2013年6月9日日曜日

いつ「インセプション」見るの、今でしょ。

  「いつ見るか、今でしょ」。インセプションって難しい映画だけど、この映画から逃げてたら、俺はいつ夢から醒めるのか・・・。とりあえずいつ書くか、今でしょということで、インセプションを林センセーに贈ります。

 ダークナイトシリーズが代表作のクリストファー・ノーラン監督、レオナルド・ディカプリオ主演、怪演ケン・ワタナベ、他にも次世代のスター候補ジョセフ・ゴードン・レヴィット、アカデミー賞女優のマリオン・コティヤール等、凄い面々。

 こんな大作にケン・ワタナベが怪演しているなんて、日本人としては、これが現実なのか分からなくなる程の名作、もしくは迷作ですね。

 僕が、この映画で気になったのは、映画中のなかでディカプリオの奥さんであるマリオン・コティヤールが自殺するシーンですね。

 ディカプリオが部屋に戻ってきたら、妻が向井のビルの部屋の窓から飛び降りようとしている風景をみて、必死にディカプリオが止めようとするのですが、結局・・・。

 必死にディカプリオが止めようとして、子供たちの名前を出して妻を説得しようとしても、結局妻は飛び降りてしまう。「いつ落ちるか、今でしょ」と言わんばかりに。

 ディカプリオは、「君がいなくなったら自分の子供達の事はどうするんだ」、コティヤールは「リープオブフェイス、この世界は全て現実じゃないのよ」という形で、現実を考えるオトコと、現実以外の世界を考えるオンナを対比させて描いてますね。結局、目の前の世界は現実ではないという概念が頭の中に刷り込まれていくと、現実感を持って説得しても意味がないのでしょうか・・・。

 妻の自殺によって、ディカプリオは夢の中で妻の幻影に悩まされ続ける。これは、一つの例としてボストンテロでは犯人が宗教にのめり込んで、理性や倫理観の尺度がおかしくなっていくことによって、家族の絆が壊れていくといった事と類推できるかもしれません。

 宗教においても、この世界の秩序は全て神が司っているという概念を刷り込まれた人は沢山いるし、神様という存在自体を信じない人もいる。もし、こういう2種類のタイプが議論し合ったら多分噛み合わない。個人的には、ディカプリオは無神論者、コティヤールは有神論者の対立?、論理でしか考えられない男性脳?、論理だけじゃなくて、明確なモノ以外に対する共感や思いを持とうとする女性脳?の比喩なのかとすら解釈してしまいました。

 いや「いつやるか、今でしょ」というキャッチコピーを聞いて、まともに受ける人ってニコニコ動画やYouTubeでアップされているパロディー動画ぐらいかもしれませんが、こういうキャッチコピーが話題になること自体が、日本にとってエポックメイキングな瞬間かもしれない。
 
 「いつやるか、今でしょっ」て言われても、勇気を振り絞ってやれるかと言えば普通は出来ない。それ以外にも、自分は何をやるべきか、なぜやるべきか、それをやる事によって自分は何を得るか・何を失うか、本当に意味がある事なのか?等、様々な判断尺度があり、人間は考え込んでしまうからです。

 ゴチャゴチャ考えてないで、さっさとやれよ、マリオン・コティヤールがビルから飛び降りたみたいに、なんて言われたら、やっぱり不信感や不満を持つのは、やるかやらないかで判断出来るわけないだろうという、現実を視ろよ・・・という反論に他ならない。

 「現実を視よ論」対「考えずにさっさとやれよ論」、の対立、回りくどく考えると、無神論対有神論の戦いであって、無神論の日本人に、神様がいるから、きっとうまく行くと布教する人間に対する反発なのでしょうか。

 この映画のテーマは、人々が現実感を失っている事に対する警鐘みたいで、クリストファー・ノーラン監督曰く、目の前の実際に起きている事を現実として認識しよう、といった主張が込められているそうなんですが・・・。

 今起きている事は、人間という生き物が歯車として回った結果であって、それ以上でもそれ以外でもないですよね。その現象に、神が秩序を司っていると解釈する人もいれば、全部夢であると認識する人もいる。

 目の前に起きている事について、ゴチャゴチャ御託を並べるんじゃない。今起きていることは、現実とで起こっているんだ・・・。

 しかし、それが本当かどうか。神が世界の秩序を司っているかもしれないし、やっぱり夢かもしれない。結論が出ないのは、死後の世界を経験した人がいないからでしょう。誰も死後の世界を覚えている人、いないですからね。だけど死後の世界がどういうモノか気になるから、常に人間は不安になって考えたり想像したりする。

 あら、これは無限後退の文章になっておる。どうやら筆者がインセプションの世界に引き込まれ、妄想するハメになりました。

 「いつやるか、今でしょ」が、これだけ複雑な概念を考える機会になるなんて、今まで私は何をやってきたんだろうか。

 これほどシーンの不自然な点を指摘する動画が意味ない映画はないかもしれません。だって、不自然なシーンですら、わざとそういう演出をしたのかもしれないですし、もしかしたら錯覚かもしれない・・・
 
 
 

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