしてアメリカ中を回るベテランエージェントをジョージ・クルーニーが演じます。顔付きや雰囲気は仕事の出来るチョイ悪オヤジです。


 一つだけ苦手な事があって、ジョージ・クルーニーと同じで、家に帰った後に自分を待っている家族を作れなかったのです。仕事と、オンナ遊びに没頭するオトコこそが、リストラ代理人としての主人公であり、ある意味アメリカ人の象徴なのでしょうか。

 この映画は、おそらく見たくもないと思う方もいると思います。リストラなんて誰もしたくないですし、誰もがリストラを避けたいと思うのが自然です。なぜ主人公がリストラ代理人稼業を続けるのか、人間的におかしい人なのではないかと思って当然でしょう。

 しかし、主人公も、もしリストラを受けたら他にやることがないのです。自分は仕事で、他人をリストラするくせに、自分はリストラ稼業にしがみ付くという皮肉。これも監督のジェーソン・ライトマンの演出が面白いですね。

 だから、神様は主人公に試練を与えました。自分がリストラされそうになるのです。インターネット上で、遠隔地からスカイプのようなTV電話で解雇対象の従業員に、リストラ宣告をしようとするのです。そのアイディアを提案したのは新人の女性。経済不況によってリストラに掛ける余裕すら企業になくなってきたので、リストラ宣告会社(死刑執行代理人のギルド)が、そのアイディアを採用することになり、主人公にリストラ危機が訪れます。しかも、主人公が新人女性の研修係になりハメになり、ドタバタな騒動が起こり、最終的に悲劇も訪れます。

 ここで見えるのは、リストラですら機械的に処理しようとする会社の冷酷さ、なぜかリストラ宣告スカイプ作戦を思いついて提案するのが新人の女性(女性の社会進出としての比喩?)、自分の利害と相反する企業方針に従わざるをえない中年オトコ、世代間で考えや背景にギャップがある新人を教育する苦悩、自分がクビになるので、担当していた仕事のノウハウを他人に引き継いで、それでお役御免になるという虚しさ。
 
 中年リストラ代理人のリストラ危機、自分のアイデンティティそのものであるマイレージライフを失う不安、本当は、自分の仕事が奪われるのだから嫌々なのに、自分の職務をこなしていく姿は、まるで神様が、今までの自分の行いを振り返りなさいという事で主人公に与えた試練です。

 主人公に家族がいないのは、他人の職業を奪い、もしかしたら他人の人生をめちゃくちゃにしていたかもしれない人間に対して、幸せな家庭生活は値しないということでしょう。実際、アメリカ中を飛び回っており、家族と戯れる時間すらないのですから。

 これは、ダーレン・アーロフスキー監督、ミッキー・ローク主演の「レスラー」にも通じるテーマで、人は一つの事に全てを捧け続けると、やり直しがきかなくなってしまうのです。情熱を捧げると同時に、それ以外の事から頭から離れなくなり、家族を失う、もしくは家族を得る機会を失うというのは、その道を極めてきたプロフェッショナルに対する敬意でもあり、悲劇的な結末を迎えることによって、一つの道を究めるプロフェッショナル的生き方が、どういうモノなのかを知る良い機会になります。

 個人的には、ダーレン・アーロフスキー監督の映画に出てくる主人公の生き方は感動するけど、自分にとって大事な人には、そのような生き方をしてほしくないとも思ってしまいますが・・・。

 結局、こういう映画って、物語終盤に、自分には何もなかったという事を実感するというシーンがあるので、今まで続けてきた事を止められなかった人間に対する、神様からの人生リストラ宣告(?)でもあります。リストラ代理人は、他人の人生に良くも悪くも影響を与えている。長年の経験があるおかげで、人を傷つけないように配慮しながらリストラ宣告を行える為、主人公の人生は崩壊せずに職務を遂行させるが、絶対愛する人と結ばれる機会は一切与えないという神様の意志でしょう。他人をクビにする時に、あれだけ配慮出来るなら、やっぱりモテるのは避けられないよねというのは神様の諦めでしょう。

 ただ、新人女性は、遠隔地スカイプTVリストラ宣告作戦で、実際に自殺者が出てしまい、自分のやった事が正しいのか葛藤に苦しみます。実際なら、新人女性は精神崩壊してもおかしくはありません。新たな道を歩むのですが、これは一体なんの比喩なのか。過去に犯した過ちを簡単に乗り越えてしまう、もしくは忘れてしまう(?)アメリカ人そのものという解釈も出来るかなと思います。

 個人的な解釈なのですが、「人は結局自分の事しか考えてないよ、どんなに綺麗な建前があっても、結局お前ら他人をクビにしないと生きていけないんだろう。自分たちに対してクビを宣告するリストラ代理人も寂しい奴なんだよ」という風刺かと。だから、自分の上司に対してムカついたら、こういう映画を観てスッキリしましょう。他人を自殺に追い込んだ新人女性も新たな道を見つけたわけですから・・・w

 ただ、職務について、あくまでドライなアメリカ人の象徴でしょうか。リストラ話について、個人的に面白かった記事をリンクします。この記事読むと、クビになる側も結構ドライなんじゃないのって思いましたw。ホントかどうかは分かりません。ネタに見えるのですが・・・。


 

2013年6月9日日曜日

いつ「インセプション」見るの、今でしょ。

  「いつ見るか、今でしょ」。インセプションって難しい映画だけど、この映画から逃げてたら、俺はいつ夢から醒めるのか・・・。とりあえずいつ書くか、今でしょということで、インセプションを林センセーに贈ります。

 ダークナイトシリーズが代表作のクリストファー・ノーラン監督、レオナルド・ディカプリオ主演、怪演ケン・ワタナベ、他にも次世代のスター候補ジョセフ・ゴードン・レヴィット、アカデミー賞女優のマリオン・コティヤール等、凄い面々。

 こんな大作にケン・ワタナベが怪演しているなんて、日本人としては、これが現実なのか分からなくなる程の名作、もしくは迷作ですね。

 僕が、この映画で気になったのは、映画中のなかでディカプリオの奥さんであるマリオン・コティヤールが自殺するシーンですね。

 ディカプリオが部屋に戻ってきたら、妻が向井のビルの部屋の窓から飛び降りようとしている風景をみて、必死にディカプリオが止めようとするのですが、結局・・・。

 必死にディカプリオが止めようとして、子供たちの名前を出して妻を説得しようとしても、結局妻は飛び降りてしまう。「いつ落ちるか、今でしょ」と言わんばかりに。

 ディカプリオは、「君がいなくなったら自分の子供達の事はどうするんだ」、コティヤールは「リープオブフェイス、この世界は全て現実じゃないのよ」という形で、現実を考えるオトコと、現実以外の世界を考えるオンナを対比させて描いてますね。結局、目の前の世界は現実ではないという概念が頭の中に刷り込まれていくと、現実感を持って説得しても意味がないのでしょうか・・・。

 妻の自殺によって、ディカプリオは夢の中で妻の幻影に悩まされ続ける。これは、一つの例としてボストンテロでは犯人が宗教にのめり込んで、理性や倫理観の尺度がおかしくなっていくことによって、家族の絆が壊れていくといった事と類推できるかもしれません。

 宗教においても、この世界の秩序は全て神が司っているという概念を刷り込まれた人は沢山いるし、神様という存在自体を信じない人もいる。もし、こういう2種類のタイプが議論し合ったら多分噛み合わない。個人的には、ディカプリオは無神論者、コティヤールは有神論者の対立?、論理でしか考えられない男性脳?、論理だけじゃなくて、明確なモノ以外に対する共感や思いを持とうとする女性脳?の比喩なのかとすら解釈してしまいました。

 いや「いつやるか、今でしょ」というキャッチコピーを聞いて、まともに受ける人ってニコニコ動画やYouTubeでアップされているパロディー動画ぐらいかもしれませんが、こういうキャッチコピーが話題になること自体が、日本にとってエポックメイキングな瞬間かもしれない。
 
 「いつやるか、今でしょっ」て言われても、勇気を振り絞ってやれるかと言えば普通は出来ない。それ以外にも、自分は何をやるべきか、なぜやるべきか、それをやる事によって自分は何を得るか・何を失うか、本当に意味がある事なのか?等、様々な判断尺度があり、人間は考え込んでしまうからです。

 ゴチャゴチャ考えてないで、さっさとやれよ、マリオン・コティヤールがビルから飛び降りたみたいに、なんて言われたら、やっぱり不信感や不満を持つのは、やるかやらないかで判断出来るわけないだろうという、現実を視ろよ・・・という反論に他ならない。

 「現実を視よ論」対「考えずにさっさとやれよ論」、の対立、回りくどく考えると、無神論対有神論の戦いであって、無神論の日本人に、神様がいるから、きっとうまく行くと布教する人間に対する反発なのでしょうか。

 この映画のテーマは、人々が現実感を失っている事に対する警鐘みたいで、クリストファー・ノーラン監督曰く、目の前の実際に起きている事を現実として認識しよう、といった主張が込められているそうなんですが・・・。

 今起きている事は、人間という生き物が歯車として回った結果であって、それ以上でもそれ以外でもないですよね。その現象に、神が秩序を司っていると解釈する人もいれば、全部夢であると認識する人もいる。

 目の前に起きている事について、ゴチャゴチャ御託を並べるんじゃない。今起きていることは、現実とで起こっているんだ・・・。

 しかし、それが本当かどうか。神が世界の秩序を司っているかもしれないし、やっぱり夢かもしれない。結論が出ないのは、死後の世界を経験した人がいないからでしょう。誰も死後の世界を覚えている人、いないですからね。だけど死後の世界がどういうモノか気になるから、常に人間は不安になって考えたり想像したりする。

 あら、これは無限後退の文章になっておる。どうやら筆者がインセプションの世界に引き込まれ、妄想するハメになりました。

 「いつやるか、今でしょ」が、これだけ複雑な概念を考える機会になるなんて、今まで私は何をやってきたんだろうか。

 これほどシーンの不自然な点を指摘する動画が意味ない映画はないかもしれません。だって、不自然なシーンですら、わざとそういう演出をしたのかもしれないですし、もしかしたら錯覚かもしれない・・・
 
 
 

2013年6月4日火曜日

誰も知らない悲劇を描いた「THE INVISIBLE WAR」

橋下市長の慰安婦問題が未だに収まりませんね。選挙が近いんだから、もう少し体裁というものを考えた方がいいと思うんですが、未だにツイッターで発狂しているようです。

挙句の果てにはオスプレイの訓練を大阪でやりましょうとまるでソフトバンクの孫社長ばりのハリキリ具合。そのままいくと、ハリキリすぎて日本維新の会の首脳陣が腹切りを余儀なくされる気がするので、不安で仕方がない日本維新の会にお勧めのドキュメント映画、「The Invisible War」でも見て、欧米の橋下バッシングに対する対策でも考えたらいかがでしょうか。

 「The Invisible War」が焦点に当てるのは、女性の社会進出、軍隊の兵士として女性が入隊するが、男性兵士のレイプ被害に苦しむ現状である。

沖縄における米兵の犯罪は後を絶たない現状に腹を立て、橋下市長は在日米軍の司令官に、日本の風俗を合法的に使って男性兵士の性的欲求を発散すべきといったそうですが、この映画見ると、そんな悠長な事を言ってられる状態ではない事が分かる。というより、米軍自体が女性兵士のレイプ被害に頭を抱えている状況で、橋下発言はブラックジョークにも程があるってレベルなのだ。

除隊後は、普通の女性として結婚し、今では愛する夫と娘がいる幸せな女性。しかし軍所属時、男性兵士にレイプされていた経験を持っていたとしたら、どう思うか。その女性を心から愛する男性なら、耐えられない過去に他ならないだろう。

女性の社会進出が進んで、米軍に占める女性の割合は全兵士中の1割強。日本の自衛隊に比べれば、かなり多い数字であるが、未だに女性がマイノリティである。どの部隊でも、自分一人が女性で、他のメンバーは全て男性というのもザラにある。そして、不意に味方である男性兵士からレイプそして輪姦される。インタビュー中の女性は、自身がレイプされた経験を語るときは、涙目で思い出したくない過去を視聴者の前でさらけ出す。

「 彼は私をレイプしたの・・・」
「私はあの男に5回レイプされたわ。」
「 コンクリートの上で、力づくで犯されたわ。」

1991年の議会証言では、 20万人の女性兵士にレイプされたとの試算まである。しかし、試算は自身のレイプ経験を報告していない女性は含まれていないので、この数倍の数が実際にレイプされたと思われる。

最近の映画では、「ウィンターズ・ボーン 」で、生活に困窮した主人公(ジェニファー・ローレンス)が生活費を稼ぐ為に入隊志願をするという描写があったが、女性が軍隊を志願する理由は様々だ。経済的な理由もあれば、父親が軍人であったので、同じ道を進んだ女性もいる。

軍隊に入隊する前に、一切男性経験を持たず、入隊後にレイプされることで初体験を経験する女性の告白は衝撃的であった。特に、その経験を軍人であった父親に告白し、父親は残酷な現実に直面するのだ。

そういう厳しい現実に直面する女性兵士は、泣き寝入りせざるをえない。もし、自分がレイプされた事を報告しようとすれば、降格や、奨学金免除の待遇を失う可能性があるからだ。閉ざされた空間の中では、不正を揉みつぶそうとする権力に女性兵士は対抗する手段がない。予め試算された被害者の総数を正確に把握できない理由でもある。実際、除隊後に レイプされた経験を告白するしかないのが現状なのだ。

 レイプされた経験から、潰れていく女性も後を絶たず、ストレスからドラッグに浸り、除隊後にホームレスになった女性の4割はレイプ被害を受けているという。これでは、女性が軍隊に入隊する意味がない。まるで、女性兵士が軍内売春婦のような扱いである。レイプされた時の心の苦しみは、PTSDとして一生女性の人生に付きまとう。

レイプ問題は、軍隊という特殊な組織に深く根付いた問題である。男性優位の権力構造や、実際海軍に入隊する新兵の15%は、入隊前にレイプ加害者になったというデータもあり、常人に比べて性的衝動を抑えられない人が、軍隊という閉ざされた場所に閉じ込められれば、マイノリティで非力な女性がレイプ被害に合うのは自明の理でもあった・・・。

結局、レイプ加害者は罰せられる事も殆どない、このドキュメント映画の中では・・・(例外もある)。軍当局は。レイプ被害を完全に排除できるとも思っていないし、臭いものには蓋をしたいだけだった。レイプ被害を防ぐには、軍隊に入隊する人間を人格的な面から評価し、危険な人物をふるい落とす事と、レイプに対する罰則を設けて、実際にレイプ被害を受けた女性兵士がきちんと告発出来るシステムを整える必要があるが、米軍にそこまで出来るだろうか。

軍隊上層部は、軍内のレイプ問題の解決に消極的で、最近になってオバマ大統領が「国家の恥」と糾弾するようになったが、最初にレイプ問題が報道されてから 20年近く経っても状況の改善どころか、悪化していったのだ。途中でイラク戦争が発生したため、おそらくこの時期はレイプ被害が悪化したと思われる。戦争を行うにも兵隊が足りないため、入隊基準を下げて本来軍隊に入隊できないレベルの男性兵士が増えた。また実際に兵士が戦場に赴いて戦闘に参加したため、平常時とは比べ物にならないほどのストレスが兵士を襲っていたはずだ。

最近になって、大統領が軍内のレイプ問題解決に乗り出したという事は、共和党政権って一体何をやっていたのか。キリスト教福音派の支持を受けていて、婚外交渉を許さない人々から支持を受けた政党なら、共和党こそレイプ問題の解決に取り組むべきだと思うのだが・・・。

ドキュメントの終盤になると、実際にレイプ被害を受けた女性たちが勇気を振り絞って不正義と勇敢に戦う。女性としての権利を確立し、レイプ加害者が犯した罪は、決してInvisibleではない事を証明するために。




橋下市長の慰安婦問題を過大解釈して、他国の軍隊について性的スキャンダルを批判するのも実際は正当で、米軍からすれば図星な点も否めない。かといって、橋下市長を擁護するつもりもない。まずは、アメリカを批判するなら、こういう映画を予め見ておくべきだ。

慰安婦問題に代表される軍隊の性的スキャンダルは、どの国も抱える共通の悩みである。だからこそ、発言内容に配慮しなければ、無用な反発を生むだけである。

橋下市長殿、ツイッターで長文書いている時間があるなら、英語の勉強も兼ねて「The Invisible War」をご覧ください。Youtubeで探せば見つかるかもしれないですし。。。

2013年6月1日土曜日

俺たちニュースキャスター、「ザ・レジェンドオブセクハラ男社会・・・」

マスコミ業界でセクハラ問題が巷を騒がせている。セクシー系お目目パッチリ系アナウンサーの山岸舞彩さんにセクハラした日テレのNEWSZEROプロデューサーは更迭に追い込まれた。どうやら仕事以外の付き合いで頻繁に山岸アナを誘って、顰蹙を買っていた模様。それ以外にも、女性スタッフにも手を出したりと、男性プロデューサーの性的衝動は暴走していたみたいですね。

共同通信でも前人事部長が就職活動中の学生に手を出して社内震撼。どうやら社長交代にまで発展してしまいました。

マスコミは、旧態依然のセクハラ系男尊女卑社会が未だに続いているようで、まさしく「俺たちニュースキャスター」で描かれた女性に対する蔑視や差別は、日本においては変わらないのでしょうね。

「俺たちニュースキャスター」の舞台は1970年代のサンディエゴ。当時のマスコミ業界は、酷い女性差別が存在しておりアメリカ社会が女性に対して抑圧的な社会であった事を告発するコメディ映画。

公開は2004年で、主演はウィル・フェレル。コメディアンとしても有名で、「俺たちフィギュアスケーター」や「ザ・キャンペーン」、「アザー・ガイズ」等、社会批判を含んだ爆笑風刺コメディーに出演していることで有名。他にも、「リトル・ミス・サンシャイン」や「40歳の童貞男」で有名なスティーブ・カレルなど、有名なコメディアンが勢ぞろい。

主人公のロン・バーガンディ(ウィル・フェレル)は地元で有名なキャスターで、地元のテレビ局の報道番組チャンネル・ニュース4の冠キャスターでもある。他のキャスターとつるみ、4人組で行動して毎日パーティ三昧の日々を送っていた。そんな時に一人の女性キャスターが現れ、主人公のロン・バーガンディが惚れてしまい、積極的にアプローチを掛けるが、その愛した女性キャスター(ベロニカ)が自分の立場を脅かす存在であることを知ったために、嫌がらせをベロニカに仕掛けるという何とも子供じみた主人公・・・。

こんな子供じみた男が、ニュースキャスターとして一線を張っているなんてバカバカしいと思いつつ、当時の報道業界は閉鎖的で内情など視聴者が知る由もない。映画で描かれる事件は、過去に起こった事を再現したもので、アメリカは少し前まで女性差別が酷く多様性など皆無に等しい社会であったのだ。

英エンパイア誌による最高に面白いコメディーランキングで2位に輝くなど、コメディとしての面白さは一級品である。ギャグが非常に派手で、ハチャメチャなブラックジョークが満載。ベロニカがいないところでは、男同士で下ネタを言いあって、偶然その風景を目撃したベロニカが唖然としたり、ロン・バーガンディが自分の男らしさをアピールする為に、上半身裸で筋トレしてる風景をわざと見せたり、挙句の果てにはロンがベロニカにキレて社内で暴走して乱闘になったりと、男の既得権益を守る為に嫌がらせに奮闘するのだ。

マスコミの仕事に女が務まるわけがないと言わんばかりに嫌がらせをしても 、実力社会の中でベロニカがのし上がっていくのだが・・・。というのも、男性キャスター陣が不真面目で、いつでもテキトーだから当然の結果といえば当然。

仕事のライバルでもありながら、惚れた女でもあるので、結局デートに誘ったりして○ッキしてましたけどね。閉鎖的で旧態依然とした文化だからこそ、自分の衝動を抑える事が出来ない男の象徴的なシーンでもある。
 


なぜ、このようなコメディ映画が製作されたのか。それは公開当時の2004年といえばイラク戦争の真っ最中だったからだ。神の正義の名の元に、正義の戦争を仕掛けたはずのアメリカは、少し前までは酷い社会であったじゃないかという社会的メッセージが含まれている。

それが分かるのはラストシーンで、男性4人組キャスターがどうなるかがアナウンスされるのだが、FOXニュースのコメンテーターになるわ、ブッシュ政権の政策アドバイザーになった奴もいる。もちろん後にセクハラでクビになる人もいる。

「俺たちニュースキャスター」は現在のアメリカ社会や政権批判の映画だと分かるようになっており、まるでラストシーンで世界貿易センターを映し出してブッシュ政権を批判したスピルバーグの「ミュンヘン」のような映画です。まあ両作ともドリームワークス製作なので、似てる作品になる事は避けられないのでしょう。

とはいっても、ハチャメチャコメディでありながらラブストーリーでもあるので、最後にはハッピーエンディングにはなります。ロン・バーガンディ―の性的衝動は結局報われるのだ・・・。

この映画の舞台は1970年代で、一昔前のアメリカ社会の実態を告発するものだが、日本のマスコミは未だに「俺たちニュースキャスター」で描かれた社会そのもの。

橋下市長の在日米軍司令官に対して風俗を使って合法的に兵隊の性的欲求を発散するよう発言した件について、日本のマスコミは必死に批判しているが、他人の風俗発言を批判しておきながら、社員(しかも人事部長・・・管理職だよw)が就活中の学生に手を出したり、番組プロデューサーが、元NHKのスポーツキャスターをしていた山岸アナに手を出したりと、自分たちの方が酷くないか。

他人を批判する前に、社内風紀の乱れたマスコミ業界自体が自分達で厳しく綱紀粛正に努めないと、橋下市長に対する批判に全く説得力がなくなります。というか浮気はしても、学生には手を出してはいないからね、橋下市長は。

とりあえずマスコミの皆さんは、「俺たちニュースキャスター」を見て我が身を振り返っていただければと思います。 合法的に性的欲求を発散すべきなのは自分達ではないかと思えれば、一歩前進。

まあ景気悪いし、経費で落とせないなら、自分で発散してください。セクハラダメ、ゼッタイダメ!

追記:最近大物芸能人のみのもんたが俺たちニュースキャスターばりのセクハラを公然とやったそうで大炎上。公共電波の生放送で、CM放送中だからって油断するなって思います。少なくとも映画みたいに、生放送中にはセクハラはするなよ・・・。いや、セクハラダメ、ゼッタイダメ!

とりあえず、みのもんたの朝ズバという番組名、みのもんたの尻ズバって番組名に変えて欲しいと思います。所属事務所はニッコクということで、事務所内で不正の密告という事がなければいいと思いますが・・・。



2013年5月31日金曜日

良心を捨てる覚悟を問う「スペル」

サム・ライム監督の最新作「オズ 始まりの戦い」、皆様見られたでしょうか。私は見てません。というより、サム・ライミと言えば、笑って怖いホラームービーというイメージしかないので、スーパーヒーローモノやディズニー系統の映画だと、サム・ライミのイメージとのミスマッチが頭の中に生まれてしまい、多分劇場で寝てしまうだろうとの判断があり、1,800円を劇場に捧ぐ勇気が無かった事を懺悔致します。

 そんなわけで、オズを見てサム・ライミ作品に持たれた学生の方にオススメしたい映画が「スペル」です。原題は「Drag me to hell」で、私を地獄に連れてってといったところでしょうか。

 すごく笑えて、ホラーなのにあんまり怖くないです。だけど、見た人すべてに、倫理的な問い掛けを投げかけています。

 あなたは、他人の人生をめちゃくちゃにしても平常心を保っていられるか、良心を捨てる覚悟はありますか?

 この映画の主人公は、銀行の窓口で貸出業務を担当する女性で、ゾンビに掴まれ喘ぎ声をあげている(叫び、悲鳴?)写真に写っている人です。

 主人公は、経済的に貧しい状況から一生懸命勉強して有名銀行に就職したという頑張り屋さんです。恋人もいて、結婚も近いという幸せな生活を送っていました。しかし、ある老婆に対するローン案件を担当していた事が悲劇を招きます。

 老婆はローン返済に苦しんでおり、主人公に返済期間の延長を依頼します。主人子は、上司に老婆の依頼内容を相談しますが、上司からは依頼内容を断るよう命令されます。自身の良心から、なんとか返済期間を延長出来るよう上司に交渉しますが、首を縦に振りません。仕方なく、主人公は上司の命令通り、老婆にローン返済猶予を断るのですが、これが老婆の怒りを買い、主人公に対して呪い(スペル)を掛けるのです。

 こういう物語は、主人公がハッピーエンドで終わるという結末になりにくいので、まあ悲しい終わり方になるんですが・・・。町山さん解説もどうぞ。

 この映画では、主人公が本当にいい人で、元々経済的に不利な状況で、名門大学を卒業し、銀行OLになったということで、視聴者は凄く共感できます。また結婚を考えている恋人の両親が、ちょっと差別的であったので、主人公に自分の育ちをバカにされたくないという気持ちが生まれて、恋人の両親に理解して貰いたいという気持ちが伝わってくるのです。

 ローン返済猶予をお願いする老婆に対して、自分の良心を捨てて職務を忠実に実行する主人公。責任は、上司の方が重いのですが、老婆は主人公の事しか知らないので、憎悪の行先は主人公になります。それ以外にも、出世を巡って醜い争いにも巻き込まれてしまうという・・・。

 コメディータッチのホラー映画でありながら、内容は私達が日々経験していることに近い。
他人の人生に関わるということは、覚悟が必要なのです。自分、もしくは自分の勤めている組織のために、他人の人生を犠牲するかもしれない。自分の人生を破壊されたと思ったら、復讐の対象になるかもしれない。

 人間とは、自分のために残酷になれるが、復讐のために冷酷になれるのです。映画自体は爆笑シーンの連続ですが、物凄く深いテーマが「スペル」にあります。特に金や名声に関わる憎悪は、どうしても血みどろな仁義なき戦いになっていくのです。

 職務を遂行していく事は尊いこと。その結果他人の人生を犠牲にする可能性もある。物事には良い面悪い面が表裏一体であり、主人公自体の行為を否定できないが、現実を見ると辛い映画です。残酷な現実を見ていると暗い気持ちになるので、残酷なシーンに笑いをいれることによって、少し冷めた視点から、冷静に物事をとらえることが出来ると思います。

 サム・ライミ監督の考え方等の背景は町山さんの解説が分かりやすいデス。

 オズのつぎはスパムで、いかがでしょう?

 

 

 

2013年5月23日木曜日

コーク兄弟って何者?って、「The CAMPAIN」」を見ましょう。

 最近アメリカのリベラルメディア代表格のハフィントン・ポストが創刊して、結構話題のようですね。朝日新聞と連携を取っているそうで、朝日新聞の電子版と何が違うんだろうと思われる方も結構いると思いますが、あんまり変わらなそうですね。

 ニュースメディアというよりも、有識者のブログ記事や投稿がメインだそうで、そんなサイト他に沢山あるんですが、その中で面白い記事がありました。

 コーク兄弟は何者?ということで、コーク兄弟がアメリカのニュースメディアを買収しようとする背景を解説する記事です。

 しかし、日本人でコーク兄弟と聞いてピンとくる人なんであまりいないでしょう。という筆者も、アメリカのティーパーティー運動の活動資金をコーク兄弟が出しているという報道を見て初めて知った位ですから・・・

 中岡望さんの記事もあるんですが、 文章読んでコーク兄弟について詳しく知りたい人は、「The CAMPAIN」という映画を観ると良いと思います。

 この映画は選挙活動コメディで、アメリカの政治活動や過激な選挙活動を皮肉った映画なのですが、コーク兄弟をモチーフにしたモッチ兄弟という人物が出てきます。

 出演者は、ウィル・フェレルとザック・ガリフィアナキス。ノースカロライナ州の選挙で共和党下院議員として再選を目指すキャム・ブレイディ(ウィル・フェレル)と、無名であったが大富豪のモッチ兄弟を取り込んでブレイディに対抗しようとするマーク・ハギンス(ザック・・・)が引き起こすドタバタコメディですが、映画としては面白いかと聞かれればノーコメントですw。

 コーク兄弟は、保守派の中でも最右翼で、石油化学産業のオーナーです。莫大な資金力を持ち、共和党を支持し、オバマ政権にとっては天敵です。基本的に民主党のリベラル政策に反発し、国民皆保険創設に反対、金持ち増税は不当であり累進課税制度をやめるべきだという経済的保守的な思想を持っています。オバマ政権のリベラル政策は、コーク兄弟をはじめとした巨大資本や裕福な人々にとって不利なので、共和党立て直しのために立ち上がった保守主義の勇者であり、過激な政治活動にも躊躇いがありません。

 オバマ政権のスキャンダルになりそうで、現代版ウォーターゲート事件になりそうなIRSの保守団体狙い撃ち事件では、ブッシュ政権の選挙顧問であったカール・ローブが運営する政治団体と、コーク兄弟が運営する政治団体が標的になったので、オバマ政権にとって天敵である政治団体の資金的な流れを摘みたいという意図があった事は明白です。

 保守系政治団体の狙いは、国民皆保険に反対すること、金持ち増税の阻止、政府は市場に介入しない等、オバマ政権が推進しようとする政策の対極にあり、徹底的なオバマバッシングを行っています。

 日本版ハフィントン・ ポストでコーク兄弟について取り上げたのは、アメリカにおける保守とリベラルの対立を日本の読者に理解してほしいという意図があったと思われる。ハフィントン・ポストは、リベラル側のメディアで、コーク兄弟は批判の的なのです。

 映画でも、モッチ兄弟の意図が驚愕の形で明かされます。そんなの絶対ありえないだろって突っ込みたくなるほどのシナリオでした。選挙活動も、キャム・ブレイディ候補とマーク・ハギンス候補の中傷合戦で、お互い「キリスト大好きだ~ 」しか言ってないです。あとは、「奴は共産主義者だ」とか、「私はアメリカを信じる」とか、よくあるレッテル張りやスローガン合戦です。

 基本、いかに相手を罠にはめて陥れるかだけ。政治家なら、政策を議論しろって思うのですが、映画の中ではそんなシーンは出てきませんでした。CMとか、キャム・ブレイディがマーク・ハギンスの奥さんを抱こうとして盗撮。盗撮した動画を編集してCMに流してライバル候補を中傷しようとするシーンまであります。(全身ハダカで、重要な部分はモザイクが・・・w)

 これがアメリカの政治活動なんですね。特に面白かったのは、マーク・ハギンスが銃でキャム・ブレイディを銃で撃っちゃうシーン。これは、ディック・チェイニーが銃で友人を撃ってしまったことに対するパロディかと・・・。

 基本映画に出てくるギャグは、実際にアメリカの政治活動で起きた事件をパロディにしているので、すごく茶番です。過激に脚色するのも、実際に起きた事件だからこそ、リアリティを追及するよりわざと下らない演出にした方が製作側の都合が良かったんでしょう。

 映画としての完成度はちょっと・・・てところはありますが、コーク兄弟は映画のモチーフになる程アメリカでは重要な人物なのです。ハフィントン・ポストは、コーク兄弟を紹介するなら、「The CAMPAIN」を絡めて説明すればよかったのにと思いましたので、僕がやりました。

 町山さんの解説だけ聞けば、ハフィントン・ポストの記事よりコーク兄弟の事学べると思いますよ。 日本劇場未公開なのも頷けます・・・。改めて言うと、町山さんの解説で十分です。

2013年5月17日金曜日

政治家の皆様、自分の理念を実現するために手段を択ばない男の末路を教えてあげよう「トレーニング・デイ」

今年のGWも終わってから、政治が大変なことになっております。橋下市長の慰安婦問題から、飯島勲氏の極秘訪朝など、水面下で相当極秘なやり取りが繰り広げられているようです。

外交的には、北朝鮮の核問題が最優先事項で、隣国の中韓と日本の連携で北朝鮮に圧力を掛けて核問題の解決に向けて協力し合うべきタイミングで、こんな事やらかして良いと思っているのか。

少なくともアメリカはやきもきしているでしょう。イランの核問題の方が優先度が高く、未だに中東問題が最優先事項なのですから。イスラエルとの関係もありますし・・・。


 とりあえず、世界が混乱している時こそ、行動原則を明確にして敵対勢力に隙を与えない事が重要です。しかし、日本の政治家の皆様、ちょっとやらかし位が「トレーニング・デイ」のデンゼル・ワシントン並みになってきた。

 今年のアカデミー賞でもフライトで主演男優賞でノミネートされたデンゼル・ワシントン。フライトは飲んだくれパイロットを演じて、映画自体も好評だったが、その演技を上回る程強烈なキャラを演じたのが「トレーニング・デイ」におけるベテラン警官のアロンゾだ。

 警官なので正義の人だと思っていたら、アロンゾの悪役ぶりはコンビを組む新米警官のジェイク(イーサン・ホーク)が戸惑いを隠せず、アロンゾのいわれるがままなのだ。いきなり歓迎祝いとして薬をジェイクにやらせるわ、大物密売人に会ったりするわで、なんで正義の人である警官がこんなことしてるんだと思いつつ、アロンゾの術中にはまっていく。

 悪を倒せるのは悪だけだとでも言わんばかりのアロンゾ刑事の理念(?)に、次第に不信感を抱き始める新米警官のジェイク。新米警官といいながら、薬をやってしまったのでいつ逮捕されてもおかしくないという不思議な状況で、アロンゾとジェイクの中で埋められない亀裂が生まれていく。普通のバディムービーやブロマンス映画とは一線を画す映画なのだ。

 ベテラン警官のアロンゾと新米警官のジェイクを比較すると、アロンゾの方が現実主義的で、ジェイクは理想主義的なのだ。ロサンゼルスを舞台に、不正や腐敗に直面しながら経験を積んだアロンゾは、自分の正義を実現するために手段を選ばない。いや手段を選ぶ判断基準が全く失われているようなものだ。ジェイクは、まあ現実に直面していない分、不正を冒してでも自分の正義を貫こうとするアロンゾを理解出来ない。

 お互いの中で関係に亀裂が生まれるのだ。修復不能な程の大きな亀裂だ。


 正義を実現する為に手段を選ばなくなった男は、いつしか傲慢になり誰からも信頼されなくなっていく。何をやっても、自分のやった事は正しい事であるとしか思えなくなるから、他人の犠牲はおかまいなし。

 そして手段を選ばず傲慢な偽善者に成り下がった男は、致命的なミスをやらかすのだ。命を狙われるほどの危機に直面する。もちろん、悪気はないので、自分の罪を償う気持ちはない。生き残るために手段を選ばず、コンビを組んだジェイクまで利用しようとする。ここまで来たら、もうアロンゾの運命は破綻して当然なのだが、歯止めは効かない。アロンゾ自体、もう普通に戻れないのだ。

 生き残る為に、さらなる罪を重ねていく。哀れな男の末路だ。この男にまともな理性は存在しない。だから今までやってきたことを続けていくしかないのだ。相棒をハメようとするわ、現金強奪から証拠隠滅まで何でもやる。元々悪い奴をハメて、生き残ろうとすることに罪悪感はない。

 しかし、新米のジェイクを利用しようとしたのが間違いだった。むしろ、これがアロンゾが転落していくきっかけともなる。結局、正義を実現しようとしているのではなく、自分を正当化することしか考えていないので、いざ危機に陥った時に誰も助けようとしないから。

 ジェイクも悪の権化と化したアロンゾに利用され死の危機に直面するが、実はある行いによって救われた人がいて、その関係で命拾いするのだ。

 映画の中で描かれるアロンゾとジェイクのそれぞれが直面した危機は、対比構造になっている。悪の権化と正義の味方が危機に直面した時、各々はどう行動するのか、周りの人間はどう反応するのかがポイントだ。

 結局、どちらかが「俺達に明日はない」エンディングで、蜂の巣にされる。


 まるでアロンゾの行動や思想は、ある政治家に似ている。特に行政のトップでありながら、歴史問題から外交問題まで様々な波乱を引き起こし、日々釈明に追われている、あのお方だ。とりあえず行政のトップなのだから公務に集中すべきなのに、釈明のために記者会見開いたり報道番組に出演して、公務をこなす時間が浪費されていくので、海外からの批判だけでなく、有権者からの不満も強くなるだろう。

 相手が酷い事をやっているから、自分は何を言ってもいいわけではないのだ。結局敵対勢力に隙を見せることになり、足を掬われるだけだ。致命的なミスを犯してしまうと、そのミスを取り返す為に行動が過激化していけば、最終的には選挙という民意を反映する場で「俺達に明日はない」と同じように蜂の巣にされるだけだ。

 それとも「リンカーン」を見て、行動が過激化したのだろうか。リンカーンは奴隷制度を廃止する為に南北戦争を利用したとも、陰で沢山の不正を行った汚い政治家とも解釈できるが、奴隷制度廃止を政治利用したわけではない。奴隷制度廃止の為に全てを捧げた男なのだ。

 選挙アピールのために手段を選ばず、歴史問題を利用しようとすると痛い目に合うので気を付けて欲しい。実際リンカーンですら最後は暗殺されたのだから。

 暗殺されたリンカーンは、後世の歴史が彼を支持した。
果たして、某市長はいかに・・・



 

 

2013年5月16日木曜日

君の流す心の涙を慰めよう「レインメーカー」

 レインメーカーと聞いたら、プロレスラーのオカダカズチカの必殺技を思い浮かぶ方、いらっしゃると思います。金の雨を降らせる=お客を沢山呼んで大儲けという意味なんですが、これは、マットデイモン主演、フランシス・フォード・コッポラ監督の「レインメーカー」が由来です。

 金の雨を降らせる奴等とは、弁護士です。アメリカは訴訟社会で、企業相手にバンバン訴えて賠償金をふんだくる。強き者に味方する弁護士もいれば、弱き者に救いの手を差し伸べようとする弁護士もいる。

 誰を弁護するのであれ、結局報酬ありきなので、弁護士とはレインメーカーなのです。

 弁護士志望で希望に燃える若者であるルーディ(マット・デイモン)が、アメリカにおける弁護士業界の実態や、白血病に悩む男性に対して、保険会社が医療費を支払おうとしない現実に直面して、不正に立ち向かう法廷モノ映画です。シナリオはこちら

 こういう法廷モノの映画ってアメリカでは沢山あります。レインメーカーに近い映画といえば、ポール・ニューマン主演の「評決」とか、ジョン・トラボルタ主演の「シビル・アクション」とかですね。こういう映画は、主人公が飲んだくれのオヤジ弁護士や、バリバリのエリートだったりするのですが、レインメーカーは、希望に燃えるワカモノが酷い現実に直面し、人として成長していく物語。

 原作は、ジョン・グリシャムで、自身も弁護士であり、法廷モノの作品を数多く世に出し、何本も映画化されています。監督はコッポラで、地獄の黙示録やゴッドファーザーといった名作を世に送り出しました。

 マット・デイモンは、グッドウィルハンティングで名を成してから、社会派映画に出演し続けていますね。2000年代になってから、アメリカの中東政策や企業の癒着を克明に再現した「シリアナ」、イラク戦争における報道機関の欺瞞を極初する「グリーンゾーン」といった映画から、大企業の不正を告発(?)しようとする狂言者を演じた「インフォーマント」といった作品に出演しています。

 この映画では、善人は主人公だけで、被害者以外は全員金の事しか考えていません。保険会社を訴える原告側の弁護士軍団ですら、主人公の仲間は儲かりそうだから頑張るって感じで、保険会社は保身の為に弁護費用のお金に糸目を付けません。

 一番の弱者である白血病に悩まされる青年とその家族に大きな悲劇が訪れることによって、主人公が正義に目覚めるのです。白血病の治療には、骨髄移植が必要であるが、それにはお金が掛かる。アメリカでは国民皆保険が存在しないので、民間の保険会社に医療費を払うよう依頼するのですが、基本営利追求なので医療費を支払おうとしない。白血病という病気であれば、治療費が高く、治癒確立も低いから実験的医療であるとかイチャモンを付けて医療費請求を拒否し続ける。

 白血病を患った青年は、あえなく命を落とします。保険会社が医療費を負担してくれれば助かったのに、一切負担しようとしなかった現実に遺族は茫然自失・・・。自分たちにも、国にも、保険会社も本当にお金が無くて息子を救う手段がなければ運命を受けいれる事が出来る。しかし、実際は保険会社が医療費を支払おうとしないのだ。

 保険料はコツコツ徴収しておきながら、いざというときは医療費負担を拒否する。保険会社ではなく、ただの詐欺師ですが、国民皆保険が存在しないアメリカ、現実の民間保険会社も同じなのです。保険は、支払を拒否していたら成り立たないのに、ビジネスとしては最高です。安定的に保険料収入が入ってくるのに、支払を拒否しつづければ手元に莫大な資金が残ります。

 挙句の果てには、裁判において陪審員に、「この裁判結果が、アメリカの政府のあり方を変える。政府が、皆さんが払った税金を湯水のように使うようになるかもしれないから、良く裁判結果を考えて下さい。」とアピールする。まさに国民皆保険は、共産主義への第一歩というように。

 アメリカでも、数々の大統領が国民皆保険制度創設に挑んで来ました。しかし、ことごとく失敗していく。アメリカは経済的保守層の抵抗が強く、国民皆保険は共産主義であるというレッテル張りをすることによって、今までずっと、こういう状態が繰り返されてきた。

 キリスト教の国で、困っている人には手を差し伸べましょうと教えられているはずなのに、国内で困っている人を見捨て、誰も求めていない軍事攻撃はしっかりやるアメリカ。

 一体アメリカは何をやりたいのか良くわからない。共産主義狩りのために軍事侵攻や、イラク戦争などやらなければ、軍事費に使った税金を国民に振り向けることだってできた。レーガン政権の経済政策や、対外政策は打倒共産主義に拘り過ぎて、今から振り返れば軍事攻撃に使った金をアメリカ国内で使った方がマシだったのではないかと思う人もいるでしょう。タリバンやアルカイダは、アフガンに侵攻したソ連に対抗するために現地の兵士に武器を支援して、ソ連撤退後に野放しにしたため、9.11同時多発テロのしっぺ返しを喰らったりしたわけですから。

 国民の為に医療に税金を使わず、軍事攻撃には湯水のように税金を使うアメリカ。日本は真似をしてはいけません。TPPによって国民皆保険の崩壊が叫ばれている中、実際に国民皆保険が崩壊して民間保険会社が医療保険制度に関わるとどうなるか、「レインメーカー」を見れば分かります。

  民間保険会社は、絶対医療費を支払おうとしません。儲からないから。

 「これが現実だ、勇気があんならこの映画見て見ろ FU○K OFF」 by真壁 刀義



2013年5月12日日曜日

レーガン伝記ドキュメント(下)



 レーガン伝記ドキュメント(下)。いきなり、国民の不満が高まります。経済が悪化するわ、軍事拡張政策を取り続けるから財政が悪化するわで、政権危機に直面します。

 レーガンはソ連を憎んでいた。恐れてはいなかった。だから打倒ソ連を実現するために、軍事費を増やし続けた。そして、手段を選ばなくなるのだ。

 ポーランドの民主化運動では、連帯を支持して、ソ連の勢力弱体を図る。ヨハネ・パウロ2世と会談し、レーガンは神の意志を受け取るのだ。ポーランドを民主化させる為に、CIAの画策で政府を弱体化させ、連帯を全面的に支援する。ポーランドの民主化によって、東欧諸国も追随すると信じていた。

 アフガンでは、カーター政権から続いた対ソ連対抗作戦を続け、後にタリバンの元になる勢力に対する支援を続けた。

 中南米では、ニカラグアのサンディニスタ政権を倒すため、CIAが兵士を教育してソ連の影響力排除に動く。自由の為の戦いを、アメリカから離れた場所でも続けるのだ。

 そこまで大胆な軍事政策を行ったレーガン、本人はシャイで孤独な人間だった。側近からすれば、レーガンとそれ以外の世界には、仕切りが存在するようだったという・・・。自由を実現する正義の戦いを実行するには、自分以外の人間を信じる事は出来なかったのか。

 国民からも、核政策や軍事政策について批判が強まり、レーガンの共産主義狩りは暗雲が立ち込める。共産主義を倒す為に手段を選ばなくなり、レーガンの理想と、国民の意思に乖離が生まれる。

 核兵器廃絶を望む国民と、それを望まないレーガン。おそらく、彼は神のお告げを心から信じていたんだと・・・。そして、ソ連の核兵器の脅威に対抗するため、SDI(戦略的防衛構想)をぶち上げる。当時の科学者は、こんなの不可能だと主張してもレーガンはSDIに固執した。現実とファンタジーの区別が付かなくなっていたのだ。映画俳優として、常にヒーローを演じてきたツケが、ここで回ってくるのだ。これは、のちのゴルバチョフとの米ソ交渉で障害になってしまうのだ。

 ミサイルを宇宙からのレーザーで破壊する事で、ミサイルを時代遅れにしようとしたレーガン。今でも単なる空想であることは、北朝鮮の核ミサイル危機でも明らかだ。

 レーガンは、ソ連からすれば妥協不可能な要求を続け、事態は混乱を極める。結局目的は共産主義を撲滅するためです。自由を実現する為に、強いアメリカを実現する為に、レーガンは個人の信条を語り続けた。ソ連にとってレーガンはとてつもない強敵であった。

 途中核戦争によるアルマゲドンに危機に直面しつつも、アメリカ経済が回復することによって勢いを取り戻しつつあったレーガン、年には勝てなかった。テレビ討論でも、議論が混乱する場面を晒すようになり、年齢を心配されるようになっても国民からの支持は高かった。

 レーガンの人間性がにじみ出るのは、対イラン政策ですね。イラン・イスラム革命から、イラン・コントラ事件まで、動揺を隠せないのだ。記者会見でも、まともな回答が出来なくなり、精神的にも体力的にも追い詰められてしまう。ホワイトハウスで、側近と話しているレーガンの顔付きは青ざめていた。奥さんも顔を突っ込んでくるわで大変な状況になってしまう。

 でも最後は、人質解放の為に、イラン側に武器を打ったと公式会見で公表し、対イラン政策について過ちを認めたのである。大統領が在任中に対外政策について過ちを認めるというのは、前代未聞である。レーガンは、決して人間性が悪いわけではなかったのだ。

 しかし、ブラックマンデーからの経済崩壊、エイズの流行、格差の拡大などの国内問題がまたぶり返しても、神風のごとくゴルバチョフとの交渉が進み、冷戦は終結する。

 宗教を土台とした共産主義に対するレーガン十字軍の実績は、一応達成はされた。自由を実現する為に全身全霊を掛けて戦った男。国内の経済政策も、対外政策も根本的には俳優時代に培った反共産主義精神が元にあった。多少の政策に矛盾が生じても、自身の目的を達成する為に手段を選ばなかったのだ。その成果が、ポーランドから始まる東欧民主化革命の連鎖や、サンディニスタ政権の崩壊という形で報われる。ただし、アメリカには膨大は財政赤字という代償を支払う事になった。

 共和党のウィルソン主義の象徴こそ、ロナルド・レーガン。歴史的には、賛否両論で波乱を巻き起こし続けた理由が、何度も言うように共産主義を倒したかっただけという事に収束されるのだ。
ドキュメントを見る限り、決して悪人のようには見えない。他国との戦争は、レーガンにとって本当の正義だった。それが、他人にどう見られようと、後世がどう評価しようと関係なかった。

 レーガンの是非を問う事はしない。しかし、やり過ぎたかもしれない。打倒共産主義というイデオロギーが、レーガンの理性を奪っていったと言っても過言ではない。しかし、理想ありきの政治家など山ほどいるし、そういう人こそリーダーになる可能性が高いのも事実だ。

 しかし、レーガンがどうしても憎いと思う人はいるだろう。とりあえず、政治や経済をイデオロギーで語るのは止めた方がいい。結論ありきで、自分の主張にそぐわない相手に対してレッテル張りをして徹底口撃するような人を政治家として選ばない方が良い。決められない政治家より、本当は自分の思想ありきで決断を下してしまう政治家の方が恐ろしいし、のちに流血の悲劇が待っているのかもしれないと予感させるドキュメントであった。

 スピルバーグが「リンカーン」を映画化したんだし、ジョージ・ルーカスがSDI構想に絡めてレーガンを映画化してくれないものか。もしくは、映画俳優組合の委員長として、共産主義者と戦い、保守派として転身していく様を描くのも面白いだろう。ジョージ・クルーニーがレーガンを演じてくれたら、スーパーチューズデー以上のポリティカルサスペンスになる可能性もある。

 いやジョージ・クルーニーとレーガンって、顔付きちょっと似てる気がする。気のせいだ・・・

 



 


 

2013年5月10日金曜日

レーガン伝記ドキュメント(上)


 新保守主義政策を推し進め、共産主義と徹底的に戦ったロナルド・レーガン氏の伝記映画をご紹介します。伝記映画自体4時間近くあるので、上下に分けてアップします。

 ロナルド・レーガン氏の人生は波乱そのもので、ハリウッドスターからアメリカ大統領まで登りつめた男、新保守主義を押し進めるために大きな政府や共産主義と戦い、政府支出をカットし小さな政府を実現しようとした男、家族との葛藤といった一人の男としての人生が描かれています。

 序盤は反共産主義志向が、いかにロナルド・レーガン氏に根付いていったか、中盤はレーガンの政治参画のプロセス、終盤は暗殺危機から、政治家としての挫折に焦点が当てられています。

 レーガン政権の根幹にある反共産主義や、小さな政府志向は、個人の信条を元に進められました。現代ではレーガン政権について賛否両論でしょうが、レーガン自身は決して悪人ではありませんでした。個人の信条を正義として信じていただけなのです。小さな政府を推し進める事が、アメリカを救うと本気で信じていたレーガン。しかし、なぜ小さな政府がアメリカを救うのか、その根拠は持ち合わせていなかった。

 レーガンはハリウッド俳優時、50本以上の映画を作ったが、悪役として出演したのは1作だけで、レーガンは正義のヒーローとしての自分自身にロマンを感じていた。俳優としてのキャリアも、結婚も経験し公私とも順風満帆であったが、若い頃から政治的活動に従事し、リベラルで民主党支持者で、原爆や人種差別を批判していました。

 そしてレーガンが政治的信条を変えるきっかけとなったのが、ハリウッドにおける共産主義者の台頭と、その対決です。映画俳優組合員として、共産主義者と噂される組合と対決するのですが、その代償として、脅迫されたり、ファシストと呼ばれるようになり、俳優としてのキャリアが閉ざされる。そこで共産主義に対する憎悪が確固たるモノになり、映画俳優組合委員賞として火米活動委員会に協力し、反共産主義者として活動していく。レーガン自身の私利私欲というよりは、自分の正義を貫こうとしただけだった。

 そして政治家としてカリフォルニア州知事からアメリカ大統領を担った男、ロナルド・レーガン。その土台は、俳優時代の経験から生まれたものだった。ただし、政治家としての資質よりは、俳優としての演出力や演技力はピカイチだったが、政策の根底にあるのは、反共産主義、小さな政府志向だけでした。理念ありきの政策は、国民が理念に希望を抱いて大きな勢いが生まれるが、途中で大きな万台にぶち当たり、政治家としての挫折を味わう。

 レーガンって人間としては良心的な人だったのでしょう。神を信じ、共産主義を倒し、アメリカ社会の栄光を確固たるモノにするために戦った男。政治運動に傾倒して、離婚を経験して鬱的症状に悩まされたりと普通の人と変わらなかったのです。打倒共産主義に異常な程執念を燃やし続けただけなんですよ・・・。

 レーガノミクスで双子の赤字を抱え、格差が広まり、中間層が没落していくのに、軍事的にはかなり右傾化していく。小さな政府には、大きな軍備が必要なのか。一見矛盾しているように見えて、共産主義を倒すためには、国内は小さな政府、対外政策は大きな政府という歪さも、本人にとっては関係なかった。

 レーガン大統領の行動信念は、あくまでも反共産主義が元にあって、強いアメリカを実現するために、いかなる政策も反共産主義のイデオロギーが反映されており、それがレーガン自身が信じる正義だったのでしょう。

 かつてはリベラルで民主党支持者であったレーガン、映画俳優組合の委員長すら務めた男が共産主義と噂される俳優達が作った組合との対決によって、人生が変わってしまった。共産主義を倒す為に、保守派に転身し共和党の政治家として新たな道を歩み始めたのだ。

 これこそ、Born again the conservatives

 サッチャーやリンカーンは伝記映画が作られるのに、いつになったらレーガンの伝記映画が作られるのでしょうか。(次回は、この続き)
 

 

2013年5月8日水曜日

少数民族が迫害されてきた歴史と映画の娯楽を両立した「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」

歴史的事実を再現した映画は沢山ありますが、そのような映画は、どうしても娯楽性が低くなりがち。その中で歴史的事実を学ぶ良い機会になりつつ、映画としての娯楽性を両立した名作を挙げるならば「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」ですね。

 X-MENはアメコミとして非常に有名ですが、その内容を見ると、歴史的に深いテーマが含まれており、それは少数民族の迫害の歴史です。

 X-MENは、ミュータントと呼ばれる突然変異によって特別な力を得た超人的集団の事を指します。その中で、プロフェッサー・X率いる正義の軍団と、マグニートーの悪の軍団の戦いをコミックとして描いたものです。
 
 テーマは、少数民族の迫害の歴史であり、ミュータントと人間の戦いは、アメリカのマイノリティーが経験した苦難そのものと言われています。原作者はスタン・リーで、ユダヤ系です。マイノリティーの中でもユダヤ人の迫害の歴史を反映したともいえます。

 予め言うと、筆者は原作コミックを読んでいませんので、多少知識が足らない事もありますが、ファーストジェネレーションは、アメコミが原作の映画の中で、歴史的背景を踏まえつつ、娯楽性も高い傑作と思っています。

 ファースト・ジェネレーションの初めは、ユダヤ人に対するホロコーストから始まります。舞台は1944年のポーランドで、ユダヤ人が強制労働させられている施設で、少年時代のマグニートー(エリック)が、実の母が隔離されてしまう衝撃的なシーンです。ナチス兵が、母親を隔離していく時に、エリックが母の名前を叫び、門を超能力で開けるのです。その状況を見た兵士が、エリックの超能力に気づき、物語が始まります。

 エリックの超能力が本物か確認する為、シュミット博士(ケビン・ベーコン)がエリックに、コインを動かすよう命令します。しかし上手く動かせないエリックに対して、実の母親を呼び出し銃を向け、もう一度コインを動かすよう命令し、最終的に母親が殺されてしまい、エリックは超能力を開花させるのです。

 この映画は、設定が非常に良く出来ており、ホロコーストとエリックの超能力を絡めて、少年時代のマグニートーのトラウマを描き出しています。少年期に経験した迫害の経験、母親を目の前で殺された憎悪が、本作のカギになりシナリオが進んでいきます。(あらすじはこちら)

 プロフェッサーX(チャールズ)の若き頃もマグニートーと同時に描かれるのですが、エリートでモテるオトコなので、非常に対極的です。

 シナリオは、プロフェッサーXとマグニートがお互い協力していく様から、お互いが何故決別していくのかを描いているのですが、決別した理由はエリックの迫害を受けた経験から生まれる憎悪ですね。

 ナチスドイツによって母親を殺され、復讐心を捨てることが出来なかったエリック。かたやエリートとして育ち、充実した人生を送ってきたチャールズ。チャールズが必死にエリックの復讐心に駆られた暴走を止めようとしても、結局エリックがシュミット博士を殺すために一線を越えていくシーンこそ、少数民族が迫害され、その復讐の為に何もかもが狂っていく人間を象徴している。

 超能力を持っていようが、感情を持つ人間と変わらず、迫害されて犠牲を強いられた人は、復讐のために全ての情熱を捧げてしまうのです。そういう意味で、エリックがチャールズと決別し、マグニートーとして生きる事を決意していく過程こそ、実は私達が実際に経験している身近な出来事と言っても過言ではありません。

 ユダヤ人は、キリストを殺した民族としてローマ人から迫害されていきます。迫害されていくと商業時な選択が狭まり、キリスト教において金利を取ることが禁止されていたので、ユダヤ人が金融業を営むことになる。しかし、金融業で成功していくユダヤ人が増えるにつれて、ユダヤ人迫害が過熱してしていき、ホロコーストという史上最悪犯罪の被害者になっていくことは有名な歴史です。

 ファーストジェネレーションは、そのユダヤ人迫害の歴史を反映しつつ、実際に迫害された人間が、どのように変わっていくかを描き出している点で、歴史的事実・娯楽性を両立しつつ、根底にあるのはエリックの復讐の心情と、それを抑えようとするチャールズの織りなす人間ドラマ。

 アベンジャーズは娯楽のみで、深いテーマが存在しないので面白いと感じる人もいれば、物足りないと感じる人もいるでしょうが、ファーストジェネレーションは違います。アクション映画として楽しめるのに、見方を変えれば歴史的事実を学ぶことが出来るので、家族で見て子供に迫害される人の気持ちを学ばせる良い教育映画にもなります。

 映画の終盤は、キューバ危機におけるアメリカ軍とソ連軍が対立を解決した裏にはX-MENの活躍があったという設定ですが、非常に設定上手いですね。13デイズで描かれたケネディとフルシチョフが繰り広げた駆引きの裏に、スーパーヒーローの活躍があったのかと思うと、ボストンテロ以降北朝鮮のミサイル攻撃を防ごうとするヒーローがしているおかげで、金正恩スタイルがおとなしくなっているのかもしれないとすら思えるのです(冗談)。

 町山さんの映画塾における解説もありましたのでリンクを張っておきます。予習編 復讐編
1960年代の映画に詳しい人は、色々懐かしい演出とか多いみたいで・・・。僕は良くわからない演出も多々有りましたが、娯楽性を失わずに歴史を学ぶ機会になると思います。
 

2013年5月7日火曜日

もしリンカーンが南北戦争で敗北していたら・・・


 大変ひどいことになります。リンカーンは、南北戦争が長引くリスクを考慮しても、なぜ南部に対して妥協しなかったか、よくわかる映画「CSA ~南北戦争で南軍が勝ってたら?~」。

 ブラックコメディなんですが、半分怖い映画です。詳しくは解説をどうぞ。スピルバーグの「リンカーン」でも、南北戦争を終結させるために修正憲法13条の可決を諦めるよう促される部分があるのですが、諦めなくて良かったと本当に思います。実際、黒人の権利が平等に扱われるのは公民権運動以降なので、南北戦争から100年近く掛かったことになりますね。

 映画の「リンカーン」を見られた方は、南北戦争が長引いてもっと死者が出るおぞましい状況になったらどうするんだろう?、これ以上人が死ぬかもしれないのに、修正憲法13条に拘る価値があったのか?と思われたかもしれません(多少映画的な脚色もあると思います)。しかし、それは現代の過去の事実を知っている私達だから、そのような疑問が湧くのであって、当時の人々からすれば気が気ではなかったでしょう。

 アミスタッドで描かれたように、アメリカの黒人奴隷は、アフリカ大陸から白人が拉致して、アメリカ大陸に連れて行きました。船で人間を家畜のように扱い、途中で多くの黒人が亡くなりました。足に重りを付けて、海に黒人奴隷を投げ落とすという描写も、アミスタッドには描かれていました。黒人奴隷を解放するために、アメリカの白人が南北戦争で死んでいくというのは、ある意味アメリカとしての、過去に行った残虐な行いに対する償いかもしれません。

 南北戦争で死んでいった白人が、黒人奴隷制度について何か罪があるかと言えば、明確な罪はないのですが、黒人奴隷に対する不当を超えた野蛮な行為は、何があっても白人が止めなければならなかった。黒人は少数派であり、民主主義のルールでは、少数派に対する差別的な扱いをやめさせるには、大多数の力が必要になり、白人の意志がなければ、黒人奴隷制度の廃止はありえなかった。

 その第一歩になったのが、リンカーンの奴隷解放宣言であり、修正憲法13条。黒人差別の撤廃のためには、憲法で国家権力に制約を与える必要があったと考えれば、南北戦争による犠牲は避けられなかったのかもしれない。「リンカーン」における憲法改正とは、少数派に対する差別に国家権力が加担しないよう制約を加えることだったと個人的に解釈しています。

 そして、「CSA ~南北戦争で南軍が勝ってたら?~」では、キリスト教帝国として、黒人差別以外にもユダヤ人差別、有色人種も奴隷化、ナチスドイツとの微妙な関係、南米大陸の制圧等が描かれていましたが、まるでローマ帝国のようです。

 とは言ってもブッシュ政権の政策は、まるでCSAのようでしたね・・・。これは現代アメリカ社会に対する皮肉ですが、キリスト教に対する解釈が歪んでしまうと、何でも神の大義名分の元、非人道的行為を正当化し暴走してしまう。

 宗教とは難しいものです。人類の発展には宗教なしにはありえなかったが、社会の基盤が確立されると、宗教の教義を理想として大多数の人々が追及すると、少数派に対する差別や、他国に対する侵略行為など、流血の悲劇が待っている。スピルバーグの「リンカーン」を見た後は、ぜひCSAを見て、「もし南北戦争でリンカーンが敗北したら」という観点で見ると面白いと思います。

 個人的には、「リンカーン」を楽しむためにお勧めの映画を挙げるとすれば

 ①アミスタッド 
 ②ミュンヘン 
 ③ミルク 
 ④CSA

 「リンカーン」について、感情移入しながら見たい方は是非、上記4作を先に見る事をおススメいたします。細かい歴史的事実は理解していなくてもいいのですが、製作者の意図を理解するためにはアミスタッドとミュンヘンを見るといいと思います。また個人的に「リンカーン」に最も近い映画がミルクだと思っているので挙げました。CSAは、多少解毒剤として見て頂ければ・・・
 

 

 

2013年5月4日土曜日

リンカーンの人格的背景を紐解きます。




 リンカーンの大統領としての資質、人格的背景、信条について、Eric Foner氏のインタビュー内容から要約します。こういう本も書いているそうです。(インタビュー内容を要約するだけなので、参考までに・・・)


 ①リンカーンの成長するキャパシティーは異常。

リンカーン暗殺後、大統領を引き継いだアンドリュー・ジョンソンに比べ、別格の成長キャパシティーであった。アンドリュー・ジョンソンは、頑固で人の意見を受け入れようとしない、知的好奇心も少ないが、リンカーンは自分に全て正しい答えを持っていると考えておらず、他人の意見や批判を歓迎した。南北戦争時に行った政策に効果がないと判断すれば、すぐに他の政策を実行するほど柔軟な人間であった。


 ②リンカーンの成長キャパシティーの源は、リンカーンが生まれ育った環境

 リンカーンはケンタッキー州で生まれ、その当時ケンタッキー州は奴隷制を採用していた。両親が反奴隷制主義で、土地の問題も抱えていたので、奴隷制のないインディアナ州に移った。リンカーンは、反奴隷制主義に傾倒していくが、南部人でもあった。また周りの人達には、奴隷制を嫌う人達から、差別的な現状も目にしている。この環境が、様々な利害が対立する状況で、うまく妥協して全体をまとめていく政治家としての資質の源になった。


 ③リンカーンの興隆は、イリノイの興隆→反奴隷制主義確立

 イリノイは1860年代当時、全米で4番目に大きい州で、パイオニア的な場所でもあった。市場革命や経済成長によって急成長した州で、農業や鉄道産業によって栄えた。リンカーンは、鉄道関連の弁護士で、鉄道・運河開発や公教育の整備によって経済成長が促進した事を直に見ているので、公共インフラ開発による経済成長が南部精神の象徴と考えていた。リンカーンは自身も、貧しい中から立身出世をしたので、公共インフラの整備による経済成長こそ南部経済が追及すべき事であって、奴隷制は必要ないと考えるようになった。


 ④リンカーンのメンター、ヘンリー・クレイが妥協の天才だった

 ヘンリー・クレイは奴隷を保有する一家に生まれたが、本人は反奴隷制であった。また妥協の天才であり、クレイの政治姿勢をリンカーンが引き継いだのではないか。リンカーンは、奴隷保有者を悪とはみなさず、合衆国全体の問題であると捉えていたおり、これはヘンリー・クレイの影響ではないか。


 ⑤政治家としてのリンカーン、妥協の天才も奴隷制だけは妥協せず

 共和党には、ラディカルやコンサバティブな人から、様々な利害関係者がおり、全体の利害関係者が納得できるであろう妥協点を常に考えていたが、奴隷制だけは妥協しなかった。常に「あなたは奴隷制賛成かもしれないが、私は奴隷制は間違いであると思う」とリンカーンは言い続けた。奴隷制に対して反対する事は、実践的方向や、奴隷制をどのように対処するかを政治家に与えるものではなく、リンカーンは奴隷制を廃止するために様々なアプローチを試みたが上手くいかなくとも、合衆国全体の奴隷制廃止の執念を燃やし続けた。


 ⑥政治的に可能な政策は何か考え続けた。

 リンカーンは、黒人奴隷を解放し平等の市民にすべきと考えていたが、それを実現できるとは考えていなかった。人種差別は合衆国全体に根強く残っている事を実感していたから。当時リンカーンが考えていた事は、奴隷を解放し、市民として平等な権利を得ることが出来る土地に移るよう奨励する策を考えていた。


 ⑦妥協すべき事と、絶対妥協してはいけない事をわきまえていた。

 奴隷制における政治的な衝突において、合衆国が最大の危機に直面した時も、奴隷制について多少の妥協は許容した。しかし、西方に奴隷制を拡大しようとする動きに対しては、絶対リンカーンは妥協しなかった。「私は、この点については絶対妥協はしない。私の支持者が脅威に晒される可能性があるからね」。リンカーンは、政治家としての自身の核心的原則を守るためなら、戦争すら覚悟した。戦争を望んでいたわけではないが、政治家としてのリスクを取ったのだ。


 ⑧リンカーンは演説の天才、偉大なライターでもあった。

 リンカーンは演説の天才、卓越した言語使いでもあり、これが政治家としてステップアップできた要因。(リンカーン自体は、元々有名ではなく、演説スキルによって注目されるようになった)。リンカーンの発した言葉は、政治のレトリックではない。

 また奴隷解放宣言の際、リンカーンはこのように発言した。

「我々は奴隷を解放する際、出来るだけ穏便に執り行い、暴力的結末は望まない。しかし、一つの例外として、奴隷解放宣言に対する自己防衛としての暴力は決して否定しない。」

 リンカーンは、奴隷解放宣言に対抗する勢力に対して、自己防衛としての反抗を行う権利を認めたのである。リンカーンの言葉は、明確な意思が反映されていた。


 ⑨奴隷制廃止について、徐々に廃止していく方針から、即廃止の方針に変わっていった。

 リンカーンは1850年代は、徐々に奴隷制を廃止し、奴隷所有者には金銭的補償を与える方針であった(ヘンリー・クレイからの影響)。しかし、南部の白人は奴隷制廃止を一切許容できず、黒人自体、自分の住んでいる場所を離れる事も難しかった。そこで、リンカーンは即奴隷制廃止と金銭補償は一切なしの方針を決意する。


 ⑩ラディカルこそ、共和党の政党基盤であると認識。

 リンカーンは、共和党のラディカルで奴隷制廃止論者を共和党の政党基盤と認識し、その基盤を元に支持者を拡大していった。ラディカルの思想について、リンカーンは積極的に耳を傾け、政党基盤を盤石にしようと気を配っていた。


 ⑪弁護士として、憲法が奴隷制を擁護している事実を認識。

 リンカーンは弁護士として出世していったので、憲法が奴隷制を擁護していることを見抜き、憲法が議会や大統領に対して奴隷制廃止の為の行動を保障していない事を認識していた。しかし、戦争については例外で、それが奴隷廃止の為に、リンカーンを南北戦争に駆り立てた理由の一つになった。戦争に勝つには、様々な勢力からの支援が必要になり、奴隷制に対して穏健派を取り込もうとした。穏健派は奴隷制に対して心情的に廃止に賛成したいと考える人達で、戦争に勝つために奴隷制廃止が必要ならリンカーンを支持する可能性があった。リンカーンは、その穏健派に対して、奴隷制廃止は戦争に勝つために必要であると声高に主張し続け、穏健派の支持を取り付けることに成功した。


 ⑫リンカーンは、単なる南北統一を果たす事が目的ではなかった。

 もしリンカーンが、ユニオンを守ることしか興味が無ければ、南部に妥協していたであろう。しかし、リンカーンは、奴隷制を維持したユニオンは守るに値しないと主張し続け、奴隷制を廃止することに執念を燃やし続けた。奴隷制を廃止した上での南北統一が最大の目的であった。南北統一が失敗するリスクを認識しながらも、奴隷制だけは妥協しなかった。


 リーダーが歴史から学ぶべき事は何か?

 社会を変えるためには、正しい政治的リーダーシップと、社会的市民運動の両方が必要になり、どちらかが欠けてもいけないのである。社会的市民運動は、政治的フレームワークなしには瓦解し、社会的市民運動が世論の後押しとなって政治的リーダーシップを促進する。リンカーンのリーダーシップは、奴隷制廃止論者と、大多数の穏健派から支持を得た事によって成り立ったのである。

 オバマ大統領は、リンカーンの違いは批判に対する姿勢である。リンカーンにとって批判は教科書であり、批判から真摯に学ぶことを重視したが、オバマ大統領は、自分を過大評価している節があり、批判を受け入れる姿勢が欠けている。この点が、リンカーンとオバマ大統領の違いではないか。

 リンカーンは、南北戦争時にも領土問題には一切妥協しなかった。戦争が長引けば、大統領として再選されない可能性もあり、選挙のために奴隷制に手を付けないよう共和党のメンバーから忠告されたが、リンカーンは大統領選で敗北するリスクを冒してまで、奴隷制廃止に拘った。南北戦争で北軍の為に戦う黒人に対しての裏切りに等しい行為は、絶対許容出来なかったのである。オバマ大統領は、妥協すべき政策と妥協しない政策について、リンカーン程の明確な原則をもっていないのではないか。

 政治家の皆様、きちんと歴史を勉強しましょう。過去の歴史を、自分の主張として引用するなら、きちんと歴史的解釈を理解しましょうね。


 以上、ポイントを要約してみました。翻訳の専門家ではないので、多少分かりにくい表現もあるかもしれませんが、ご参考までに・・・。あとは興味があればご自身でご覧ください。


 個人的に最も印象的だったのは、40分頃からの権力に対する制約についての話です。リンカーンは奴隷制を廃止する為に、大統領として何をしても良いとは考えていなかった。憲法によって成り立っている現状のシステムを尊重しなければならないと考えており、権力に対する制約を認めていたという部分です。憲法の権力に対する制約を認識しながら、政治的リーダーシップによって、その制約を克服した手腕について、もっと注目されるべきだと思います。日本も、憲法改正の動きが強まってきましたので、スピルバーグの「リンカーン」を見た後は、実際のリンカーンに対する歴史的解釈を勉強することは大切なことだと感じます。


 

2013年5月1日水曜日

中央銀行陰謀論を紐解く「ザ・マネー・マスターズ」

デフレ脱却・金融緩和が、現在の日本銀行のプライオリティーのようです。為替や長期金利が急激に変動しており、国民生活の安定には、あまり良い事とは思えませんが・・・。

 中央銀行とは、国家の金融政策の中枢であり、経済の好不況において金融政策を決定し、国家の安定的経済運営に務めるのが義務というのが一般的認識。

 しかし、中央銀行とは常に陰謀論に晒されるのが歴史の常であり、その陰謀論の起源はアメリカの中央銀行の成り立ちにあるのではないかと、この「マネー・マスターズ」という映画を観て思いました。

 この映画は、「マネーの進化史」の内容に近いかもしれません。マネーが生まれた背景や、そこからお金の貸し借り、銀行の成り立ちを解説し、中央銀行がなぜアメリカにおいて作られた背景を解説しています。

 内容自体、マネーという概念を、近代ヨーロッパやアメリカの隆盛の歴史に絡めて説明しているのですが、個人的に疑問が残る説明も多々あり、ドキュメントとして内容を全て信じようとは思いません。映画の作者であるベン・スティル氏について調べてみたが、ウィキは削除されており、多少怪しい経歴のようです。どうやらリバタリアンの思想みたいです・・・。

 ただ、このドキュメントは、中央銀行がなぜ陰謀論的に批判されるのかを学ぶ良いドキュメントと筆者は考えております。

 本作の主張を端的に言えば、FRBはヨーロッパの銀行家(ロスチャイルド一家)が支配しており、アメリカ経済は既にモルモットであると。中央銀行陰謀論は、日本だけじゃなくアメリカに存在していたという事を認識する良い機会になりましたw。

 アメリカ大統領と中央銀行に対するスタンスを解説するが、個人的に最も印象に残っている内容はリンカーンの中央銀行に対するスタンスと、ヨーロッパの銀行家との対立である。(具体的なあらすじはこちらをご覧ください)

 リンカーンと言えば、南北戦争で共和党の大統領として北軍を勝利に導き、南北で分裂していたアメリカを統合した偉大な大統領であります。

 本作で解説されていたリンカーンと中央銀行に関係は以下の通り。(端的なまとめ)

 ①南北戦争の勝利には、莫大な戦費が必要であり、北軍も戦費調達の必要性に駆られていた。

 ②しかし、ヨーロッパの銀行家は、北軍の資金調達の要請を受けたが、莫大な金利を設定したためあえなく資金調達を断念。

 ③そのためリンカーンは、議会でグリーンバック紙幣呼ばれる政府紙幣の発行を承認し発行させた。政府から発行された紙幣は、兵士に対する給与の支払い等の戦費に当てられた。(ウィキによる解説)。

 リンカーン曰く、「政府が必要な資金需要と消費者の購買力を満たすには、政府自身が通貨を発行し、信用を創造し、循環させる必要がある。通貨発行の特権は、政府の最高級の特権だけでなく、最も偉大な創造的機会である。この原則を採用すれば、納税者は莫大な金利負担をカットでき、マネーが人間の君主にならず、人間に対する奉仕者にする事が出来る。」

 
 しかし、リンカーンの意志に反発したのがヨーロッパの銀行家で、ロンドンタイムスに、アメリカの金融政策を批判する記事が掲載し、リンカーンに対しての警戒を表明した。

 「もし北米で生まれた金融政策が、経済基盤として固定された場合、政府が金利等のコスト負担ん無しにマネーを発行し、栄える事が出来るだろう。そして新たな借金なしに、既に存在する借金をペイオフする事も出来る。これは、北米が、商業政策に必要な資金を確保できる事を意味する。このままいけば、北米が経済的に繁栄し、優秀な頭脳、世界に存在する全ての富が北米に向かうだろう。我々が築いた経済支配を守るために、北米の君主制を地球上から破壊しなければならない」

 その後、南北戦争が激化し北軍側が資金を必要としたので、リンカーンはグリーンバック紙幣のさらなる発行を承認。国民銀行法(ナショナル・バンク・アクト)を制定し、政府が紙幣を発行する仕組みを構築し、マネーサプライで経済をコントロール出来るようして、ヨーロッパの銀行家からの経済支配に対抗した。

 解説の結論としては、ヨーロッパの銀行家に対抗し、新たな経済運営の仕組みを構築しようとしたリンカーンは暗殺される。南北戦争に敗北した南部側の復讐を利用し、ヨーロッパの銀行家がリンカーンの暗殺を画策し実行したのであると。

 筆者の見解としては、一見論理が成り立っているように見えるが、これが事実かどうかは疑問であり、本作の主張をそのまま受け入れるのは危険とは思う。マネーの進化史で解説される南北戦争の金融政策とも相違点も見受けられる。

 マネー・マスターズで主張されている陰謀論は、ヨーロッパの銀行家に対する不信であり、通貨発行の特権が、アメリカ人以外の勢力に握られているという点が特筆すべき内容だろう。

 中央銀行のマネーサプライを牛耳る事で、金利を下げ資金供給を増やし、あえて好景気にもっていく。不動産等のバブルを引き起こした状態で金利を上げれば、ローンを借りた債務者はたちまち資金不足に陥るため、不動産の投げ売りが起こり、価格下落時に一部の資本家が富を確保するのが目的であるというのが要旨の一つである。

 歴史とは、文献のみでしか記録が残っておらず、この主張が事実かどうかは専門家の判断に任せよう。事実かどうかは筆者には判断不可能である。しかし、中央銀行がなぜ陰謀論に絡めて批判されるのか、その理由は理解出来た。


 理由の一つは、過去の歴史に対する解釈の違いだ。中央銀行は、国家経済の安定的運営に全力を尽くしているという論者であれば、本作の主張は受け入れられないだろう。リフレ派と呼ばれる有識者であれば、マネー・マスターズの歴史的解釈や、その主張を肯定するかもしれない。

 経済思想には、様々な流派が存在し、自分たちの信じる思想、立場を推進しようとするので宗教的対立の側面もある。その思想・立場を肯定する手段が、歴史に対する解釈である。どれが正しいかなど、庶民には分かるはずもない。思想家ですら、過去の歴史を自分達に都合の良い解釈をしている可能性も否定できないのだから。

 何が正しいかは分からない。しかし、同じ事柄に対する説明や解釈の相違点を理解し、相対的に何が正しいのか自分で判断するしかないのだ。

 ここまで完成度の高いドキュメントだと、陰謀論なのか真実なのか分からなくなるインセプション的ドキュメントだと思います。
 

 

2013年4月29日月曜日

スピルバーグ監督が作った「ミュンヘン」、本当はイスラエルのモサドじゃなくて、CIAの出番だったんじゃないの?

 今年になって、中東で爆弾テロが多くの方が亡くなった。そしてボストンでも爆弾テロが発生してアメリカ社会に大きな衝撃を与えた。

 ボストン爆弾テロは、イスラム教を信奉するチェチェン系の兄弟が起こしたが、個人的には2001年の9.11同時多発テロを思い出す(犯人はサウジアラビア人と言われているが・・・)

 イスラム教の教えから明らかに乖離した狂気の集団が起こしたテロ事件。ボストン爆弾テロは、アフガン・イラク戦争によってイスラム社会が破壊されていくことを危惧した兄弟が起こした凶行というのが報道に上がっており、この報道が正しいと想定すれば、スピルバーグ監督の「ミュンヘン」について書かざるをえない。

 イラク戦争をテーマにした映画は沢山作られた。アカデミー作品賞を獲得した「ハート・ロッカー」、CIAによるテロ容疑者と見なした人間に対して行っている拷問の実態を描いた「レンデション」等は、アメリカの対外戦略に振り回されるアメリカ人を描いた映画で、個人的に印象に残っている映画です。

 第85回アカデミー賞で作品賞にノミネートされた「ゼロ・ダーク・サーティ」に出てくる拷問シーンは、おそらく「レンデション」が元ネタだと思います。「レンデション」では映画で初めて水責め拷問の実態を描いており、その事実を知って発狂したのか、悲劇のヒロインであるリース・ウィザースプーンは今年ひと悶着起こしました・・・。

 「ゼロ・ダーク・サーティ」は、映画としての完成度は非常に高い。映画としての娯楽性を失わず、ビンラディン殺害に全てを捧げた実在のCIA女性エージェントの苦悩や葛藤を描き出し、ビンラディン殺害作戦を再現したラストは圧巻の一言。アルゴに比べ映画の娯楽性は下回るが、シリアスさは段違いに上回っている。

 しかし、「ゼロ・ダーク・サーティ」の全米初公開は2012年。ビン・ラディンの殺害は2011年ということで、同時多発テロから10年も掛かったのだ。失われた10年といったも過言ではない。




  イラク戦争をやらず、アメリカ軍がタリバンとアルカイダ掃討に全力を尽くしていれば、今の状況は全く違っていたものになっていた。少なくとも、中東で爆弾テロがここまで増えることはなかった。「ハート・ロッカー」がアカデミー作品賞を取る事もなかっただろう。

 イラク戦争は、世界に混沌を生み出しただけであった。そのイラク戦争を直接描かずに批判した映画といえばスピルバーグ監督作「ミュンヘン」。ミュンヘンオリンピックでイスラエル人選手団がパレスチナ系テロリストに拉致され、最終的に全員死亡してしまった事件に対するイスラエル政府の報復を描いた作品。

 当時のイスラエル首相であったゴルダ・メイア(鉄の女?)が、ミュンヘンオリンピックにおけるテロ事件に対して報復を決意する。政府の諜報機関であるモサドに命令し、パレスティナ系の有識者を殺害するよう命じた。詳しくは町山さんの解説をどうぞ。

 2005年のクリスマスに公開され、映画のラストシーンで世界貿易センターを映し出す事により、ブッシュ政権のイラク戦争を批判した。映画のテーマは、報復は報復しか生まない、憎悪のスパイラルを断ち切らなければ、流血が続いていくという事を描き出した。

 スピルバーグ最新作の「リンカーン」でも、リンカーンが「Shall we stop this breeding」と言うセリフがあり、根底にあるテーマは「ミュンヘン」と「リンカーン」に通じるテーマだろう。同じ脚本家(トニー・クシュナー)ということでも推察できる。

 イスラエル政府のモサドによる報復を描く事によってイラク戦争を批判した「ミュンヘン」。本当は「ゼロ・ダーク・サーティ」で描かれたCIAのビン・ラディン殺害作戦。両作とも、政府による報復活動を描いた重厚な作品であるが、本当はスピルバーグが2005年にビン・ラディン殺害作戦を映画化して、スピルバーグ監督作品としての「ゼロ・ダーク・サーティ」が作られていれば・・・と思ってしまう。
「ミュンヘン」におけるSEXシーンは映画史上最も衝撃的な描写だ。(閲覧注意)





 キャサリン・ビグロー監督は女性監督として硬派な映画を撮り続ける骨太な方である。しかし、「ハート・ロッカー」という作品が生まれなければ良かったと個人的に考えている。あまりにビン・ラディン殺害が遅すぎたのだ。その途中にイラク戦争という周り道をしていくことによって、アメリカは軍事的・経済的覇権を失い、今年になってボストンでテロが発生してしまった・・・。

 「ゼロ・ダーク・サーティ」がもっと早く作られている状況であれば、テロで人が死んでいく現代の混沌は防げていたのかもしれないとすら思えるのだ。女性初のアカデミー作品賞・監督賞を獲得したキャサリン・ビグロー。「ハート・ロッカー」や「ゼロ・ダーク・サーティ」は映画として傑作で、評論家からの評価も高い。しかし、イラク戦争さえなければ、こういう映画は作られなかったし、その方が世界にとって好ましかったのは間違いない。

 だからキャサリン・ビグロー監督の真の最高傑作は、「K-19:The widowmaker」なのだ(個人的に)歴史的に、もしイラク戦争が防げたとしたならば・・・だが。

 2013年になって、テロによる流血が続いている状況だからこそ、スピルバーグの「ミュンヘン」を観る価値があるのではないか。キャサリン・ビグロー監督「ゼロ・ダーク・サーティ」を見て、もっと政治的に深いテーマを含んだ諜報機関による報復活動を観たいと思えれば、迷わず「ミュンヘン」をおススメする。

本当に市街地で爆弾テロが起こったら、人はどのように傷ついていくのか。人体がめちゃくちゃになって、阿鼻叫喚の地獄を絵図を容赦なく描いた「ミュンヘン」

 テロを実行し、精神的に追い詰められ自分の良心と葛藤していくモサドのエージェント、テロの標的にされた無実の人々(しかもインテリで、エージェントより数倍頭が良い)。テロに巻き込まれ、泣き叫ぶ市民。中東の平和を名目に強硬的に権力を行使するイスラエル政府。

 映画の中で描かれる残虐さやシナリオの残酷さに一切容赦がない「ミュンヘン」、報復とは血で血を洗う残酷な現実そのものなのだ。

 「ゼロ・ダーク・サーティ」に足らないのは、残虐性だと思う。もっと、血や人体が飛び出るような描写が必要だったのではないか?。爆弾テロの恐ろしさを描いた点については、「ミュンヘン」の方が遥かに上である。

2013年4月28日日曜日

「キムジョンギリア」北朝鮮内情告発ドキュメント


 北朝鮮情勢が悪化して、ミサイル発射も近いという状況から多少落ち着いたのかと思ったら、アメリカ人を拘束したとのニュースが・・・。

 これもアメリカから譲歩を引き出すための駆引きでしょうが、こう着状況なのか、状況が悪化しているのかが分からない。

 北朝鮮情勢について勉強しようと思い、「キムジョンギリア」という映画を観ました。貧困に苦しむ北朝鮮国民、脱北者とのインタビューを通じて、現在の北朝鮮情勢がどれほどひどい状況かを告発するドキュメント。(日本公開時は2010年10月25日)

 最初ジャケットを見た時、ポール・トーマス・アンダーソ監督の「ザ・マスター」と似ているなと思いました。また「キムジョンギリア」というタイトルと、「マグノリア」が似ているので驚きましたが。

 キムジョンギリアとは、金正日の46歳誕生日に贈られた花の名前です。この花は、愛・平和・知恵・正義を象徴するそうです・・・。

 
 国内の貧困や、金一族の独裁に苦しむ北朝鮮国民。インタビューを受けた人達は、兵隊だった人や体制側の芸術演出に携わっていたピアノ弾きの方、何年も売春に従事させられていた女性等。

 体制維持の為に国民の犠牲を厭わない北朝鮮。徹底的な恐怖政治と、国民を貧困に陥れ外国の情報に触れさせず、反体制側と見なした市民を公開処刑する事により国民に恐怖を与え、反対勢力の芽を断つ。それでも貧困により生活出来なくなり、脱北の道を選んでいく人々。

 日本人が知っている事実がドキュメンタリーの大半ですが、序盤にインタビュワーが金日成を崇拝していたという言葉を聞くと戦慄が走ります。今まで体制側に教えられていた事が、外国に行くことにより全て嘘だったと気づいた等、衝撃的なインタビュー内容。

 詳しい内容はネタバレになるので避けますが、ドキュメントの間で日本が朝鮮半島を植民地化した過去について触れられています。時系列で行くと。

 1910年 日本が朝鮮半島を植民地化。
 1913年 金日成がキリスト教一家の元に生まれる。(彼の祖父はプロテスタントの宣教師)
 1919年~1940年 朝鮮の自由を求める戦士たちが日本軍に抵抗(教会の支援を受ける)
 1932年 金日成が抵抗軍に入り、それと同時に共産主義を採用する。
 1935年 日本軍が金日成を指名手配
 1941年 金日成、ソ連に赴く
 1945年 連合軍が日本軍に勝利し、ソ連と連合軍が38度線で領土分割
 1948年 金日成が朝鮮民主主義人民共和国をマルクス主義国家として建国
 
 その後は、朝鮮戦争が勃発したという歴史です。個人的に、金日成がキリスト教一家の元に生まれたというのは初耳でした。キリスト教について教育を受けているはずなのですが、無神論のマルクス主義に傾倒するということは、金日成自身に神を否定せざるをえない状況に追い込まれていたのか(詳しくは勉強中)。他にも、キリスト教団体が脱北に関わったりという描写もあります。

 ドキュメントでは、北朝鮮が独裁国家になったのは日本であると糾弾するような描写はありませんが、第二次世界大戦で、日本が連合軍に負けてソ連が現北朝鮮領土を支配したのが運命の分岐点となったのは間違いありません。ただ、アメリカは共産主義に傾いた国に対して。CIAがその国の軍に働きかけてクーデターを起こさせ、共産主義政権を倒すよう画策するのですが、北朝鮮は失敗例なのか。(ここも勉強中。)

 最も印象に残ったインタビュー内容ですが、「もし金正日が死ねば、混沌が待っている。」
これは、金正恩体制における核ミサイル危機を暗示していたのかもしれません。また、「金正日が死んでリーダーが変われば、北朝鮮に戻って国を再建したい」とも。

 自らが生まれ育った土地を離れなければならないという事は、悲劇そのものです。「この国を出よ」なんて煽る人もいますが、こういうドキュメントを見れば、とんでもない事だという事を実感できます。北朝鮮なら、言語が同じである韓国が隣にありますが、他に中国に脱出しても言語等様々な苦労が待っている。そして、脱北者自身、北朝鮮に残した家族を救うために行動したくとも、体制側の報復を恐れて何も動けない状況。

 日本とは考えられない程悲惨な状況になってしまった北朝鮮。国民は、飢えを凌ぐ事で精一杯でまともな教育も受けられない。国民を常に追い詰めれば、反体制勢力が生まれず体制維持に好都合なのです。そしてアメリカや中国からの譲歩を引き出すために、国民の犠牲を厭わない国家、それが北朝鮮。

 このドキュメントに近い映画は、ジンバブエ大統領のロバート・ムガベに土地を奪われた白人が、国際司法裁判所でムガベ大統領を訴えた「Mugabe and the White African」がありますね。こういうドキュメントを見て、独裁者と、その圧政に苦しむ国民の現状を認識する事が必要ではないか。

※世界最大の動画サイトで、「キムジョンゴリア」と英語の原題で検索してみてください。もしかしたら、アップされているかもしれません。


2013年4月27日土曜日

最近のバラエティー番組って「ポムワンダフル提供:金で魂を売った最も偉大な映画」だよね

最近のバラエティー番組って、1時間番組が減って、19時から21時までの2時間番組が増えましたね。しかも、フランチャイズレストランの人気メニュートップテンを当てる、AKB総選挙を真似たような人気商品ランキング総選挙、会社の工場に潜入して人気商品の製造工程を見せる等、露骨な広告臭が強い番組が増えてきました。

 番組自体は、お笑い芸人を出演させて、あえて厳しい状況に追い込ませて笑いを取ろうとするなど、エンターテイメントも忘れずに、広告・低予算・長尺といった形で製作していますね。

 そういうバラエティ番組を見ている人に、見て欲しいドキュメント映画が「ポムワンダフル:金で売った偉大な映画」です。

 この映画は、スーパーサイズミーで有名になったモーガン・スパーロックが作っています。スパーロックが作ったドキュメントは、基本風刺ドキュメントになりますが、今回は広告が標的。

 まあ基本、広告臭が露骨なコンテンツは絶対面白くないよっていうのが結論なんですが・・・。

 モーガン・スパーロック監督最新作、「映画の内容はどうでもいいから、映画の中に出てくる商品を目に焼き付けて、良いイメージをってください。広告はあなたを幸せな気分にします。」という感じですね。

 そんなのありえないと思うのが普通の人の感覚だと思いますが、製作側は徹底的に宣伝したい商品を、不自然さを排除しつつ、いかに視聴者に見せるかが腕の見せ所。そういう製作者側の思惑を引き出そうとするモーガン・スパーロックが映画監督をやるわけですから、広告を最優先に考える製作者側と噛み合う訳がありません。

 というより、モーガン・スパーロックの製作者側に提案するアイディアが、広告として最も目立つ事しか考えないので、不自然さを配慮しつつ広告を埋め込みたい製作者側は、どうして私たちの思惑を理解しようとしないの?みたいな雰囲気なんですがね・・・w。

 広告についての風刺ドキュメントなのに、これは男女がなぜ分かり合えないかを、まざまざと見せられているようでした。モーガン・スパーロックは、男性脳で商品を目立たせる事しか考えておらず、製作者側は、商品を目立たせる事・不自然さを排除すること、視聴者に良いイメージを持ってもらう事等、配慮が出来過ぎる女性みたいでしたね。

 男性が論理的に主張することしかできず、女性は論理だけじゃなく、共感や思いやりを求めて噛み合わない恋人同士なんだよと遠回しに伝えたいドキュメント映画なんだと実感。

 ここまで広告が映画製作に浸透してきた理由は、出来るだけ安い予算で映画を作りたいからですね。それ以外の思惑なんてありません。広告によって、安い予算で製作でき、映画の中に商品を、これでもかって程視聴者に見せて、良いイメージを持ってもらえれば万事OK。

 映画の完成度なんてどうでもいいよって事なんて言っても、ちゃんとした映画を作りたい監督の一人であるタランティーノがスパーロックとのインタビューを受けるのですが、「露骨に商品広告をやると、映画のリアリティが壊れちゃうよ・・・」と言ってました。またJJ・エイブラムスは「ストーリーテリングは、ストーリーセリングなんかじゃないぜよ・・・」とも。

 個人的に最も印象的だったのは、映画広告のトレイラ―製作の現場ですね。トレイラ―製作の現場では、ニューロマーケティングという理論が実践されているようで、スパーロックにニューロマーケティングの簡易検査をMRIで調べるのですが、これがもう衝撃的で・・・。

 広告を、人間の脳に反応させるように作るというのは、二つの効果があります。一つは恐怖を呼び起こす事と、ある商品が広告で映った時、ドーパミン放出を促すことで、その商品を欲しくなる中毒的症状が起こるのです。

 さすがにスパーロックも驚愕。これって視聴者の脳をコントロールすることじゃないの?って、聞いてみると、「いや広告は、MANIPULATION(操作)だよ」と・・・。

 広告というビジネスは、視聴者が知らないところで物凄く進化してるんですね(棒)。ということで、日本のバラエティ番組に違和感を持たれたら、オススメできるドキュメントです。

 個人的には、面白がる風刺映画というよりは、人類に対する警告映画なんじゃないのと思いましたけどね。ニューロマーケティングについて興味があればどうぞ。

 ちなみに、このドキュメントを見ると、映画予告トレーラーが全く信じられなくなります。これは、人間の脳にドーパミンを放出させて、ノータリンジャンキーなっちまいな+IMAXで見に来いよ戦略と、頭の中でインセプションされます。

 アイアンマン2についても、シーンに広告沢山入れてる事を指摘しているのですが、アイアンマン3は一体どうなるのでしょうか。個人的には早くアイアンマン3版「正直なトレーラー」が出てくる事を期待しております。

 ロマンぶち壊しCinema Sins→https://www.youtube.com/user/CinemaSins?feature=
 脳神経映画中毒破壊→https://www.youtube.com/user/screenjunkies?feature= 


※この映画の中で、ポール・トーマス・アンダーソン監督は、映画製作における広告に全く興味ないと言ってます(本人のインタビューではないですが・・・)。広告臭が嫌いな方はどうぞ。

 あと、ソフトバンクのCMで使われてるBGMが沢山使われてます。特に、スパーロックが映画製作の広告について会議している途中とかですね。きっとスパーロックが、ソフトバンクのCMを見てパロディーとしてオマージュを捧げているんですね、わかります。

2013年4月25日木曜日

宗教的対立に和解はありえないのか「アメリカン・ヒストリーX」

 ボストンの爆弾テロ事件、犯人が捕まってからいくつか供述をしているようですね。二人兄弟のうち、兄は射殺され、拘束された後の弟はベッドのベッドの上で供述しているようで、「兄はテロの首謀者で、イスラム世界を守りたかっただけなんだ」とCNNが明らかにした。

 この事件から、アメリカンヒストリーXという映画における主人公とその弟を思い出しました。

 トニー・ケイ監督、エドワード・ノートンやターミネーター2で少年時代のジョン・コナーを演じたエドワード・ファーロングが演じており、白人至上主義に傾倒する兄弟の心理的な危うさと葛藤、その悲劇を描き出した作品です。

 兄弟は白人至上主義に傾倒し黒人を憎んでいます。エドワード・ノートンはクルマ泥棒を働いた黒人を見つけ、容赦なく殺害し逮捕されます。なぜ黒人を憎んでいるのか。それは、アメリカの典型的な中流階級だった一家で、ある日父親が黒人に殺されてしまい、黒人に対する抑えきれようもない憎悪と、愛する父を失った事による喪失感から、ネオナチ組織に出会ってしまい、過激なキリスト教軍団に入ってしまったからです。

 愛する父親を失った後、心の中が空っぽになり、自分の居場所をネオナチ組織に求めてしまったのが悲劇の始まりでした。兄が逮捕された後、ファーロング扮する弟が兄が所属していたネオナチ組織に居場所を求めてしまうのです。

 愛する人を失って、心の中が空っぽになり、その空虚を埋めるために新たな居場所を求めてしまった兄弟の悲劇でもあります。ボストンのテロを実行した兄弟も、もしかしたらアメリカン・ヒストリーXで描かれた兄弟と似ているかもしれません。
 
 人は、希望無しには生きられない。自分の居場所を見いだせなければ、新たな居場所を見つけようとする。それが、ボストンのテロ事件を起こした兄弟にとって、イスラム教(もしくは、過激なイスラム教の思想を説く組織か?)だったのかもしれない。新たな居場所を見つける事によって、人は生き甲斐を見つける。その居場所を守る為なら、手段を選ばなくなる。洗脳といっても過言ではなく、まともな理性を失っていたことは間違いありません。

 「イスラム世界を守る為にテロを実行した」という動機に、理性も論理も存在しない。なぜなら、ボストンのテロ事件で犠牲になった人は、アメリカの中東政策と関係ない人で、イラク戦争に対する復讐なら、ブッシュ政権と裏で繋がっていた企業に対してテロを起こした方が自然な動機です。(テロを推奨しているわけでも、アメリカの責任ともいうつもりはありません。)

 また中東におけるテロは、タリバンやアルカイダ等、イスラム教の教義を歪めて解釈し、仕事がなく貧しい人々を洗脳して実行させているので、イスラム世界の敵がアメリカにいるわけではない。それでも、ボストンのテロ事件を強硬してしまった。イスラム世界を守る為に、本当にやるべき事は何か考える事すら出来なかったと思われる。

 アメリカンヒストリーXで描かれた兄弟と、ボストンのテロ事件を起こした兄弟に共通点を感じるのです。自分が信じる正義の為に、人を殺めてしまったという悲しい悲劇。その正義が、人を殺してまで、やるべき事だったのか。

 ネタバレになりますが、アメリカン・ヒストリーXにおいて最後に、黒人の報復として弟が殺されます。ボストンのテロ事件は、兄が射殺され弟が生き残った状態で拘束されました。映画と現実は違いますが、何か不思議な縁を感じるのです。

 エドワード・ノートンは「ラリー・フリント」で、ポルノ雑誌ハスラーの創刊者であるラリー・フリントとキリスト教福音派のジェリー・ファルウェルと裁判において、フリントの弁護士として戦ったり、ファイト・クラブでは、元々エリートビジネスマンが、自分の化身(理想像?)と幻想で交わることで、ファイトクラブを作って、金とクレジットカードにコントロールされた人間の本能を取り戻すために殴り合い友愛会を作るのですが、いつのまにか狂気のカルト集団(テロ組織)になってしまい、全米の都市にテロを起こそうという・・・。狂気性に気づいたエドワード・ノートンは、テロを阻止しようとするのですが、自身の化身と戦いつつ、最後にはビルが爆破される瞬間を眺めているという映画でした。

 エドワード・ノートンはエール大学卒のインテリで歴史学を学んでいたそうで、歴史に宗教がどのように関わってきたのかを映画における映画で体現しているのではないか(筆者の解釈)。

 「アメリカン・ヒストリーX」はネオナチと白人至上主義に傾倒するが、足を洗おうとして更正する中で最終的に弟を殺されたしまった男、「ファイトクラブ」では、ビジネスマンが自分の別人格と出会うことで、殴り合い友愛会に傾倒してしまい、最終的にビル爆弾テロに加担している事になってしまい、最後に別人格を克服したが、爆弾テロを阻止出来なかった男(傍観?)。

 「ラリー・フリント」は、ポルノ雑誌ハスラーの創刊者ラリー・フリントの弁護士としてジェリー・ファルウェルに戦いを挑む弁護士と、宗教やカルト的集団に関わったり、宗教勢力と戦う男を演じてたりと、エドワード・ノートンは1990年代の社会派ドラマによく出てたんですよね。

 一般人が何らかの機会(愛する人を失った、自分の居場所がない等)で、宗教や過激な思想を持つ集団に傾倒すると、人間性がどのように変わっていくかを知る上で、エドワード・ノートン出演作品を観ると、宗教とは何かを考えるきっかけになると思います。

 アメリカ社会における宗教のあり方、過激な思想を持った集団に傾倒してしまった人達について、「アメリカン・ヒストリーX」は白人と黒人の人種間対立だけでなく、多宗教との衝突を暗示していたのかもしれない。

 この記事は、個人の推察を元に書いておりますので、極力偏見や個人の倫理観を排除するよう配慮しておりますが不快な気持ちになられた方は、予め謝罪致します。
 

 

2013年4月24日水曜日

スピルバーグのリンカーンから政治的比喩を読み取る。

 スピルバーグの最新作リンカーンが公開されて、映画ファンの解説や感想等、リンカーンに対して様々な感想がアップされつつありますね。賛否両論で、ダニエル・デイ=ルイスの神懸かり的な演技に対する称賛や、アメリカ史についての解説等、様々な評論がありますので、それらとは違ったリンカーンに対する解釈をしたいと思います。リンカーンから読み取れる政治的比喩について探ってみたいと思います。

 リンカーンは、映画の大半が修正憲法13条を可決させるための政治的取引に焦点が当てられており、アメリカ史に詳しくない人にはピンとこない映画なのですが、アメリカ史よりも、映画の製作者から読み取れる政治的比喩が分かれば、もっとリンカーンが面白く思えると思います。


 このインタビューでは、スピルバーグとダニエル・デイ=ルイスとマーク・ハリスがインタビューしています。序盤にマーク・ハリスが言うのは、私はジャーナリストで、リンカーンの脚本を担当したトニークシュナーが夫であり、私自身歴史上と映画のリンカーンのファンであると言ってます。

 脚本のトニー・クシュナー(ユダヤ系アメリカ人)は同性愛者で、インタビュアーのマーク・ハリスと結婚しているのです。映画版リンカーンは、ここが一つ政治的比喩を読み解くポイントだと思います。

 スピルバーグとトニー・クシュナーがタッグを組んで作った映画と言えば「ミュンヘン」です。ミュンヘン・オリンピックでイスラエル人選手がアラブのテロリストに誘拐され、最終的にテロリストと選手全員死亡してしまい、その報復の為にイスラエルの諜報機関モサドが強行的に報復に出て、その報復に関わったメンバーの苦悩や葛藤を描き出す人間ドラマでした。

 この映画が、イスラエルを批判するだけでなく、イラク戦争を強行したブッシュ政権に対する批判であることは最後のシーンで分かります。ブッシュ政権における共和党は、キリスト教福音派の支持を得てイラク戦争後の大統領選にも勝利しているのですが、政争の具として利用したのが同性愛や中絶ですね。憲法で同性愛や中絶を禁止して、キリスト教の価値観を国家の根幹に反映させようとしていたのです。

 従って、ミュンヘンが批判するものは、イスラエルの横暴、ブッシュ政権のイラク戦争が表向きには読み取れるのですが、トニー・クシュナーのセクシャリティを考慮すると、同性愛者や中絶を憲法で禁止しようとしていたキリスト教福音派に対する批判も読み取れるのではないかと思います。

 スピルバーグとトニー・クシュナーがタッグを組んだ映画は、どうしても共和党批判的な内容になってしまうのは避けられないの面があります。リンカーンで描かれた修正憲法13条を可決するために行われた政治的取引は、現在の民主党政権と野党の共和党との関係性を直接的に暗示していますが、黒人奴隷は、現代におけるセクシャルマイノリティや宗教的少数派に対する差別の象徴と読み取れるのではないか。黒人奴隷制廃止の為に命を懸けたリンカーンは、最近の人物で例えると自身が同性愛者であり、少数派の地位向上の為に尽力したサンフランシスコ市議のハーヴェイ・ミルクに近い。

 議会におけるサッディアス・スティーブンスと民主党議員のやり取りは、アメリカにおける少数派が差別されている状況の象徴で、「神は、黒人を白人と同等として作ったわけではない」と民主党議員が神の論理を利用して黒人奴隷制を擁護するのですが、キリスト教が黒人(少数派)の差別の根拠として利用されるアメリカ社会に対する批判であり、少数派の怒りの象徴と思える。


 
 映画の中で、サッディアス・スティーブンスが頑固親父として、「全ての人間は憲法によって平等と定められている。」と議会で民主党議員に主張すると、民主党議員が大激怒するのですが、これは同性愛の地位を向上させようと言うと、神に対する冒涜だと怒り狂うキリスト教福音派のような現状を類推させますね。個人的な解釈では、サッディアス・スティーブンスの描写は、ブッシュ政権において強引にキリスト教的価値観を国家に浸透させようとした事に対する皮肉かと。南北戦争の時には、黒人奴隷を解放し、白人と黒人の権利を同等にしようとする議員が共和党にいたのに、現代の共和党は一体どうなっているんだ?ということでしょうか。

 歴史的にみれば、アメリカにおける黒人は、アフリカから労働力確保の為に連れて来られたので黒人が差別されてしまうのでしょうが、アメリカが黒人に乗っ取られるというのは、ちょっと理解しづらいのですがね・・・。

 以上、リンカーンから読み取れる政治的比喩をまとめると以下の通り(個人的解釈)

 ①現代のアメリカ政治における、上院は民主党、下院は共和党が過半数を支配し、政権政党である民主党の政策を反対し続ける共和党に対する批判。

 ②南北戦争では、共和党に黒人奴隷制度を廃止しようと命を懸けた偉大な男であるリンカーン(オバマ大統領?)、民主党議員に「黒人と白人の権利は平等である」と声高に言い放ったサッディアス・スティーブンス(ジョン・マケイン?、イラク戦争に反対した共和党議員?)が所属していたのに、現在の共和党は一体どうなっているのか。共和党議員は、リンカーンやスティーブンスの理念を忘れたのかという批判・皮肉。

 ③黒人奴隷解放は、現代のマイノリティーに対する差別の象徴。キリスト教の教義が、その差別に利用されている現状を、そのまま議会シーンで描写。

 ④政治家は、それぞれ理想を持っている。こういう社会を実現したいという志を持つことは大事であるが、理想ありきではダメなのだ。キリスト教的価値観を理想とする人たちは、その理想を追求すると、同性愛者等に対して結果的に迫害してしまう。逆に、どれほど理想が正しくても、実現出来なければ意味がない。サッディアス・スティーブンスが議会で主張した「黒人と白人は同等である」という頑固な意志が、民主党議員の大反発を呼んでしまい、結果的に修正憲法13条を可決するための障害になってしまった。

 ⑤現代の政治家に必要な能力は、扇動力ではなく、敵対勢力に対する妥協を引き出せる現実的な交渉力なのではないか。交渉において多少法律に違反する行為を行っても、目的が正しければ、その行為を後世が正当化するのではないか。

 上記の解釈は筆者独自のモノなので、参考までにお願いします。リンカーンは、アメリカの政治や歴史を知らないと非常に難しい映画であるので、ハーヴェイ・ミルクを映画化した「ミルク」のように少数派の地位向上に尽力した男達の歴史的ドキュメンタリーとして見ると、違った楽しみが出来るのではないかと思います。

 トニー・クシュナー脚本の「エンジェルス・イン・アメリカ」を見れば、「リンカーン」を表面とは違う楽しみ方が出来るかもしれません。

 「リンカーン」を見て、日本に必要なのはサッチャリズムであり、日本再生の為に必要だと思う人は勘違いだと思います(そんな人いないと思いますけど)。「エンジェルス・イン・アメリカ」の舞台は、レーガン政権において、同性愛者が差別されていた現状を描き出すもので、古き良き時代に対するノスタルジー批判に近い。

 サッチャー逝去に合わせて、「リンカーン」を都合よく解釈しないで頂ければと思います。「リンカーン」を解釈する場合は、サッチャリズムより、少数派に対する差別に戦ったリーダーという解釈の方が自然です。

  オバマ大統領の役割は、南北戦争におけるリンカーンと同じです。すなわち、格差やキリスト教(ブルーステイツとレッドステイツ)によって分断されたアメリカ社会を再統合すること。オバマ大統領の第一期大統領就任演説で、リンカーンが使用した聖書を使った事は有名です。そして、第二期大統領就任演説では、同性愛者の地位向上について言及しました。

 「リンカーン」は民主党政権のプロパガンダ映画なのでしょうかね。D・W・グリフィスの国民の創生から、時代は変わったと実感します。

 

 ※「リンカーン」がアカデミー作品賞を取れなかった理由は、「ミュンヘン」でユダヤ系のスピルバーグ自身が、ユダヤを裏切ったと批判された影響があるのかもしれません。アカデミー賞を投票するのはユダヤ系の人も多いですから、絶対スピルバーグには投票しないと考えているハリウッド会員も存在するかもしれませんね。こんな評論もありますし・・・。



 「リンカーンは汚い政治家だ。目的が正しければ、汚い事をやってもいいだって?。政治家はみんな自分の行動が正しいと思ってるけど、全て間違っているからね。」

 ブッシュ政権のおいて不正が暴露された共和党議員に対する怒りでしょうか。リンカーンって、私利のために汚職に走る政治家の象徴じゃないのって解釈も出来ますね・・・。

 これはある意味、インセプション現象だ。映画で描かれている事は、製作者側の意図が反映されているから、実在の歴史を再現しても参考にならないよ。だって、本当じゃないかもしれないから。

  もう、これ以上は「リンカーン」を見た方の判断にお任せいたします。



追記:日本も、これから憲法を変えようとする動きが激しくなってきましたが、憲法を変える事がどれほど困難なのかという見方で「リンカーン」を見ると、より違う楽しみ方が出来ると思います。
本来憲法は権力に対して制約を課すものなので、リンカーンが苦心して修正憲法13条を可決させるプロセスこそが、民主主義の象徴かもしれません。ただし、憲法を変えるだけじゃなく、国益を守るために憲法を守ることも民主主義の象徴です。憲法とは何か、それを考える良い機会となる映画だと思います。

2013年4月23日火曜日

軍産複合体としての「アイアンマン」

 もうすぐアイアンマン3が公開されますね。シリーズ最終作なので世界中で盛り上がっているようで、我らがアイアンヘッド、世界のヨシマヤと主演のロバート・ダウニーjrのツーショットが、日本でも話題になりましたね。

 ハリウッドスターと日本代表希望の星のツーショットなんですから、そりゃ日本人はしゃぎますよね。僕は、ヨシマヤの華麗なクリアと巧みなフィードの方がハシャギマスガ。

 写真は、あえてペプシマンポーズのアイアンマンを持ってきました。コスチュームと、ロバート・ダウニーjrの顔に若干のミスマッチ感を感じてしまいます・・・。

 アイアンマン自体、非常に深いテーマが含まれている映画なので、単なるスーパーヒーローが世界を救うみたいな勧善懲悪的ストーリーからは一線を画しています。アイアンマンとは、アメリカにおける軍産複合体の象徴なのですから。

 軍産複合体とは、軍需産業を中心とした私企業と軍隊、政治機関が形成する連合体です。軍産複合体は、基本戦争が起きると儲かります。戦争が無ければ、その逆です。だから、政府に戦争を起こさせて、沢山武器を作って売りたいという欲求が働くことがあります。本来は、政府がコントロールしなければならないのですが、政府閣僚に軍産複合体の利害関係者がいれば、国益無視で他国に侵略戦争を仕掛けるという歴史が繰り返されてきました。

 原作コミックのアイアンマンはベトナム戦争が舞台で、映画一作目は2008年公開で明らかにイラク戦争やアフガン戦争を意識しており、主人公はアフガンでゲリラ組織に捕まってしまい、死の商人から正義のヒーロー(?)に生まれ変わるというシナリオです。

 映画版一作目は、凄い評価が高く、既にネタバレ等の解説は既にアップされているので、それらとは違う視点で分析します。

 この映画の問題点は、主人公ですね。天才科学者で大企業社長の主人公が、いい人なんですね。実際の軍産複合体の社長が、いくらなんでも簡単に正義の人として生まれ変われるのかと疑問を持たれる方もいるでしょう。公開当時イメージするのは、ディック・チェイニー副大統領とかですが、チェイニーってブッシュ政権におけるダースシディアスみたいな人で、Wをダークサイドから操った黒幕とすら言われる人ですからね。

 アイゼンハワー大統領が退任演説の時に警告した軍産複合体の台頭。結局誰も防げなかったのですが、その罪を償うためのアイアンマン。2008年公開なら、もう少し主人公はディック・チェイニーをモチーフにした方がいいと思いましたけどね。
 
 アフガンで拉致された主人公、なんとか脱出してアメリカに戻り、主人公が経営する大企業の武器製造を止めると宣言するんですが、こんなことはありえないので、アメリカ人の平和への祈りとしてのマクガフィンでしょう。

 そのあとは、会社の経営権を巡って、武器を作り続けたい人たちとの仁義なき戦いになっていくのですが、こういうパターンだと主人公最後に殺されるのが定番。もちろんそうなりません。アイアンマンはスーパーヒーローですから。

 今まで自分がやってきた事が間違っていたという事に突然気づいて改心しようとすると、必ず過去の自分が犯してきた罪に対する葛藤や苦しみといった人間描写があるはずですが、映画版アイアンマンは少し弱いかなと。

 こういう死の商人的映画を観るなら、アンドリュー・ニコル監督の「ロード・オブ・ウォー」の方が、映画として非常にシリアスで、尚且つニコラス刑事のオスカー俳優しての演技を堪能できます。アイアンマン3を見に行く前に下準備として見るべき映画としてお勧めです。こちらは、死の商人としての生き方から、悲劇までシナリオがアイアンマンより、しっかり描かれています。

 主人公が、今までの過去から決別して、自分が正しいと思った事をやり遂げようとする映画は、弁護士映画やギャング映画に多いので、そのような類の映画を意識してアイアンマン3を見ると、感情移入出来ると思います。

 ただ、主人公の恋人(?)のペパー・ポッツはどうなるのでしょう。グウィネス・パルトロウは、デヴィッド・フィンチャーのセブンで、サイコのケビン・スペイシーに首チョンパ。コンテイジョンでは、香港でウィルスに掛かって序盤で死亡し、解剖作業で脳を解体されていましたからね。

 アイアンマンにも、今までやってきた罪を償う必要があります。それは自発的に償える罪もあれば、強制的に神様が罰を与える罪もあるでしょう。今までのグウィネス・パルトロウの出演作から見て、ペパー・ポッツは死ぬんじゃないかなと思います。

 いや個人的に、そういうシナリオを期待しているだけです。グウィネスは、シェークスピアを惑わせた罪深い人ですからね。フィンチャーの執念から逃れることが出来ないんじゃないかとも思うのです。

 いやアイアンマンは、娯楽エンターテイメントの申し子なんですよね・・・。

ハイスクール白書 エリート養成所に気をつけろ

ハイスクール白書、優等生ギャルに気をつけろ」という映画をご存知でしょうか?。写真に写ってるのは、リース・ウェザースプーンです。この写真だけだと、まるで怪物みたいですよね・・・。

 マシュー・ブロデリックが高校の先生役をやっていて、先生女子生徒に喰われてるじゃないですかwww。怯え3割、7割警戒や不信といった表情なのが印象的。

 原題はElectionで選挙ですね。別にヒラリー・クリントンみたいな女性政治家が、大統領選挙で勝利を目指すといった映画ではありません。もっと小さい世界で、私達にも身近な出来事です。

 テーマは、高校の生徒会長選挙です。リース・ウェザースプーン扮する野望のために萌えている女子高生が、将来の大学進学を見据えて、キャリア作りの為に生徒会長になろうとするドタバタを描いたブラック・コメディ。

 米タイム誌が選ぶ政治映画で、1位の大統領の陰謀に継ぐ、なんと2位に輝いている名作映画なのです。

 高校の生徒会長なのに何故ここまで評価されているのか。それはアメリカのエリート養成プロセスに対する風刺が沢山込められているからですね。

 監督はアレキサンダー・ペイン。一貫してアメリカ社会に対する皮肉ったコメディ映画を作る監督ですね。アメリカ社会の裏側を勉強するなら、彼の映画を観るといいと思います。爆笑するというより、冷笑したりヒヤヒヤしながら見る事になるかもしれません。

 女子高生の主人公は、自分のキャリアの為になら手段を選びません。基本リア充(?)で、なんでも持っているんですね、先生との性的関係も・・・。ということで、いろいろ危機感を持ったマシュー・ブロデリックは、彼女を生徒会長にさせないために痛い人になっていきます。

 アメリカの有名大学は、SATといった筆記試験で高得点を取る事は当たり前で、学業以外の実績が必要になってきます。詳しくは田村耕太郎さんのコラムを。

 無垢な純粋な学生なんて、アメリカの競争社会では生き残れません。実はオトナより腹黒くて、頭良くて、でも精神的に何かバランスを欠いたエリートが生産されていきます。子供の頃から、ミスコン的競争や、学業における競争環境に晒されているアメリカ社会に対しての風刺でもありながら、警鐘を鳴らすといった意味で、深い深いコメディ映画です。

 誰が子供を競争社会に追い詰めるのか。それは両親以外ありえません。本作でも、主人公より強欲なのは母親なのです。実際、主人公が泣き崩れて辛い思いをしている時に、精神安定剤を飲ませて、あとで反省会をやりましょうねと言って、優しそうだけど鋼鉄のボディーブローを主人公に喰らわせるのです。

 このシーン見た人は、多分引いたと思います。母親気持ち悪いし、最悪の親だと感じるでしょう。しかし、日本でもお受験といった、幼少時から苛烈な競争社会に自分の子供を向かわせていますね。韓国も、中国も、インドも同じような現象が起きつつあります。

 子供の世界における競争社会が過熱して、最終的に行きつく先は、この映画だと思えばいいと思います。個人的には、ヒラリー・クリントンって、こういう競争社会に身を置いて勝ち残ってきたエリートなのかなと思いました。クリントン家って上流階級ですからね。アメリカの大統領は、下手したらブッシュ家とクリントン家の子息が交互にやるって可能性もありえましたからね。

 周りに行動力があって立派な事をやっている友人や、リアル充実してる人に対して、不信感をもっている方は、見ていてスカッとする映画だと思います。特に最後のマシュー先生怒りのパイ投げは、凄い共感できると思いますよ。

 アメリカ留学を考えている学生や、お受験をさせようか迷っている父母の方等、娯楽としてご覧ください。クレヨンしんちゃんのようなバカバカしくて、でもヒヤッとさせられる名作です。

 個人的には、マシューが演じた先生って、監督自身を投影してるんじゃないかと思いましたw。優等生ギャルのバカ野郎って事でマシュー先生の復讐、アレクサンダー・ペイン監督の呪いは、今更になって報われました。アカデミー賞女優のリース・ウェザースプーン、遂に本性を表しましたね。

 外面をいくら取り繕っても、中身が伴わない人は、やっぱりイタイのです・・・。映画の登場人物とは関係ないですが。

2013年4月22日月曜日

中国の鳥インフルエンザ怖いよね「コンテイジョン」

 中国の鳥インフルエンザ感染が未だに解決の糸口が見えませんね。人から人へ感染する可能性も否定できないとの報道であるようで、予断を許さない状況です。

 ウイルスとは、全く見えないモノであり、どうやって防げばいいか不明である事も多いため、市民がパニックに陥って、余計混乱に拍車を掛ける事もあり得ます。

 一般市民は、ウイルスに対する知識なんて持ち合わせているはずはありませんが、SARS等のウイルスが流行した場合、どのようにパターンで市民が混乱に陥るのかを知るうえで、スティーブン・ソダ―バーグ監督の「コンテイジョン」は一見の価値あり。

 COTAGIONとは、接触感染という意味です(逆に空気感染はINFECTIONと言います)。出演キャストが、あまりに豪華なので映画の内容なんか忘れて、美人な有名女優の演技しか覚えてないなんてありえるかもしれません。映画解説は町山さんの解説をどうぞ。

 個人的には、グウィネス・パルトロウが序盤に死んでしまうんですが、デイビット・フィンチャー監督のセブンを思い出しました。やはりグウィネスは、死に役が似合う女優ですね。あとタイタニックのヒロインが救われなかったのがなんとも・・・w。

 本作は感染症について、最もリアリスティックな映画で要点は以下の通り。

 ①感染症がいかに世界に広まっていくかを描写。
 
 ②市民が見えない恐怖に怯え、どのようしてパニックが発生するか。

 ③未確定な情報を流しデマを流す人間の危険性

 ④新型ウイルスに対するワクチン開発には、猿等の動物実験が必要。

 ⑤森林伐採等の開発によって環境が変わり、本来人間が感染するはずのない菌が
  人間に感染してしまう可能性。
 
 要点は、なるべくネタバレしないようまとめました。こういう映画の良い点は、なぜ新型ウイルスが生まれてしまうのか、原因の一端を知ることが出来ると同時に、見えない恐怖に対する人間の行動パターンを知ることが出来ることです。

 実際に感染症の流行が起きた時、予め人間が恐怖に怯え混乱していく心理やパターンを知っていれば、どのような状況でも冷静さを失わない可能性が増えますね。中国の鳥インフルエンザについて不確実な状況であるので怖がるのも当然ですが、コンテイジョンを見て客観的にパンデミックとは何かを知る事は、決して損ではありません。恐怖とは無知から生まれるものですから。

 本作では、感染症の流行が香港から始まるので、中国の鳥インフルエンザ流行の状況と似ている可能性もあります。(筆者の意見)

 ただし、ジュード・ロウ演じる恐怖の扇動者にはなってはいけません。どんな状況でも、恐怖を煽る無責任な人はいます。個人的には、ジュード・ロウ演じるフリー・ジャーナリストの行動パターンを頭に焼き付けて、映画中のジュード・ロウと同じ行動パターンの人を見かけたら、自動的に頭の中から排除する事をおススメ致します。

 パンデミックとは何かを理解し、無責任なフリージャーナリストにならないようにするため、本作で描かれる人間の心理描写や行動を頭に入れて、理性を失わないよう心掛けたいものです。

 グウィネス・パルトロウは、悲劇が本当に似合う女優です。
 


 

2013年4月21日日曜日

スピルバーグ監督作「リンカーン」が難しくてモヤモヤしたら、「ミルク」を飲みましょう。

今週金曜日に公開されたスピルバーグ監督最新作の「リンカーン」、評価が二分されているような気がします。

 スピルバーグ作品らしくないとか、シナリオが良く分からなかったから、民主主義のリーダーとは何か学べた等の感想をツイッターで流れてますね。

 リンカーンは、スピルバーグ作品史上最も政治的に深い映画であり、修正憲法13条を可決させる為に、南部の利害を代表する民主党議員の中から、強引な手法を使って懐柔するプロセスに焦点が当てられており、リンカーン自体に共感するのが難しいかもしれません。

 
 もしリンカーンを見て、何かしらモヤモヤしたモノが心の中に残るなら、1977年にサンフランシスコ市議員に当選し、自身も同性愛者であり、セクシャルマイノリティの地位向上に努めたハーヴェイ・ミルクを映画化したガス・ヴァン・サント監督、ショーン・ペン主演の「ミルク」をオススメします。

 なぜ、この映画を紹介するかというと、スピルバーグ監督の「リンカーン」は、トニー・クシュナーが脚本を担当しているからです。スピルバーグとトニー・クシュナーと言えば、ミュンヘンオリンピックでイスラエル人選手がアラブ系テロリストに殺され、その報復の為に強硬手段を取ったイスラエルを批判する「ミュンヘン」が有名です。2005年に公開された映画で、政治的比喩としては9.11同時多発テロの報復として、イラクを攻撃したブッシュ政権に対する批判映画として作られました。

 またトニー・クシュナー自身は同性愛者であり、「エンジェルス・イン・アメリカ」というニューヨークを舞台にした同性愛者の人間ドラマの原作者としても有名。

 スピルバーグとトニー・クシュナーがタッグを組んだ映画は、アメリカ社会に対する問い掛けのような映画になるのは必然的で、特に同性愛者に対して厳しい態度を取る共和党に対して批判的映画になってしまうのは避けられません。

 従って「リンカーン」自体は、アメリカ史やキリスト教、南北戦争時の状況等を理解しつつ、製作者の背景を知らないと、映画に入り込みづらいと言えるのです。

 「ミルク」なら、アメリカ史に詳しくなくとも、セクシャルマイノリティに対する偏見と闘った偉大な政治家として、自らが同性愛者である事を公表し、様々な苦悩、葛藤を抱えながら一人の人間として生きたハーヴェイ・ミルクに共感出来ると思います。解説はこちら

 アメリカにおいて、同性愛者に対する差別が激しい理由の一つはキリスト教です。聖書においては、同性愛を禁止していると解釈できる記述があり、キリスト教福音派と呼ばれるプロテスタントの人々が、同性愛を毛嫌いしているからです。ミルクにおいては、キリスト教福音派の支持を受けた政治家と同性愛について議論するといったシーンがあります。
 
 どの国でも、同性愛者、特にゲイに対する偏見は存在します。その偏見に宗教的価値観が絡むと差別が過熱してしまうのです。同性愛者の人々は、自分のアイデンティティを隠しながら生きるしかなかった人々の希望こそ、ハーヴェイ・ミルクそのものでした。

 志半ばで、ミルクはダン・ホワイトという同僚議員に殺されてしまうのですが、そのシーンも「ミルク」にあります。ミルクが暗殺された後の追悼集会のシーンは涙なしには見れない名シーンです。同性愛者の地位向上に全てを捧げた、セクシャルマイノリティ―にとってのキリストになった瞬間でもあります。

 この映画では、ミルクを殺害したダン・ホワイトの人間性について、明確に描かれるわけではないですが、さり気なく彼自身がミルクと同じ同性愛者だったのではないかと思わせるシーンがあります。彼自身の周りの環境が、自分自身のアイデンティティを偽り、結果的に、それが彼を追い詰めていったのではないかという製作者側の解釈でしょうか。

 「エンジェルス・イン・アメリカ」でも、ロイ・コーンという実在の弁護士をアル・パチーノが演じています。ロイ・コーンは、赤狩り時代に権力を得た弁護士ですが、彼自身がゲイなのです。AIDSに感染してしまい、必死にゲイというセクシャリティーを隠し弁護士として死のうとするが、弁護士資格をはく奪されたことを知った後死んでいくという哀れな終りでした。

 レーガン政権以降のアメリカの共和党は、キリスト教福音派が支持母体なので、同性愛者でありがながら共和党議員として、同性愛者に対する弾圧に手を貸していた人も実在しました。同性愛をテーマにした映画では、同性愛者として、自らのセクシャリティーを公表してマイノリティーの地位向上に努める人物と、自らのセクシャリティーを隠して、自分と同じマイノリティー弾圧に手を貸してしまう人物を対比させると、アメリカにとって非常に深いテーマを追求する映画になるのです。

 自分の本当のアイデンティティを隠して生きていくという事は、自分を犠牲にするだけでなく、他人を犠牲にしてしまい、悲劇が生まれてしまうという私達が学ぶべき教訓でもあります。

 もしリンカーンを見て、同じようなリーダーが苦悩しながら現実と戦っていくという映画を観たいと思ったら、ミルクをオススメします。

 映画の中で、ハーヴェイ・ミルクが暗殺された後に最後に流れる台詞。
「私達は希望が必要だ。希望無き人生なんて、誰も生きていけないのだから。」


 

 

もし自分の上司がハートマン軍曹だったら、俺達の職場ってフルメタル・ジャケットみたいなものじゃないの?

餃子の王将と言えば、どこでも美味しい餃子を食べれる事で有名。仕事終わった後サラリーマン、ビールと王将の餃子は至福の瞬間です。

 しかし、その美味しい餃子を提供するために、従業員の方が大変な研修を受けている事はあまりに有名。僕も餃子の王将は好きですけど、お店に入って店員さんが「いらっしゃいませ」と笑顔で挨拶してくれると、心の中では「ずっと、この風景」が頭の中で繰り返しリピートしてます。

 それと同時に、フルメタルジャケットの序盤で出てくる過酷なブートキャンプ、ハートマン軍曹のサド愛で暑苦しいシゴキを思い出してしまうのです。

フルメタルジャケットといえば、スタンリー・キューブリック監督の名作であり、戦争風刺コメディ(?)です。あまりに残酷な描写が沢山あるのに、なぜか冷めた目で見れる戦争映画なので、愛する人の為に武器を取って戦おうという気持ちにならないですね。ある意味キューブリックの良心なのでしょうか。

 本作は、ベトナム戦争の海兵隊として厳しいブートキャンプを受ける青年たちの苦悩、葛藤を描きながら、精神が崩壊していく様を描いています。見ていて正直嫌になる人が多いと思いますが、逆に、ブートキャンプを見て感動するような描き方をすれば、それは戦争賛歌になってしまうので、訓練描写を過剰なほど凄惨に描く必要があったのかもしれません。

 フルメタルジャケットの逆の方向で作った映画といえば、ポール・ヴァ―ホーベンのスターシップ・トゥルーパーズでしょう。スターシップ・トゥルーパーズは、ナチスドイツのプロパガンダ映画である医師の勝利のパロディーであり、訓練シーンもあるのですが、人間が狂っていく描写は皆無で、主人公が一度どん底に転落するが、最終的にヒーローになって、元恋人のチャーリー・シーンのワイルドシングスすら手に入れるので、典型的なハリウッドエンディングの映画です。

 もちろん、ポール・ヴァ―ホーベンも良心に溢れた名監督なので、戦争に参加したいと思う映画ではありません。



 
 これは一番最初のシーンで、訓練所で海兵隊志願兵を徹底的にシバキ上げている風景。ハートマン軍曹が大声で喝を入れ続け、訓令兵は大声でハートマン軍曹のシゴキに答える。もうサンデーモーニングのおじいちゃんが「喝ッ!!」って言うレベルではないです。

 なぜ、ここまで厳しい訓練が必要なのか。それは、海兵隊とは軍隊の中で最も死亡率が高く、並大抵の精神力では戦力として使い物にならないため、通過儀礼による洗脳のようなプロセスが必要になるからです。通過儀礼とは、ある一定の年齢に達した人間が、新たな環境に身を置き、厳しい訓練に耐えて、今までの甘い意識を捨て、新しい強い自分を手に入れることです。

 他国に侵略する場合、軍事攻撃は海兵隊から突撃します。映画でいえば、プライベート・ライアンのノルマンディー上陸作戦がイメージしやすいでしょう(映画の中では、キャラクターはどうやら海兵隊所属ではないようですが・・・)。

 敵対勢力の砦を攻略する為に突撃する海兵隊は、相手から必死の反撃を受けます。砦を防衛するために決死の覚悟で反撃し、長期戦に持っていくためゲリラ戦に持ち込みます。攻撃側の戦力が圧倒的に上回っていても、地の利があるためゲリラ戦には苦戦が避けられません。圧倒的戦力差がありながら、アメリカ海軍が苦戦した硫黄島の戦闘などは、その具体例と言えます。ベトナム戦争において、アメリカが敗北した理由も、ベトコンのゲリラ戦で根性比べになってしまい、アメリカが根負けしたと言える。

 死亡率が最も高く、ゲリラ戦等の長期戦に晒される可能性があり、海兵隊は狂うぐらいの精神的タフさが必要になるのです。

 餃子の王将におけるスパルタ研修も、同じ論理で行われていると考えるべきでしょう。ワカモノを厳しい訓練に晒し、甘い意識や弱い自分を殺すことによって、現場で使える人材に鍛えていくのです。しかし、離職率が高いのは、海兵隊において死亡率が高い理由と同じではないか筆者は考えている。

 このスパルタ研修の是非は、この記事では問わない。現実として、なぜスパルタ訓練が必要になるのか、フルメタルジャケットの訓練シーンに合わせて考察しました。

 しかし、この論理は戦争で他国を侵略する場合に必要な通過儀礼なので、これと同じ論理が飲食店や小売店等で成り立っていたとしたら、それが社会的に許容されるのか、話は別になってくるでしょう。

 通過儀礼による自分殺しは、精神的な負担が大きく、鬱病等の健康リスクが大きすぎる。企業が労働者を低賃金でコキ使って、体を壊して退職した場合、健康保険や生活保護で労働者を保護する必要が出てくるが、その原資は、国民の税金に他ならない。

 労働者に厳しい訓練を強いて、過酷な労働環境で働かせる事は、競争に勝つために国家システムの社会保障に甘えていると言う解釈も成り立つからだ。

 ブラック企業のスパルタ教育に関して、今回は通過儀礼的な概念から分析を行ったが、もちろん、これが現実の世界に当てはまると主張するつもりはない。しかし、ブラック企業、スパルタ教育といった曖昧な概念で批判するのは、おそらく問題解決に一切貢献しないと思われる。

 飲食業や小売業等の労働環境において、問題自体を因数分解し、因果関係を分析する冷静な議論が必要。しかし、冷静な議論が成り立ちにくい理由は、スパルタ研修自体が基本的に閉鎖的な場所で行われ実態を理解しずらく、実際に研修を受けた人たちにとって余りに辛い経験だった為おそらく自分の経験を冷静に語るのが難しいのかもしれない。