2013年5月31日金曜日

良心を捨てる覚悟を問う「スペル」

サム・ライム監督の最新作「オズ 始まりの戦い」、皆様見られたでしょうか。私は見てません。というより、サム・ライミと言えば、笑って怖いホラームービーというイメージしかないので、スーパーヒーローモノやディズニー系統の映画だと、サム・ライミのイメージとのミスマッチが頭の中に生まれてしまい、多分劇場で寝てしまうだろうとの判断があり、1,800円を劇場に捧ぐ勇気が無かった事を懺悔致します。

 そんなわけで、オズを見てサム・ライミ作品に持たれた学生の方にオススメしたい映画が「スペル」です。原題は「Drag me to hell」で、私を地獄に連れてってといったところでしょうか。

 すごく笑えて、ホラーなのにあんまり怖くないです。だけど、見た人すべてに、倫理的な問い掛けを投げかけています。

 あなたは、他人の人生をめちゃくちゃにしても平常心を保っていられるか、良心を捨てる覚悟はありますか?

 この映画の主人公は、銀行の窓口で貸出業務を担当する女性で、ゾンビに掴まれ喘ぎ声をあげている(叫び、悲鳴?)写真に写っている人です。

 主人公は、経済的に貧しい状況から一生懸命勉強して有名銀行に就職したという頑張り屋さんです。恋人もいて、結婚も近いという幸せな生活を送っていました。しかし、ある老婆に対するローン案件を担当していた事が悲劇を招きます。

 老婆はローン返済に苦しんでおり、主人公に返済期間の延長を依頼します。主人子は、上司に老婆の依頼内容を相談しますが、上司からは依頼内容を断るよう命令されます。自身の良心から、なんとか返済期間を延長出来るよう上司に交渉しますが、首を縦に振りません。仕方なく、主人公は上司の命令通り、老婆にローン返済猶予を断るのですが、これが老婆の怒りを買い、主人公に対して呪い(スペル)を掛けるのです。

 こういう物語は、主人公がハッピーエンドで終わるという結末になりにくいので、まあ悲しい終わり方になるんですが・・・。町山さん解説もどうぞ。

 この映画では、主人公が本当にいい人で、元々経済的に不利な状況で、名門大学を卒業し、銀行OLになったということで、視聴者は凄く共感できます。また結婚を考えている恋人の両親が、ちょっと差別的であったので、主人公に自分の育ちをバカにされたくないという気持ちが生まれて、恋人の両親に理解して貰いたいという気持ちが伝わってくるのです。

 ローン返済猶予をお願いする老婆に対して、自分の良心を捨てて職務を忠実に実行する主人公。責任は、上司の方が重いのですが、老婆は主人公の事しか知らないので、憎悪の行先は主人公になります。それ以外にも、出世を巡って醜い争いにも巻き込まれてしまうという・・・。

 コメディータッチのホラー映画でありながら、内容は私達が日々経験していることに近い。
他人の人生に関わるということは、覚悟が必要なのです。自分、もしくは自分の勤めている組織のために、他人の人生を犠牲するかもしれない。自分の人生を破壊されたと思ったら、復讐の対象になるかもしれない。

 人間とは、自分のために残酷になれるが、復讐のために冷酷になれるのです。映画自体は爆笑シーンの連続ですが、物凄く深いテーマが「スペル」にあります。特に金や名声に関わる憎悪は、どうしても血みどろな仁義なき戦いになっていくのです。

 職務を遂行していく事は尊いこと。その結果他人の人生を犠牲にする可能性もある。物事には良い面悪い面が表裏一体であり、主人公自体の行為を否定できないが、現実を見ると辛い映画です。残酷な現実を見ていると暗い気持ちになるので、残酷なシーンに笑いをいれることによって、少し冷めた視点から、冷静に物事をとらえることが出来ると思います。

 サム・ライミ監督の考え方等の背景は町山さんの解説が分かりやすいデス。

 オズのつぎはスパムで、いかがでしょう?

 

 

 

2013年5月23日木曜日

コーク兄弟って何者?って、「The CAMPAIN」」を見ましょう。

 最近アメリカのリベラルメディア代表格のハフィントン・ポストが創刊して、結構話題のようですね。朝日新聞と連携を取っているそうで、朝日新聞の電子版と何が違うんだろうと思われる方も結構いると思いますが、あんまり変わらなそうですね。

 ニュースメディアというよりも、有識者のブログ記事や投稿がメインだそうで、そんなサイト他に沢山あるんですが、その中で面白い記事がありました。

 コーク兄弟は何者?ということで、コーク兄弟がアメリカのニュースメディアを買収しようとする背景を解説する記事です。

 しかし、日本人でコーク兄弟と聞いてピンとくる人なんであまりいないでしょう。という筆者も、アメリカのティーパーティー運動の活動資金をコーク兄弟が出しているという報道を見て初めて知った位ですから・・・

 中岡望さんの記事もあるんですが、 文章読んでコーク兄弟について詳しく知りたい人は、「The CAMPAIN」という映画を観ると良いと思います。

 この映画は選挙活動コメディで、アメリカの政治活動や過激な選挙活動を皮肉った映画なのですが、コーク兄弟をモチーフにしたモッチ兄弟という人物が出てきます。

 出演者は、ウィル・フェレルとザック・ガリフィアナキス。ノースカロライナ州の選挙で共和党下院議員として再選を目指すキャム・ブレイディ(ウィル・フェレル)と、無名であったが大富豪のモッチ兄弟を取り込んでブレイディに対抗しようとするマーク・ハギンス(ザック・・・)が引き起こすドタバタコメディですが、映画としては面白いかと聞かれればノーコメントですw。

 コーク兄弟は、保守派の中でも最右翼で、石油化学産業のオーナーです。莫大な資金力を持ち、共和党を支持し、オバマ政権にとっては天敵です。基本的に民主党のリベラル政策に反発し、国民皆保険創設に反対、金持ち増税は不当であり累進課税制度をやめるべきだという経済的保守的な思想を持っています。オバマ政権のリベラル政策は、コーク兄弟をはじめとした巨大資本や裕福な人々にとって不利なので、共和党立て直しのために立ち上がった保守主義の勇者であり、過激な政治活動にも躊躇いがありません。

 オバマ政権のスキャンダルになりそうで、現代版ウォーターゲート事件になりそうなIRSの保守団体狙い撃ち事件では、ブッシュ政権の選挙顧問であったカール・ローブが運営する政治団体と、コーク兄弟が運営する政治団体が標的になったので、オバマ政権にとって天敵である政治団体の資金的な流れを摘みたいという意図があった事は明白です。

 保守系政治団体の狙いは、国民皆保険に反対すること、金持ち増税の阻止、政府は市場に介入しない等、オバマ政権が推進しようとする政策の対極にあり、徹底的なオバマバッシングを行っています。

 日本版ハフィントン・ ポストでコーク兄弟について取り上げたのは、アメリカにおける保守とリベラルの対立を日本の読者に理解してほしいという意図があったと思われる。ハフィントン・ポストは、リベラル側のメディアで、コーク兄弟は批判の的なのです。

 映画でも、モッチ兄弟の意図が驚愕の形で明かされます。そんなの絶対ありえないだろって突っ込みたくなるほどのシナリオでした。選挙活動も、キャム・ブレイディ候補とマーク・ハギンス候補の中傷合戦で、お互い「キリスト大好きだ~ 」しか言ってないです。あとは、「奴は共産主義者だ」とか、「私はアメリカを信じる」とか、よくあるレッテル張りやスローガン合戦です。

 基本、いかに相手を罠にはめて陥れるかだけ。政治家なら、政策を議論しろって思うのですが、映画の中ではそんなシーンは出てきませんでした。CMとか、キャム・ブレイディがマーク・ハギンスの奥さんを抱こうとして盗撮。盗撮した動画を編集してCMに流してライバル候補を中傷しようとするシーンまであります。(全身ハダカで、重要な部分はモザイクが・・・w)

 これがアメリカの政治活動なんですね。特に面白かったのは、マーク・ハギンスが銃でキャム・ブレイディを銃で撃っちゃうシーン。これは、ディック・チェイニーが銃で友人を撃ってしまったことに対するパロディかと・・・。

 基本映画に出てくるギャグは、実際にアメリカの政治活動で起きた事件をパロディにしているので、すごく茶番です。過激に脚色するのも、実際に起きた事件だからこそ、リアリティを追及するよりわざと下らない演出にした方が製作側の都合が良かったんでしょう。

 映画としての完成度はちょっと・・・てところはありますが、コーク兄弟は映画のモチーフになる程アメリカでは重要な人物なのです。ハフィントン・ポストは、コーク兄弟を紹介するなら、「The CAMPAIN」を絡めて説明すればよかったのにと思いましたので、僕がやりました。

 町山さんの解説だけ聞けば、ハフィントン・ポストの記事よりコーク兄弟の事学べると思いますよ。 日本劇場未公開なのも頷けます・・・。改めて言うと、町山さんの解説で十分です。

2013年5月17日金曜日

政治家の皆様、自分の理念を実現するために手段を択ばない男の末路を教えてあげよう「トレーニング・デイ」

今年のGWも終わってから、政治が大変なことになっております。橋下市長の慰安婦問題から、飯島勲氏の極秘訪朝など、水面下で相当極秘なやり取りが繰り広げられているようです。

外交的には、北朝鮮の核問題が最優先事項で、隣国の中韓と日本の連携で北朝鮮に圧力を掛けて核問題の解決に向けて協力し合うべきタイミングで、こんな事やらかして良いと思っているのか。

少なくともアメリカはやきもきしているでしょう。イランの核問題の方が優先度が高く、未だに中東問題が最優先事項なのですから。イスラエルとの関係もありますし・・・。


 とりあえず、世界が混乱している時こそ、行動原則を明確にして敵対勢力に隙を与えない事が重要です。しかし、日本の政治家の皆様、ちょっとやらかし位が「トレーニング・デイ」のデンゼル・ワシントン並みになってきた。

 今年のアカデミー賞でもフライトで主演男優賞でノミネートされたデンゼル・ワシントン。フライトは飲んだくれパイロットを演じて、映画自体も好評だったが、その演技を上回る程強烈なキャラを演じたのが「トレーニング・デイ」におけるベテラン警官のアロンゾだ。

 警官なので正義の人だと思っていたら、アロンゾの悪役ぶりはコンビを組む新米警官のジェイク(イーサン・ホーク)が戸惑いを隠せず、アロンゾのいわれるがままなのだ。いきなり歓迎祝いとして薬をジェイクにやらせるわ、大物密売人に会ったりするわで、なんで正義の人である警官がこんなことしてるんだと思いつつ、アロンゾの術中にはまっていく。

 悪を倒せるのは悪だけだとでも言わんばかりのアロンゾ刑事の理念(?)に、次第に不信感を抱き始める新米警官のジェイク。新米警官といいながら、薬をやってしまったのでいつ逮捕されてもおかしくないという不思議な状況で、アロンゾとジェイクの中で埋められない亀裂が生まれていく。普通のバディムービーやブロマンス映画とは一線を画す映画なのだ。

 ベテラン警官のアロンゾと新米警官のジェイクを比較すると、アロンゾの方が現実主義的で、ジェイクは理想主義的なのだ。ロサンゼルスを舞台に、不正や腐敗に直面しながら経験を積んだアロンゾは、自分の正義を実現するために手段を選ばない。いや手段を選ぶ判断基準が全く失われているようなものだ。ジェイクは、まあ現実に直面していない分、不正を冒してでも自分の正義を貫こうとするアロンゾを理解出来ない。

 お互いの中で関係に亀裂が生まれるのだ。修復不能な程の大きな亀裂だ。


 正義を実現する為に手段を選ばなくなった男は、いつしか傲慢になり誰からも信頼されなくなっていく。何をやっても、自分のやった事は正しい事であるとしか思えなくなるから、他人の犠牲はおかまいなし。

 そして手段を選ばず傲慢な偽善者に成り下がった男は、致命的なミスをやらかすのだ。命を狙われるほどの危機に直面する。もちろん、悪気はないので、自分の罪を償う気持ちはない。生き残るために手段を選ばず、コンビを組んだジェイクまで利用しようとする。ここまで来たら、もうアロンゾの運命は破綻して当然なのだが、歯止めは効かない。アロンゾ自体、もう普通に戻れないのだ。

 生き残る為に、さらなる罪を重ねていく。哀れな男の末路だ。この男にまともな理性は存在しない。だから今までやってきたことを続けていくしかないのだ。相棒をハメようとするわ、現金強奪から証拠隠滅まで何でもやる。元々悪い奴をハメて、生き残ろうとすることに罪悪感はない。

 しかし、新米のジェイクを利用しようとしたのが間違いだった。むしろ、これがアロンゾが転落していくきっかけともなる。結局、正義を実現しようとしているのではなく、自分を正当化することしか考えていないので、いざ危機に陥った時に誰も助けようとしないから。

 ジェイクも悪の権化と化したアロンゾに利用され死の危機に直面するが、実はある行いによって救われた人がいて、その関係で命拾いするのだ。

 映画の中で描かれるアロンゾとジェイクのそれぞれが直面した危機は、対比構造になっている。悪の権化と正義の味方が危機に直面した時、各々はどう行動するのか、周りの人間はどう反応するのかがポイントだ。

 結局、どちらかが「俺達に明日はない」エンディングで、蜂の巣にされる。


 まるでアロンゾの行動や思想は、ある政治家に似ている。特に行政のトップでありながら、歴史問題から外交問題まで様々な波乱を引き起こし、日々釈明に追われている、あのお方だ。とりあえず行政のトップなのだから公務に集中すべきなのに、釈明のために記者会見開いたり報道番組に出演して、公務をこなす時間が浪費されていくので、海外からの批判だけでなく、有権者からの不満も強くなるだろう。

 相手が酷い事をやっているから、自分は何を言ってもいいわけではないのだ。結局敵対勢力に隙を見せることになり、足を掬われるだけだ。致命的なミスを犯してしまうと、そのミスを取り返す為に行動が過激化していけば、最終的には選挙という民意を反映する場で「俺達に明日はない」と同じように蜂の巣にされるだけだ。

 それとも「リンカーン」を見て、行動が過激化したのだろうか。リンカーンは奴隷制度を廃止する為に南北戦争を利用したとも、陰で沢山の不正を行った汚い政治家とも解釈できるが、奴隷制度廃止を政治利用したわけではない。奴隷制度廃止の為に全てを捧げた男なのだ。

 選挙アピールのために手段を選ばず、歴史問題を利用しようとすると痛い目に合うので気を付けて欲しい。実際リンカーンですら最後は暗殺されたのだから。

 暗殺されたリンカーンは、後世の歴史が彼を支持した。
果たして、某市長はいかに・・・



 

 

2013年5月16日木曜日

君の流す心の涙を慰めよう「レインメーカー」

 レインメーカーと聞いたら、プロレスラーのオカダカズチカの必殺技を思い浮かぶ方、いらっしゃると思います。金の雨を降らせる=お客を沢山呼んで大儲けという意味なんですが、これは、マットデイモン主演、フランシス・フォード・コッポラ監督の「レインメーカー」が由来です。

 金の雨を降らせる奴等とは、弁護士です。アメリカは訴訟社会で、企業相手にバンバン訴えて賠償金をふんだくる。強き者に味方する弁護士もいれば、弱き者に救いの手を差し伸べようとする弁護士もいる。

 誰を弁護するのであれ、結局報酬ありきなので、弁護士とはレインメーカーなのです。

 弁護士志望で希望に燃える若者であるルーディ(マット・デイモン)が、アメリカにおける弁護士業界の実態や、白血病に悩む男性に対して、保険会社が医療費を支払おうとしない現実に直面して、不正に立ち向かう法廷モノ映画です。シナリオはこちら

 こういう法廷モノの映画ってアメリカでは沢山あります。レインメーカーに近い映画といえば、ポール・ニューマン主演の「評決」とか、ジョン・トラボルタ主演の「シビル・アクション」とかですね。こういう映画は、主人公が飲んだくれのオヤジ弁護士や、バリバリのエリートだったりするのですが、レインメーカーは、希望に燃えるワカモノが酷い現実に直面し、人として成長していく物語。

 原作は、ジョン・グリシャムで、自身も弁護士であり、法廷モノの作品を数多く世に出し、何本も映画化されています。監督はコッポラで、地獄の黙示録やゴッドファーザーといった名作を世に送り出しました。

 マット・デイモンは、グッドウィルハンティングで名を成してから、社会派映画に出演し続けていますね。2000年代になってから、アメリカの中東政策や企業の癒着を克明に再現した「シリアナ」、イラク戦争における報道機関の欺瞞を極初する「グリーンゾーン」といった映画から、大企業の不正を告発(?)しようとする狂言者を演じた「インフォーマント」といった作品に出演しています。

 この映画では、善人は主人公だけで、被害者以外は全員金の事しか考えていません。保険会社を訴える原告側の弁護士軍団ですら、主人公の仲間は儲かりそうだから頑張るって感じで、保険会社は保身の為に弁護費用のお金に糸目を付けません。

 一番の弱者である白血病に悩まされる青年とその家族に大きな悲劇が訪れることによって、主人公が正義に目覚めるのです。白血病の治療には、骨髄移植が必要であるが、それにはお金が掛かる。アメリカでは国民皆保険が存在しないので、民間の保険会社に医療費を払うよう依頼するのですが、基本営利追求なので医療費を支払おうとしない。白血病という病気であれば、治療費が高く、治癒確立も低いから実験的医療であるとかイチャモンを付けて医療費請求を拒否し続ける。

 白血病を患った青年は、あえなく命を落とします。保険会社が医療費を負担してくれれば助かったのに、一切負担しようとしなかった現実に遺族は茫然自失・・・。自分たちにも、国にも、保険会社も本当にお金が無くて息子を救う手段がなければ運命を受けいれる事が出来る。しかし、実際は保険会社が医療費を支払おうとしないのだ。

 保険料はコツコツ徴収しておきながら、いざというときは医療費負担を拒否する。保険会社ではなく、ただの詐欺師ですが、国民皆保険が存在しないアメリカ、現実の民間保険会社も同じなのです。保険は、支払を拒否していたら成り立たないのに、ビジネスとしては最高です。安定的に保険料収入が入ってくるのに、支払を拒否しつづければ手元に莫大な資金が残ります。

 挙句の果てには、裁判において陪審員に、「この裁判結果が、アメリカの政府のあり方を変える。政府が、皆さんが払った税金を湯水のように使うようになるかもしれないから、良く裁判結果を考えて下さい。」とアピールする。まさに国民皆保険は、共産主義への第一歩というように。

 アメリカでも、数々の大統領が国民皆保険制度創設に挑んで来ました。しかし、ことごとく失敗していく。アメリカは経済的保守層の抵抗が強く、国民皆保険は共産主義であるというレッテル張りをすることによって、今までずっと、こういう状態が繰り返されてきた。

 キリスト教の国で、困っている人には手を差し伸べましょうと教えられているはずなのに、国内で困っている人を見捨て、誰も求めていない軍事攻撃はしっかりやるアメリカ。

 一体アメリカは何をやりたいのか良くわからない。共産主義狩りのために軍事侵攻や、イラク戦争などやらなければ、軍事費に使った税金を国民に振り向けることだってできた。レーガン政権の経済政策や、対外政策は打倒共産主義に拘り過ぎて、今から振り返れば軍事攻撃に使った金をアメリカ国内で使った方がマシだったのではないかと思う人もいるでしょう。タリバンやアルカイダは、アフガンに侵攻したソ連に対抗するために現地の兵士に武器を支援して、ソ連撤退後に野放しにしたため、9.11同時多発テロのしっぺ返しを喰らったりしたわけですから。

 国民の為に医療に税金を使わず、軍事攻撃には湯水のように税金を使うアメリカ。日本は真似をしてはいけません。TPPによって国民皆保険の崩壊が叫ばれている中、実際に国民皆保険が崩壊して民間保険会社が医療保険制度に関わるとどうなるか、「レインメーカー」を見れば分かります。

  民間保険会社は、絶対医療費を支払おうとしません。儲からないから。

 「これが現実だ、勇気があんならこの映画見て見ろ FU○K OFF」 by真壁 刀義



2013年5月12日日曜日

レーガン伝記ドキュメント(下)



 レーガン伝記ドキュメント(下)。いきなり、国民の不満が高まります。経済が悪化するわ、軍事拡張政策を取り続けるから財政が悪化するわで、政権危機に直面します。

 レーガンはソ連を憎んでいた。恐れてはいなかった。だから打倒ソ連を実現するために、軍事費を増やし続けた。そして、手段を選ばなくなるのだ。

 ポーランドの民主化運動では、連帯を支持して、ソ連の勢力弱体を図る。ヨハネ・パウロ2世と会談し、レーガンは神の意志を受け取るのだ。ポーランドを民主化させる為に、CIAの画策で政府を弱体化させ、連帯を全面的に支援する。ポーランドの民主化によって、東欧諸国も追随すると信じていた。

 アフガンでは、カーター政権から続いた対ソ連対抗作戦を続け、後にタリバンの元になる勢力に対する支援を続けた。

 中南米では、ニカラグアのサンディニスタ政権を倒すため、CIAが兵士を教育してソ連の影響力排除に動く。自由の為の戦いを、アメリカから離れた場所でも続けるのだ。

 そこまで大胆な軍事政策を行ったレーガン、本人はシャイで孤独な人間だった。側近からすれば、レーガンとそれ以外の世界には、仕切りが存在するようだったという・・・。自由を実現する正義の戦いを実行するには、自分以外の人間を信じる事は出来なかったのか。

 国民からも、核政策や軍事政策について批判が強まり、レーガンの共産主義狩りは暗雲が立ち込める。共産主義を倒す為に手段を選ばなくなり、レーガンの理想と、国民の意思に乖離が生まれる。

 核兵器廃絶を望む国民と、それを望まないレーガン。おそらく、彼は神のお告げを心から信じていたんだと・・・。そして、ソ連の核兵器の脅威に対抗するため、SDI(戦略的防衛構想)をぶち上げる。当時の科学者は、こんなの不可能だと主張してもレーガンはSDIに固執した。現実とファンタジーの区別が付かなくなっていたのだ。映画俳優として、常にヒーローを演じてきたツケが、ここで回ってくるのだ。これは、のちのゴルバチョフとの米ソ交渉で障害になってしまうのだ。

 ミサイルを宇宙からのレーザーで破壊する事で、ミサイルを時代遅れにしようとしたレーガン。今でも単なる空想であることは、北朝鮮の核ミサイル危機でも明らかだ。

 レーガンは、ソ連からすれば妥協不可能な要求を続け、事態は混乱を極める。結局目的は共産主義を撲滅するためです。自由を実現する為に、強いアメリカを実現する為に、レーガンは個人の信条を語り続けた。ソ連にとってレーガンはとてつもない強敵であった。

 途中核戦争によるアルマゲドンに危機に直面しつつも、アメリカ経済が回復することによって勢いを取り戻しつつあったレーガン、年には勝てなかった。テレビ討論でも、議論が混乱する場面を晒すようになり、年齢を心配されるようになっても国民からの支持は高かった。

 レーガンの人間性がにじみ出るのは、対イラン政策ですね。イラン・イスラム革命から、イラン・コントラ事件まで、動揺を隠せないのだ。記者会見でも、まともな回答が出来なくなり、精神的にも体力的にも追い詰められてしまう。ホワイトハウスで、側近と話しているレーガンの顔付きは青ざめていた。奥さんも顔を突っ込んでくるわで大変な状況になってしまう。

 でも最後は、人質解放の為に、イラン側に武器を打ったと公式会見で公表し、対イラン政策について過ちを認めたのである。大統領が在任中に対外政策について過ちを認めるというのは、前代未聞である。レーガンは、決して人間性が悪いわけではなかったのだ。

 しかし、ブラックマンデーからの経済崩壊、エイズの流行、格差の拡大などの国内問題がまたぶり返しても、神風のごとくゴルバチョフとの交渉が進み、冷戦は終結する。

 宗教を土台とした共産主義に対するレーガン十字軍の実績は、一応達成はされた。自由を実現する為に全身全霊を掛けて戦った男。国内の経済政策も、対外政策も根本的には俳優時代に培った反共産主義精神が元にあった。多少の政策に矛盾が生じても、自身の目的を達成する為に手段を選ばなかったのだ。その成果が、ポーランドから始まる東欧民主化革命の連鎖や、サンディニスタ政権の崩壊という形で報われる。ただし、アメリカには膨大は財政赤字という代償を支払う事になった。

 共和党のウィルソン主義の象徴こそ、ロナルド・レーガン。歴史的には、賛否両論で波乱を巻き起こし続けた理由が、何度も言うように共産主義を倒したかっただけという事に収束されるのだ。
ドキュメントを見る限り、決して悪人のようには見えない。他国との戦争は、レーガンにとって本当の正義だった。それが、他人にどう見られようと、後世がどう評価しようと関係なかった。

 レーガンの是非を問う事はしない。しかし、やり過ぎたかもしれない。打倒共産主義というイデオロギーが、レーガンの理性を奪っていったと言っても過言ではない。しかし、理想ありきの政治家など山ほどいるし、そういう人こそリーダーになる可能性が高いのも事実だ。

 しかし、レーガンがどうしても憎いと思う人はいるだろう。とりあえず、政治や経済をイデオロギーで語るのは止めた方がいい。結論ありきで、自分の主張にそぐわない相手に対してレッテル張りをして徹底口撃するような人を政治家として選ばない方が良い。決められない政治家より、本当は自分の思想ありきで決断を下してしまう政治家の方が恐ろしいし、のちに流血の悲劇が待っているのかもしれないと予感させるドキュメントであった。

 スピルバーグが「リンカーン」を映画化したんだし、ジョージ・ルーカスがSDI構想に絡めてレーガンを映画化してくれないものか。もしくは、映画俳優組合の委員長として、共産主義者と戦い、保守派として転身していく様を描くのも面白いだろう。ジョージ・クルーニーがレーガンを演じてくれたら、スーパーチューズデー以上のポリティカルサスペンスになる可能性もある。

 いやジョージ・クルーニーとレーガンって、顔付きちょっと似てる気がする。気のせいだ・・・

 



 


 

2013年5月10日金曜日

レーガン伝記ドキュメント(上)


 新保守主義政策を推し進め、共産主義と徹底的に戦ったロナルド・レーガン氏の伝記映画をご紹介します。伝記映画自体4時間近くあるので、上下に分けてアップします。

 ロナルド・レーガン氏の人生は波乱そのもので、ハリウッドスターからアメリカ大統領まで登りつめた男、新保守主義を押し進めるために大きな政府や共産主義と戦い、政府支出をカットし小さな政府を実現しようとした男、家族との葛藤といった一人の男としての人生が描かれています。

 序盤は反共産主義志向が、いかにロナルド・レーガン氏に根付いていったか、中盤はレーガンの政治参画のプロセス、終盤は暗殺危機から、政治家としての挫折に焦点が当てられています。

 レーガン政権の根幹にある反共産主義や、小さな政府志向は、個人の信条を元に進められました。現代ではレーガン政権について賛否両論でしょうが、レーガン自身は決して悪人ではありませんでした。個人の信条を正義として信じていただけなのです。小さな政府を推し進める事が、アメリカを救うと本気で信じていたレーガン。しかし、なぜ小さな政府がアメリカを救うのか、その根拠は持ち合わせていなかった。

 レーガンはハリウッド俳優時、50本以上の映画を作ったが、悪役として出演したのは1作だけで、レーガンは正義のヒーローとしての自分自身にロマンを感じていた。俳優としてのキャリアも、結婚も経験し公私とも順風満帆であったが、若い頃から政治的活動に従事し、リベラルで民主党支持者で、原爆や人種差別を批判していました。

 そしてレーガンが政治的信条を変えるきっかけとなったのが、ハリウッドにおける共産主義者の台頭と、その対決です。映画俳優組合員として、共産主義者と噂される組合と対決するのですが、その代償として、脅迫されたり、ファシストと呼ばれるようになり、俳優としてのキャリアが閉ざされる。そこで共産主義に対する憎悪が確固たるモノになり、映画俳優組合委員賞として火米活動委員会に協力し、反共産主義者として活動していく。レーガン自身の私利私欲というよりは、自分の正義を貫こうとしただけだった。

 そして政治家としてカリフォルニア州知事からアメリカ大統領を担った男、ロナルド・レーガン。その土台は、俳優時代の経験から生まれたものだった。ただし、政治家としての資質よりは、俳優としての演出力や演技力はピカイチだったが、政策の根底にあるのは、反共産主義、小さな政府志向だけでした。理念ありきの政策は、国民が理念に希望を抱いて大きな勢いが生まれるが、途中で大きな万台にぶち当たり、政治家としての挫折を味わう。

 レーガンって人間としては良心的な人だったのでしょう。神を信じ、共産主義を倒し、アメリカ社会の栄光を確固たるモノにするために戦った男。政治運動に傾倒して、離婚を経験して鬱的症状に悩まされたりと普通の人と変わらなかったのです。打倒共産主義に異常な程執念を燃やし続けただけなんですよ・・・。

 レーガノミクスで双子の赤字を抱え、格差が広まり、中間層が没落していくのに、軍事的にはかなり右傾化していく。小さな政府には、大きな軍備が必要なのか。一見矛盾しているように見えて、共産主義を倒すためには、国内は小さな政府、対外政策は大きな政府という歪さも、本人にとっては関係なかった。

 レーガン大統領の行動信念は、あくまでも反共産主義が元にあって、強いアメリカを実現するために、いかなる政策も反共産主義のイデオロギーが反映されており、それがレーガン自身が信じる正義だったのでしょう。

 かつてはリベラルで民主党支持者であったレーガン、映画俳優組合の委員長すら務めた男が共産主義と噂される俳優達が作った組合との対決によって、人生が変わってしまった。共産主義を倒す為に、保守派に転身し共和党の政治家として新たな道を歩み始めたのだ。

 これこそ、Born again the conservatives

 サッチャーやリンカーンは伝記映画が作られるのに、いつになったらレーガンの伝記映画が作られるのでしょうか。(次回は、この続き)
 

 

2013年5月8日水曜日

少数民族が迫害されてきた歴史と映画の娯楽を両立した「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」

歴史的事実を再現した映画は沢山ありますが、そのような映画は、どうしても娯楽性が低くなりがち。その中で歴史的事実を学ぶ良い機会になりつつ、映画としての娯楽性を両立した名作を挙げるならば「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」ですね。

 X-MENはアメコミとして非常に有名ですが、その内容を見ると、歴史的に深いテーマが含まれており、それは少数民族の迫害の歴史です。

 X-MENは、ミュータントと呼ばれる突然変異によって特別な力を得た超人的集団の事を指します。その中で、プロフェッサー・X率いる正義の軍団と、マグニートーの悪の軍団の戦いをコミックとして描いたものです。
 
 テーマは、少数民族の迫害の歴史であり、ミュータントと人間の戦いは、アメリカのマイノリティーが経験した苦難そのものと言われています。原作者はスタン・リーで、ユダヤ系です。マイノリティーの中でもユダヤ人の迫害の歴史を反映したともいえます。

 予め言うと、筆者は原作コミックを読んでいませんので、多少知識が足らない事もありますが、ファーストジェネレーションは、アメコミが原作の映画の中で、歴史的背景を踏まえつつ、娯楽性も高い傑作と思っています。

 ファースト・ジェネレーションの初めは、ユダヤ人に対するホロコーストから始まります。舞台は1944年のポーランドで、ユダヤ人が強制労働させられている施設で、少年時代のマグニートー(エリック)が、実の母が隔離されてしまう衝撃的なシーンです。ナチス兵が、母親を隔離していく時に、エリックが母の名前を叫び、門を超能力で開けるのです。その状況を見た兵士が、エリックの超能力に気づき、物語が始まります。

 エリックの超能力が本物か確認する為、シュミット博士(ケビン・ベーコン)がエリックに、コインを動かすよう命令します。しかし上手く動かせないエリックに対して、実の母親を呼び出し銃を向け、もう一度コインを動かすよう命令し、最終的に母親が殺されてしまい、エリックは超能力を開花させるのです。

 この映画は、設定が非常に良く出来ており、ホロコーストとエリックの超能力を絡めて、少年時代のマグニートーのトラウマを描き出しています。少年期に経験した迫害の経験、母親を目の前で殺された憎悪が、本作のカギになりシナリオが進んでいきます。(あらすじはこちら)

 プロフェッサーX(チャールズ)の若き頃もマグニートーと同時に描かれるのですが、エリートでモテるオトコなので、非常に対極的です。

 シナリオは、プロフェッサーXとマグニートがお互い協力していく様から、お互いが何故決別していくのかを描いているのですが、決別した理由はエリックの迫害を受けた経験から生まれる憎悪ですね。

 ナチスドイツによって母親を殺され、復讐心を捨てることが出来なかったエリック。かたやエリートとして育ち、充実した人生を送ってきたチャールズ。チャールズが必死にエリックの復讐心に駆られた暴走を止めようとしても、結局エリックがシュミット博士を殺すために一線を越えていくシーンこそ、少数民族が迫害され、その復讐の為に何もかもが狂っていく人間を象徴している。

 超能力を持っていようが、感情を持つ人間と変わらず、迫害されて犠牲を強いられた人は、復讐のために全ての情熱を捧げてしまうのです。そういう意味で、エリックがチャールズと決別し、マグニートーとして生きる事を決意していく過程こそ、実は私達が実際に経験している身近な出来事と言っても過言ではありません。

 ユダヤ人は、キリストを殺した民族としてローマ人から迫害されていきます。迫害されていくと商業時な選択が狭まり、キリスト教において金利を取ることが禁止されていたので、ユダヤ人が金融業を営むことになる。しかし、金融業で成功していくユダヤ人が増えるにつれて、ユダヤ人迫害が過熱してしていき、ホロコーストという史上最悪犯罪の被害者になっていくことは有名な歴史です。

 ファーストジェネレーションは、そのユダヤ人迫害の歴史を反映しつつ、実際に迫害された人間が、どのように変わっていくかを描き出している点で、歴史的事実・娯楽性を両立しつつ、根底にあるのはエリックの復讐の心情と、それを抑えようとするチャールズの織りなす人間ドラマ。

 アベンジャーズは娯楽のみで、深いテーマが存在しないので面白いと感じる人もいれば、物足りないと感じる人もいるでしょうが、ファーストジェネレーションは違います。アクション映画として楽しめるのに、見方を変えれば歴史的事実を学ぶことが出来るので、家族で見て子供に迫害される人の気持ちを学ばせる良い教育映画にもなります。

 映画の終盤は、キューバ危機におけるアメリカ軍とソ連軍が対立を解決した裏にはX-MENの活躍があったという設定ですが、非常に設定上手いですね。13デイズで描かれたケネディとフルシチョフが繰り広げた駆引きの裏に、スーパーヒーローの活躍があったのかと思うと、ボストンテロ以降北朝鮮のミサイル攻撃を防ごうとするヒーローがしているおかげで、金正恩スタイルがおとなしくなっているのかもしれないとすら思えるのです(冗談)。

 町山さんの映画塾における解説もありましたのでリンクを張っておきます。予習編 復讐編
1960年代の映画に詳しい人は、色々懐かしい演出とか多いみたいで・・・。僕は良くわからない演出も多々有りましたが、娯楽性を失わずに歴史を学ぶ機会になると思います。
 

2013年5月7日火曜日

もしリンカーンが南北戦争で敗北していたら・・・


 大変ひどいことになります。リンカーンは、南北戦争が長引くリスクを考慮しても、なぜ南部に対して妥協しなかったか、よくわかる映画「CSA ~南北戦争で南軍が勝ってたら?~」。

 ブラックコメディなんですが、半分怖い映画です。詳しくは解説をどうぞ。スピルバーグの「リンカーン」でも、南北戦争を終結させるために修正憲法13条の可決を諦めるよう促される部分があるのですが、諦めなくて良かったと本当に思います。実際、黒人の権利が平等に扱われるのは公民権運動以降なので、南北戦争から100年近く掛かったことになりますね。

 映画の「リンカーン」を見られた方は、南北戦争が長引いてもっと死者が出るおぞましい状況になったらどうするんだろう?、これ以上人が死ぬかもしれないのに、修正憲法13条に拘る価値があったのか?と思われたかもしれません(多少映画的な脚色もあると思います)。しかし、それは現代の過去の事実を知っている私達だから、そのような疑問が湧くのであって、当時の人々からすれば気が気ではなかったでしょう。

 アミスタッドで描かれたように、アメリカの黒人奴隷は、アフリカ大陸から白人が拉致して、アメリカ大陸に連れて行きました。船で人間を家畜のように扱い、途中で多くの黒人が亡くなりました。足に重りを付けて、海に黒人奴隷を投げ落とすという描写も、アミスタッドには描かれていました。黒人奴隷を解放するために、アメリカの白人が南北戦争で死んでいくというのは、ある意味アメリカとしての、過去に行った残虐な行いに対する償いかもしれません。

 南北戦争で死んでいった白人が、黒人奴隷制度について何か罪があるかと言えば、明確な罪はないのですが、黒人奴隷に対する不当を超えた野蛮な行為は、何があっても白人が止めなければならなかった。黒人は少数派であり、民主主義のルールでは、少数派に対する差別的な扱いをやめさせるには、大多数の力が必要になり、白人の意志がなければ、黒人奴隷制度の廃止はありえなかった。

 その第一歩になったのが、リンカーンの奴隷解放宣言であり、修正憲法13条。黒人差別の撤廃のためには、憲法で国家権力に制約を与える必要があったと考えれば、南北戦争による犠牲は避けられなかったのかもしれない。「リンカーン」における憲法改正とは、少数派に対する差別に国家権力が加担しないよう制約を加えることだったと個人的に解釈しています。

 そして、「CSA ~南北戦争で南軍が勝ってたら?~」では、キリスト教帝国として、黒人差別以外にもユダヤ人差別、有色人種も奴隷化、ナチスドイツとの微妙な関係、南米大陸の制圧等が描かれていましたが、まるでローマ帝国のようです。

 とは言ってもブッシュ政権の政策は、まるでCSAのようでしたね・・・。これは現代アメリカ社会に対する皮肉ですが、キリスト教に対する解釈が歪んでしまうと、何でも神の大義名分の元、非人道的行為を正当化し暴走してしまう。

 宗教とは難しいものです。人類の発展には宗教なしにはありえなかったが、社会の基盤が確立されると、宗教の教義を理想として大多数の人々が追及すると、少数派に対する差別や、他国に対する侵略行為など、流血の悲劇が待っている。スピルバーグの「リンカーン」を見た後は、ぜひCSAを見て、「もし南北戦争でリンカーンが敗北したら」という観点で見ると面白いと思います。

 個人的には、「リンカーン」を楽しむためにお勧めの映画を挙げるとすれば

 ①アミスタッド 
 ②ミュンヘン 
 ③ミルク 
 ④CSA

 「リンカーン」について、感情移入しながら見たい方は是非、上記4作を先に見る事をおススメいたします。細かい歴史的事実は理解していなくてもいいのですが、製作者の意図を理解するためにはアミスタッドとミュンヘンを見るといいと思います。また個人的に「リンカーン」に最も近い映画がミルクだと思っているので挙げました。CSAは、多少解毒剤として見て頂ければ・・・
 

 

 

2013年5月4日土曜日

リンカーンの人格的背景を紐解きます。




 リンカーンの大統領としての資質、人格的背景、信条について、Eric Foner氏のインタビュー内容から要約します。こういう本も書いているそうです。(インタビュー内容を要約するだけなので、参考までに・・・)


 ①リンカーンの成長するキャパシティーは異常。

リンカーン暗殺後、大統領を引き継いだアンドリュー・ジョンソンに比べ、別格の成長キャパシティーであった。アンドリュー・ジョンソンは、頑固で人の意見を受け入れようとしない、知的好奇心も少ないが、リンカーンは自分に全て正しい答えを持っていると考えておらず、他人の意見や批判を歓迎した。南北戦争時に行った政策に効果がないと判断すれば、すぐに他の政策を実行するほど柔軟な人間であった。


 ②リンカーンの成長キャパシティーの源は、リンカーンが生まれ育った環境

 リンカーンはケンタッキー州で生まれ、その当時ケンタッキー州は奴隷制を採用していた。両親が反奴隷制主義で、土地の問題も抱えていたので、奴隷制のないインディアナ州に移った。リンカーンは、反奴隷制主義に傾倒していくが、南部人でもあった。また周りの人達には、奴隷制を嫌う人達から、差別的な現状も目にしている。この環境が、様々な利害が対立する状況で、うまく妥協して全体をまとめていく政治家としての資質の源になった。


 ③リンカーンの興隆は、イリノイの興隆→反奴隷制主義確立

 イリノイは1860年代当時、全米で4番目に大きい州で、パイオニア的な場所でもあった。市場革命や経済成長によって急成長した州で、農業や鉄道産業によって栄えた。リンカーンは、鉄道関連の弁護士で、鉄道・運河開発や公教育の整備によって経済成長が促進した事を直に見ているので、公共インフラ開発による経済成長が南部精神の象徴と考えていた。リンカーンは自身も、貧しい中から立身出世をしたので、公共インフラの整備による経済成長こそ南部経済が追及すべき事であって、奴隷制は必要ないと考えるようになった。


 ④リンカーンのメンター、ヘンリー・クレイが妥協の天才だった

 ヘンリー・クレイは奴隷を保有する一家に生まれたが、本人は反奴隷制であった。また妥協の天才であり、クレイの政治姿勢をリンカーンが引き継いだのではないか。リンカーンは、奴隷保有者を悪とはみなさず、合衆国全体の問題であると捉えていたおり、これはヘンリー・クレイの影響ではないか。


 ⑤政治家としてのリンカーン、妥協の天才も奴隷制だけは妥協せず

 共和党には、ラディカルやコンサバティブな人から、様々な利害関係者がおり、全体の利害関係者が納得できるであろう妥協点を常に考えていたが、奴隷制だけは妥協しなかった。常に「あなたは奴隷制賛成かもしれないが、私は奴隷制は間違いであると思う」とリンカーンは言い続けた。奴隷制に対して反対する事は、実践的方向や、奴隷制をどのように対処するかを政治家に与えるものではなく、リンカーンは奴隷制を廃止するために様々なアプローチを試みたが上手くいかなくとも、合衆国全体の奴隷制廃止の執念を燃やし続けた。


 ⑥政治的に可能な政策は何か考え続けた。

 リンカーンは、黒人奴隷を解放し平等の市民にすべきと考えていたが、それを実現できるとは考えていなかった。人種差別は合衆国全体に根強く残っている事を実感していたから。当時リンカーンが考えていた事は、奴隷を解放し、市民として平等な権利を得ることが出来る土地に移るよう奨励する策を考えていた。


 ⑦妥協すべき事と、絶対妥協してはいけない事をわきまえていた。

 奴隷制における政治的な衝突において、合衆国が最大の危機に直面した時も、奴隷制について多少の妥協は許容した。しかし、西方に奴隷制を拡大しようとする動きに対しては、絶対リンカーンは妥協しなかった。「私は、この点については絶対妥協はしない。私の支持者が脅威に晒される可能性があるからね」。リンカーンは、政治家としての自身の核心的原則を守るためなら、戦争すら覚悟した。戦争を望んでいたわけではないが、政治家としてのリスクを取ったのだ。


 ⑧リンカーンは演説の天才、偉大なライターでもあった。

 リンカーンは演説の天才、卓越した言語使いでもあり、これが政治家としてステップアップできた要因。(リンカーン自体は、元々有名ではなく、演説スキルによって注目されるようになった)。リンカーンの発した言葉は、政治のレトリックではない。

 また奴隷解放宣言の際、リンカーンはこのように発言した。

「我々は奴隷を解放する際、出来るだけ穏便に執り行い、暴力的結末は望まない。しかし、一つの例外として、奴隷解放宣言に対する自己防衛としての暴力は決して否定しない。」

 リンカーンは、奴隷解放宣言に対抗する勢力に対して、自己防衛としての反抗を行う権利を認めたのである。リンカーンの言葉は、明確な意思が反映されていた。


 ⑨奴隷制廃止について、徐々に廃止していく方針から、即廃止の方針に変わっていった。

 リンカーンは1850年代は、徐々に奴隷制を廃止し、奴隷所有者には金銭的補償を与える方針であった(ヘンリー・クレイからの影響)。しかし、南部の白人は奴隷制廃止を一切許容できず、黒人自体、自分の住んでいる場所を離れる事も難しかった。そこで、リンカーンは即奴隷制廃止と金銭補償は一切なしの方針を決意する。


 ⑩ラディカルこそ、共和党の政党基盤であると認識。

 リンカーンは、共和党のラディカルで奴隷制廃止論者を共和党の政党基盤と認識し、その基盤を元に支持者を拡大していった。ラディカルの思想について、リンカーンは積極的に耳を傾け、政党基盤を盤石にしようと気を配っていた。


 ⑪弁護士として、憲法が奴隷制を擁護している事実を認識。

 リンカーンは弁護士として出世していったので、憲法が奴隷制を擁護していることを見抜き、憲法が議会や大統領に対して奴隷制廃止の為の行動を保障していない事を認識していた。しかし、戦争については例外で、それが奴隷廃止の為に、リンカーンを南北戦争に駆り立てた理由の一つになった。戦争に勝つには、様々な勢力からの支援が必要になり、奴隷制に対して穏健派を取り込もうとした。穏健派は奴隷制に対して心情的に廃止に賛成したいと考える人達で、戦争に勝つために奴隷制廃止が必要ならリンカーンを支持する可能性があった。リンカーンは、その穏健派に対して、奴隷制廃止は戦争に勝つために必要であると声高に主張し続け、穏健派の支持を取り付けることに成功した。


 ⑫リンカーンは、単なる南北統一を果たす事が目的ではなかった。

 もしリンカーンが、ユニオンを守ることしか興味が無ければ、南部に妥協していたであろう。しかし、リンカーンは、奴隷制を維持したユニオンは守るに値しないと主張し続け、奴隷制を廃止することに執念を燃やし続けた。奴隷制を廃止した上での南北統一が最大の目的であった。南北統一が失敗するリスクを認識しながらも、奴隷制だけは妥協しなかった。


 リーダーが歴史から学ぶべき事は何か?

 社会を変えるためには、正しい政治的リーダーシップと、社会的市民運動の両方が必要になり、どちらかが欠けてもいけないのである。社会的市民運動は、政治的フレームワークなしには瓦解し、社会的市民運動が世論の後押しとなって政治的リーダーシップを促進する。リンカーンのリーダーシップは、奴隷制廃止論者と、大多数の穏健派から支持を得た事によって成り立ったのである。

 オバマ大統領は、リンカーンの違いは批判に対する姿勢である。リンカーンにとって批判は教科書であり、批判から真摯に学ぶことを重視したが、オバマ大統領は、自分を過大評価している節があり、批判を受け入れる姿勢が欠けている。この点が、リンカーンとオバマ大統領の違いではないか。

 リンカーンは、南北戦争時にも領土問題には一切妥協しなかった。戦争が長引けば、大統領として再選されない可能性もあり、選挙のために奴隷制に手を付けないよう共和党のメンバーから忠告されたが、リンカーンは大統領選で敗北するリスクを冒してまで、奴隷制廃止に拘った。南北戦争で北軍の為に戦う黒人に対しての裏切りに等しい行為は、絶対許容出来なかったのである。オバマ大統領は、妥協すべき政策と妥協しない政策について、リンカーン程の明確な原則をもっていないのではないか。

 政治家の皆様、きちんと歴史を勉強しましょう。過去の歴史を、自分の主張として引用するなら、きちんと歴史的解釈を理解しましょうね。


 以上、ポイントを要約してみました。翻訳の専門家ではないので、多少分かりにくい表現もあるかもしれませんが、ご参考までに・・・。あとは興味があればご自身でご覧ください。


 個人的に最も印象的だったのは、40分頃からの権力に対する制約についての話です。リンカーンは奴隷制を廃止する為に、大統領として何をしても良いとは考えていなかった。憲法によって成り立っている現状のシステムを尊重しなければならないと考えており、権力に対する制約を認めていたという部分です。憲法の権力に対する制約を認識しながら、政治的リーダーシップによって、その制約を克服した手腕について、もっと注目されるべきだと思います。日本も、憲法改正の動きが強まってきましたので、スピルバーグの「リンカーン」を見た後は、実際のリンカーンに対する歴史的解釈を勉強することは大切なことだと感じます。


 

2013年5月1日水曜日

中央銀行陰謀論を紐解く「ザ・マネー・マスターズ」

デフレ脱却・金融緩和が、現在の日本銀行のプライオリティーのようです。為替や長期金利が急激に変動しており、国民生活の安定には、あまり良い事とは思えませんが・・・。

 中央銀行とは、国家の金融政策の中枢であり、経済の好不況において金融政策を決定し、国家の安定的経済運営に務めるのが義務というのが一般的認識。

 しかし、中央銀行とは常に陰謀論に晒されるのが歴史の常であり、その陰謀論の起源はアメリカの中央銀行の成り立ちにあるのではないかと、この「マネー・マスターズ」という映画を観て思いました。

 この映画は、「マネーの進化史」の内容に近いかもしれません。マネーが生まれた背景や、そこからお金の貸し借り、銀行の成り立ちを解説し、中央銀行がなぜアメリカにおいて作られた背景を解説しています。

 内容自体、マネーという概念を、近代ヨーロッパやアメリカの隆盛の歴史に絡めて説明しているのですが、個人的に疑問が残る説明も多々あり、ドキュメントとして内容を全て信じようとは思いません。映画の作者であるベン・スティル氏について調べてみたが、ウィキは削除されており、多少怪しい経歴のようです。どうやらリバタリアンの思想みたいです・・・。

 ただ、このドキュメントは、中央銀行がなぜ陰謀論的に批判されるのかを学ぶ良いドキュメントと筆者は考えております。

 本作の主張を端的に言えば、FRBはヨーロッパの銀行家(ロスチャイルド一家)が支配しており、アメリカ経済は既にモルモットであると。中央銀行陰謀論は、日本だけじゃなくアメリカに存在していたという事を認識する良い機会になりましたw。

 アメリカ大統領と中央銀行に対するスタンスを解説するが、個人的に最も印象に残っている内容はリンカーンの中央銀行に対するスタンスと、ヨーロッパの銀行家との対立である。(具体的なあらすじはこちらをご覧ください)

 リンカーンと言えば、南北戦争で共和党の大統領として北軍を勝利に導き、南北で分裂していたアメリカを統合した偉大な大統領であります。

 本作で解説されていたリンカーンと中央銀行に関係は以下の通り。(端的なまとめ)

 ①南北戦争の勝利には、莫大な戦費が必要であり、北軍も戦費調達の必要性に駆られていた。

 ②しかし、ヨーロッパの銀行家は、北軍の資金調達の要請を受けたが、莫大な金利を設定したためあえなく資金調達を断念。

 ③そのためリンカーンは、議会でグリーンバック紙幣呼ばれる政府紙幣の発行を承認し発行させた。政府から発行された紙幣は、兵士に対する給与の支払い等の戦費に当てられた。(ウィキによる解説)。

 リンカーン曰く、「政府が必要な資金需要と消費者の購買力を満たすには、政府自身が通貨を発行し、信用を創造し、循環させる必要がある。通貨発行の特権は、政府の最高級の特権だけでなく、最も偉大な創造的機会である。この原則を採用すれば、納税者は莫大な金利負担をカットでき、マネーが人間の君主にならず、人間に対する奉仕者にする事が出来る。」

 
 しかし、リンカーンの意志に反発したのがヨーロッパの銀行家で、ロンドンタイムスに、アメリカの金融政策を批判する記事が掲載し、リンカーンに対しての警戒を表明した。

 「もし北米で生まれた金融政策が、経済基盤として固定された場合、政府が金利等のコスト負担ん無しにマネーを発行し、栄える事が出来るだろう。そして新たな借金なしに、既に存在する借金をペイオフする事も出来る。これは、北米が、商業政策に必要な資金を確保できる事を意味する。このままいけば、北米が経済的に繁栄し、優秀な頭脳、世界に存在する全ての富が北米に向かうだろう。我々が築いた経済支配を守るために、北米の君主制を地球上から破壊しなければならない」

 その後、南北戦争が激化し北軍側が資金を必要としたので、リンカーンはグリーンバック紙幣のさらなる発行を承認。国民銀行法(ナショナル・バンク・アクト)を制定し、政府が紙幣を発行する仕組みを構築し、マネーサプライで経済をコントロール出来るようして、ヨーロッパの銀行家からの経済支配に対抗した。

 解説の結論としては、ヨーロッパの銀行家に対抗し、新たな経済運営の仕組みを構築しようとしたリンカーンは暗殺される。南北戦争に敗北した南部側の復讐を利用し、ヨーロッパの銀行家がリンカーンの暗殺を画策し実行したのであると。

 筆者の見解としては、一見論理が成り立っているように見えるが、これが事実かどうかは疑問であり、本作の主張をそのまま受け入れるのは危険とは思う。マネーの進化史で解説される南北戦争の金融政策とも相違点も見受けられる。

 マネー・マスターズで主張されている陰謀論は、ヨーロッパの銀行家に対する不信であり、通貨発行の特権が、アメリカ人以外の勢力に握られているという点が特筆すべき内容だろう。

 中央銀行のマネーサプライを牛耳る事で、金利を下げ資金供給を増やし、あえて好景気にもっていく。不動産等のバブルを引き起こした状態で金利を上げれば、ローンを借りた債務者はたちまち資金不足に陥るため、不動産の投げ売りが起こり、価格下落時に一部の資本家が富を確保するのが目的であるというのが要旨の一つである。

 歴史とは、文献のみでしか記録が残っておらず、この主張が事実かどうかは専門家の判断に任せよう。事実かどうかは筆者には判断不可能である。しかし、中央銀行がなぜ陰謀論に絡めて批判されるのか、その理由は理解出来た。


 理由の一つは、過去の歴史に対する解釈の違いだ。中央銀行は、国家経済の安定的運営に全力を尽くしているという論者であれば、本作の主張は受け入れられないだろう。リフレ派と呼ばれる有識者であれば、マネー・マスターズの歴史的解釈や、その主張を肯定するかもしれない。

 経済思想には、様々な流派が存在し、自分たちの信じる思想、立場を推進しようとするので宗教的対立の側面もある。その思想・立場を肯定する手段が、歴史に対する解釈である。どれが正しいかなど、庶民には分かるはずもない。思想家ですら、過去の歴史を自分達に都合の良い解釈をしている可能性も否定できないのだから。

 何が正しいかは分からない。しかし、同じ事柄に対する説明や解釈の相違点を理解し、相対的に何が正しいのか自分で判断するしかないのだ。

 ここまで完成度の高いドキュメントだと、陰謀論なのか真実なのか分からなくなるインセプション的ドキュメントだと思います。