2013年4月29日月曜日

スピルバーグ監督が作った「ミュンヘン」、本当はイスラエルのモサドじゃなくて、CIAの出番だったんじゃないの?

 今年になって、中東で爆弾テロが多くの方が亡くなった。そしてボストンでも爆弾テロが発生してアメリカ社会に大きな衝撃を与えた。

 ボストン爆弾テロは、イスラム教を信奉するチェチェン系の兄弟が起こしたが、個人的には2001年の9.11同時多発テロを思い出す(犯人はサウジアラビア人と言われているが・・・)

 イスラム教の教えから明らかに乖離した狂気の集団が起こしたテロ事件。ボストン爆弾テロは、アフガン・イラク戦争によってイスラム社会が破壊されていくことを危惧した兄弟が起こした凶行というのが報道に上がっており、この報道が正しいと想定すれば、スピルバーグ監督の「ミュンヘン」について書かざるをえない。

 イラク戦争をテーマにした映画は沢山作られた。アカデミー作品賞を獲得した「ハート・ロッカー」、CIAによるテロ容疑者と見なした人間に対して行っている拷問の実態を描いた「レンデション」等は、アメリカの対外戦略に振り回されるアメリカ人を描いた映画で、個人的に印象に残っている映画です。

 第85回アカデミー賞で作品賞にノミネートされた「ゼロ・ダーク・サーティ」に出てくる拷問シーンは、おそらく「レンデション」が元ネタだと思います。「レンデション」では映画で初めて水責め拷問の実態を描いており、その事実を知って発狂したのか、悲劇のヒロインであるリース・ウィザースプーンは今年ひと悶着起こしました・・・。

 「ゼロ・ダーク・サーティ」は、映画としての完成度は非常に高い。映画としての娯楽性を失わず、ビンラディン殺害に全てを捧げた実在のCIA女性エージェントの苦悩や葛藤を描き出し、ビンラディン殺害作戦を再現したラストは圧巻の一言。アルゴに比べ映画の娯楽性は下回るが、シリアスさは段違いに上回っている。

 しかし、「ゼロ・ダーク・サーティ」の全米初公開は2012年。ビン・ラディンの殺害は2011年ということで、同時多発テロから10年も掛かったのだ。失われた10年といったも過言ではない。




  イラク戦争をやらず、アメリカ軍がタリバンとアルカイダ掃討に全力を尽くしていれば、今の状況は全く違っていたものになっていた。少なくとも、中東で爆弾テロがここまで増えることはなかった。「ハート・ロッカー」がアカデミー作品賞を取る事もなかっただろう。

 イラク戦争は、世界に混沌を生み出しただけであった。そのイラク戦争を直接描かずに批判した映画といえばスピルバーグ監督作「ミュンヘン」。ミュンヘンオリンピックでイスラエル人選手団がパレスチナ系テロリストに拉致され、最終的に全員死亡してしまった事件に対するイスラエル政府の報復を描いた作品。

 当時のイスラエル首相であったゴルダ・メイア(鉄の女?)が、ミュンヘンオリンピックにおけるテロ事件に対して報復を決意する。政府の諜報機関であるモサドに命令し、パレスティナ系の有識者を殺害するよう命じた。詳しくは町山さんの解説をどうぞ。

 2005年のクリスマスに公開され、映画のラストシーンで世界貿易センターを映し出す事により、ブッシュ政権のイラク戦争を批判した。映画のテーマは、報復は報復しか生まない、憎悪のスパイラルを断ち切らなければ、流血が続いていくという事を描き出した。

 スピルバーグ最新作の「リンカーン」でも、リンカーンが「Shall we stop this breeding」と言うセリフがあり、根底にあるテーマは「ミュンヘン」と「リンカーン」に通じるテーマだろう。同じ脚本家(トニー・クシュナー)ということでも推察できる。

 イスラエル政府のモサドによる報復を描く事によってイラク戦争を批判した「ミュンヘン」。本当は「ゼロ・ダーク・サーティ」で描かれたCIAのビン・ラディン殺害作戦。両作とも、政府による報復活動を描いた重厚な作品であるが、本当はスピルバーグが2005年にビン・ラディン殺害作戦を映画化して、スピルバーグ監督作品としての「ゼロ・ダーク・サーティ」が作られていれば・・・と思ってしまう。
「ミュンヘン」におけるSEXシーンは映画史上最も衝撃的な描写だ。(閲覧注意)





 キャサリン・ビグロー監督は女性監督として硬派な映画を撮り続ける骨太な方である。しかし、「ハート・ロッカー」という作品が生まれなければ良かったと個人的に考えている。あまりにビン・ラディン殺害が遅すぎたのだ。その途中にイラク戦争という周り道をしていくことによって、アメリカは軍事的・経済的覇権を失い、今年になってボストンでテロが発生してしまった・・・。

 「ゼロ・ダーク・サーティ」がもっと早く作られている状況であれば、テロで人が死んでいく現代の混沌は防げていたのかもしれないとすら思えるのだ。女性初のアカデミー作品賞・監督賞を獲得したキャサリン・ビグロー。「ハート・ロッカー」や「ゼロ・ダーク・サーティ」は映画として傑作で、評論家からの評価も高い。しかし、イラク戦争さえなければ、こういう映画は作られなかったし、その方が世界にとって好ましかったのは間違いない。

 だからキャサリン・ビグロー監督の真の最高傑作は、「K-19:The widowmaker」なのだ(個人的に)歴史的に、もしイラク戦争が防げたとしたならば・・・だが。

 2013年になって、テロによる流血が続いている状況だからこそ、スピルバーグの「ミュンヘン」を観る価値があるのではないか。キャサリン・ビグロー監督「ゼロ・ダーク・サーティ」を見て、もっと政治的に深いテーマを含んだ諜報機関による報復活動を観たいと思えれば、迷わず「ミュンヘン」をおススメする。

本当に市街地で爆弾テロが起こったら、人はどのように傷ついていくのか。人体がめちゃくちゃになって、阿鼻叫喚の地獄を絵図を容赦なく描いた「ミュンヘン」

 テロを実行し、精神的に追い詰められ自分の良心と葛藤していくモサドのエージェント、テロの標的にされた無実の人々(しかもインテリで、エージェントより数倍頭が良い)。テロに巻き込まれ、泣き叫ぶ市民。中東の平和を名目に強硬的に権力を行使するイスラエル政府。

 映画の中で描かれる残虐さやシナリオの残酷さに一切容赦がない「ミュンヘン」、報復とは血で血を洗う残酷な現実そのものなのだ。

 「ゼロ・ダーク・サーティ」に足らないのは、残虐性だと思う。もっと、血や人体が飛び出るような描写が必要だったのではないか?。爆弾テロの恐ろしさを描いた点については、「ミュンヘン」の方が遥かに上である。

2013年4月28日日曜日

「キムジョンギリア」北朝鮮内情告発ドキュメント


 北朝鮮情勢が悪化して、ミサイル発射も近いという状況から多少落ち着いたのかと思ったら、アメリカ人を拘束したとのニュースが・・・。

 これもアメリカから譲歩を引き出すための駆引きでしょうが、こう着状況なのか、状況が悪化しているのかが分からない。

 北朝鮮情勢について勉強しようと思い、「キムジョンギリア」という映画を観ました。貧困に苦しむ北朝鮮国民、脱北者とのインタビューを通じて、現在の北朝鮮情勢がどれほどひどい状況かを告発するドキュメント。(日本公開時は2010年10月25日)

 最初ジャケットを見た時、ポール・トーマス・アンダーソ監督の「ザ・マスター」と似ているなと思いました。また「キムジョンギリア」というタイトルと、「マグノリア」が似ているので驚きましたが。

 キムジョンギリアとは、金正日の46歳誕生日に贈られた花の名前です。この花は、愛・平和・知恵・正義を象徴するそうです・・・。

 
 国内の貧困や、金一族の独裁に苦しむ北朝鮮国民。インタビューを受けた人達は、兵隊だった人や体制側の芸術演出に携わっていたピアノ弾きの方、何年も売春に従事させられていた女性等。

 体制維持の為に国民の犠牲を厭わない北朝鮮。徹底的な恐怖政治と、国民を貧困に陥れ外国の情報に触れさせず、反体制側と見なした市民を公開処刑する事により国民に恐怖を与え、反対勢力の芽を断つ。それでも貧困により生活出来なくなり、脱北の道を選んでいく人々。

 日本人が知っている事実がドキュメンタリーの大半ですが、序盤にインタビュワーが金日成を崇拝していたという言葉を聞くと戦慄が走ります。今まで体制側に教えられていた事が、外国に行くことにより全て嘘だったと気づいた等、衝撃的なインタビュー内容。

 詳しい内容はネタバレになるので避けますが、ドキュメントの間で日本が朝鮮半島を植民地化した過去について触れられています。時系列で行くと。

 1910年 日本が朝鮮半島を植民地化。
 1913年 金日成がキリスト教一家の元に生まれる。(彼の祖父はプロテスタントの宣教師)
 1919年~1940年 朝鮮の自由を求める戦士たちが日本軍に抵抗(教会の支援を受ける)
 1932年 金日成が抵抗軍に入り、それと同時に共産主義を採用する。
 1935年 日本軍が金日成を指名手配
 1941年 金日成、ソ連に赴く
 1945年 連合軍が日本軍に勝利し、ソ連と連合軍が38度線で領土分割
 1948年 金日成が朝鮮民主主義人民共和国をマルクス主義国家として建国
 
 その後は、朝鮮戦争が勃発したという歴史です。個人的に、金日成がキリスト教一家の元に生まれたというのは初耳でした。キリスト教について教育を受けているはずなのですが、無神論のマルクス主義に傾倒するということは、金日成自身に神を否定せざるをえない状況に追い込まれていたのか(詳しくは勉強中)。他にも、キリスト教団体が脱北に関わったりという描写もあります。

 ドキュメントでは、北朝鮮が独裁国家になったのは日本であると糾弾するような描写はありませんが、第二次世界大戦で、日本が連合軍に負けてソ連が現北朝鮮領土を支配したのが運命の分岐点となったのは間違いありません。ただ、アメリカは共産主義に傾いた国に対して。CIAがその国の軍に働きかけてクーデターを起こさせ、共産主義政権を倒すよう画策するのですが、北朝鮮は失敗例なのか。(ここも勉強中。)

 最も印象に残ったインタビュー内容ですが、「もし金正日が死ねば、混沌が待っている。」
これは、金正恩体制における核ミサイル危機を暗示していたのかもしれません。また、「金正日が死んでリーダーが変われば、北朝鮮に戻って国を再建したい」とも。

 自らが生まれ育った土地を離れなければならないという事は、悲劇そのものです。「この国を出よ」なんて煽る人もいますが、こういうドキュメントを見れば、とんでもない事だという事を実感できます。北朝鮮なら、言語が同じである韓国が隣にありますが、他に中国に脱出しても言語等様々な苦労が待っている。そして、脱北者自身、北朝鮮に残した家族を救うために行動したくとも、体制側の報復を恐れて何も動けない状況。

 日本とは考えられない程悲惨な状況になってしまった北朝鮮。国民は、飢えを凌ぐ事で精一杯でまともな教育も受けられない。国民を常に追い詰めれば、反体制勢力が生まれず体制維持に好都合なのです。そしてアメリカや中国からの譲歩を引き出すために、国民の犠牲を厭わない国家、それが北朝鮮。

 このドキュメントに近い映画は、ジンバブエ大統領のロバート・ムガベに土地を奪われた白人が、国際司法裁判所でムガベ大統領を訴えた「Mugabe and the White African」がありますね。こういうドキュメントを見て、独裁者と、その圧政に苦しむ国民の現状を認識する事が必要ではないか。

※世界最大の動画サイトで、「キムジョンゴリア」と英語の原題で検索してみてください。もしかしたら、アップされているかもしれません。


2013年4月27日土曜日

最近のバラエティー番組って「ポムワンダフル提供:金で魂を売った最も偉大な映画」だよね

最近のバラエティー番組って、1時間番組が減って、19時から21時までの2時間番組が増えましたね。しかも、フランチャイズレストランの人気メニュートップテンを当てる、AKB総選挙を真似たような人気商品ランキング総選挙、会社の工場に潜入して人気商品の製造工程を見せる等、露骨な広告臭が強い番組が増えてきました。

 番組自体は、お笑い芸人を出演させて、あえて厳しい状況に追い込ませて笑いを取ろうとするなど、エンターテイメントも忘れずに、広告・低予算・長尺といった形で製作していますね。

 そういうバラエティ番組を見ている人に、見て欲しいドキュメント映画が「ポムワンダフル:金で売った偉大な映画」です。

 この映画は、スーパーサイズミーで有名になったモーガン・スパーロックが作っています。スパーロックが作ったドキュメントは、基本風刺ドキュメントになりますが、今回は広告が標的。

 まあ基本、広告臭が露骨なコンテンツは絶対面白くないよっていうのが結論なんですが・・・。

 モーガン・スパーロック監督最新作、「映画の内容はどうでもいいから、映画の中に出てくる商品を目に焼き付けて、良いイメージをってください。広告はあなたを幸せな気分にします。」という感じですね。

 そんなのありえないと思うのが普通の人の感覚だと思いますが、製作側は徹底的に宣伝したい商品を、不自然さを排除しつつ、いかに視聴者に見せるかが腕の見せ所。そういう製作者側の思惑を引き出そうとするモーガン・スパーロックが映画監督をやるわけですから、広告を最優先に考える製作者側と噛み合う訳がありません。

 というより、モーガン・スパーロックの製作者側に提案するアイディアが、広告として最も目立つ事しか考えないので、不自然さを配慮しつつ広告を埋め込みたい製作者側は、どうして私たちの思惑を理解しようとしないの?みたいな雰囲気なんですがね・・・w。

 広告についての風刺ドキュメントなのに、これは男女がなぜ分かり合えないかを、まざまざと見せられているようでした。モーガン・スパーロックは、男性脳で商品を目立たせる事しか考えておらず、製作者側は、商品を目立たせる事・不自然さを排除すること、視聴者に良いイメージを持ってもらう事等、配慮が出来過ぎる女性みたいでしたね。

 男性が論理的に主張することしかできず、女性は論理だけじゃなく、共感や思いやりを求めて噛み合わない恋人同士なんだよと遠回しに伝えたいドキュメント映画なんだと実感。

 ここまで広告が映画製作に浸透してきた理由は、出来るだけ安い予算で映画を作りたいからですね。それ以外の思惑なんてありません。広告によって、安い予算で製作でき、映画の中に商品を、これでもかって程視聴者に見せて、良いイメージを持ってもらえれば万事OK。

 映画の完成度なんてどうでもいいよって事なんて言っても、ちゃんとした映画を作りたい監督の一人であるタランティーノがスパーロックとのインタビューを受けるのですが、「露骨に商品広告をやると、映画のリアリティが壊れちゃうよ・・・」と言ってました。またJJ・エイブラムスは「ストーリーテリングは、ストーリーセリングなんかじゃないぜよ・・・」とも。

 個人的に最も印象的だったのは、映画広告のトレイラ―製作の現場ですね。トレイラ―製作の現場では、ニューロマーケティングという理論が実践されているようで、スパーロックにニューロマーケティングの簡易検査をMRIで調べるのですが、これがもう衝撃的で・・・。

 広告を、人間の脳に反応させるように作るというのは、二つの効果があります。一つは恐怖を呼び起こす事と、ある商品が広告で映った時、ドーパミン放出を促すことで、その商品を欲しくなる中毒的症状が起こるのです。

 さすがにスパーロックも驚愕。これって視聴者の脳をコントロールすることじゃないの?って、聞いてみると、「いや広告は、MANIPULATION(操作)だよ」と・・・。

 広告というビジネスは、視聴者が知らないところで物凄く進化してるんですね(棒)。ということで、日本のバラエティ番組に違和感を持たれたら、オススメできるドキュメントです。

 個人的には、面白がる風刺映画というよりは、人類に対する警告映画なんじゃないのと思いましたけどね。ニューロマーケティングについて興味があればどうぞ。

 ちなみに、このドキュメントを見ると、映画予告トレーラーが全く信じられなくなります。これは、人間の脳にドーパミンを放出させて、ノータリンジャンキーなっちまいな+IMAXで見に来いよ戦略と、頭の中でインセプションされます。

 アイアンマン2についても、シーンに広告沢山入れてる事を指摘しているのですが、アイアンマン3は一体どうなるのでしょうか。個人的には早くアイアンマン3版「正直なトレーラー」が出てくる事を期待しております。

 ロマンぶち壊しCinema Sins→https://www.youtube.com/user/CinemaSins?feature=
 脳神経映画中毒破壊→https://www.youtube.com/user/screenjunkies?feature= 


※この映画の中で、ポール・トーマス・アンダーソン監督は、映画製作における広告に全く興味ないと言ってます(本人のインタビューではないですが・・・)。広告臭が嫌いな方はどうぞ。

 あと、ソフトバンクのCMで使われてるBGMが沢山使われてます。特に、スパーロックが映画製作の広告について会議している途中とかですね。きっとスパーロックが、ソフトバンクのCMを見てパロディーとしてオマージュを捧げているんですね、わかります。

2013年4月25日木曜日

宗教的対立に和解はありえないのか「アメリカン・ヒストリーX」

 ボストンの爆弾テロ事件、犯人が捕まってからいくつか供述をしているようですね。二人兄弟のうち、兄は射殺され、拘束された後の弟はベッドのベッドの上で供述しているようで、「兄はテロの首謀者で、イスラム世界を守りたかっただけなんだ」とCNNが明らかにした。

 この事件から、アメリカンヒストリーXという映画における主人公とその弟を思い出しました。

 トニー・ケイ監督、エドワード・ノートンやターミネーター2で少年時代のジョン・コナーを演じたエドワード・ファーロングが演じており、白人至上主義に傾倒する兄弟の心理的な危うさと葛藤、その悲劇を描き出した作品です。

 兄弟は白人至上主義に傾倒し黒人を憎んでいます。エドワード・ノートンはクルマ泥棒を働いた黒人を見つけ、容赦なく殺害し逮捕されます。なぜ黒人を憎んでいるのか。それは、アメリカの典型的な中流階級だった一家で、ある日父親が黒人に殺されてしまい、黒人に対する抑えきれようもない憎悪と、愛する父を失った事による喪失感から、ネオナチ組織に出会ってしまい、過激なキリスト教軍団に入ってしまったからです。

 愛する父親を失った後、心の中が空っぽになり、自分の居場所をネオナチ組織に求めてしまったのが悲劇の始まりでした。兄が逮捕された後、ファーロング扮する弟が兄が所属していたネオナチ組織に居場所を求めてしまうのです。

 愛する人を失って、心の中が空っぽになり、その空虚を埋めるために新たな居場所を求めてしまった兄弟の悲劇でもあります。ボストンのテロを実行した兄弟も、もしかしたらアメリカン・ヒストリーXで描かれた兄弟と似ているかもしれません。
 
 人は、希望無しには生きられない。自分の居場所を見いだせなければ、新たな居場所を見つけようとする。それが、ボストンのテロ事件を起こした兄弟にとって、イスラム教(もしくは、過激なイスラム教の思想を説く組織か?)だったのかもしれない。新たな居場所を見つける事によって、人は生き甲斐を見つける。その居場所を守る為なら、手段を選ばなくなる。洗脳といっても過言ではなく、まともな理性を失っていたことは間違いありません。

 「イスラム世界を守る為にテロを実行した」という動機に、理性も論理も存在しない。なぜなら、ボストンのテロ事件で犠牲になった人は、アメリカの中東政策と関係ない人で、イラク戦争に対する復讐なら、ブッシュ政権と裏で繋がっていた企業に対してテロを起こした方が自然な動機です。(テロを推奨しているわけでも、アメリカの責任ともいうつもりはありません。)

 また中東におけるテロは、タリバンやアルカイダ等、イスラム教の教義を歪めて解釈し、仕事がなく貧しい人々を洗脳して実行させているので、イスラム世界の敵がアメリカにいるわけではない。それでも、ボストンのテロ事件を強硬してしまった。イスラム世界を守る為に、本当にやるべき事は何か考える事すら出来なかったと思われる。

 アメリカンヒストリーXで描かれた兄弟と、ボストンのテロ事件を起こした兄弟に共通点を感じるのです。自分が信じる正義の為に、人を殺めてしまったという悲しい悲劇。その正義が、人を殺してまで、やるべき事だったのか。

 ネタバレになりますが、アメリカン・ヒストリーXにおいて最後に、黒人の報復として弟が殺されます。ボストンのテロ事件は、兄が射殺され弟が生き残った状態で拘束されました。映画と現実は違いますが、何か不思議な縁を感じるのです。

 エドワード・ノートンは「ラリー・フリント」で、ポルノ雑誌ハスラーの創刊者であるラリー・フリントとキリスト教福音派のジェリー・ファルウェルと裁判において、フリントの弁護士として戦ったり、ファイト・クラブでは、元々エリートビジネスマンが、自分の化身(理想像?)と幻想で交わることで、ファイトクラブを作って、金とクレジットカードにコントロールされた人間の本能を取り戻すために殴り合い友愛会を作るのですが、いつのまにか狂気のカルト集団(テロ組織)になってしまい、全米の都市にテロを起こそうという・・・。狂気性に気づいたエドワード・ノートンは、テロを阻止しようとするのですが、自身の化身と戦いつつ、最後にはビルが爆破される瞬間を眺めているという映画でした。

 エドワード・ノートンはエール大学卒のインテリで歴史学を学んでいたそうで、歴史に宗教がどのように関わってきたのかを映画における映画で体現しているのではないか(筆者の解釈)。

 「アメリカン・ヒストリーX」はネオナチと白人至上主義に傾倒するが、足を洗おうとして更正する中で最終的に弟を殺されたしまった男、「ファイトクラブ」では、ビジネスマンが自分の別人格と出会うことで、殴り合い友愛会に傾倒してしまい、最終的にビル爆弾テロに加担している事になってしまい、最後に別人格を克服したが、爆弾テロを阻止出来なかった男(傍観?)。

 「ラリー・フリント」は、ポルノ雑誌ハスラーの創刊者ラリー・フリントの弁護士としてジェリー・ファルウェルに戦いを挑む弁護士と、宗教やカルト的集団に関わったり、宗教勢力と戦う男を演じてたりと、エドワード・ノートンは1990年代の社会派ドラマによく出てたんですよね。

 一般人が何らかの機会(愛する人を失った、自分の居場所がない等)で、宗教や過激な思想を持つ集団に傾倒すると、人間性がどのように変わっていくかを知る上で、エドワード・ノートン出演作品を観ると、宗教とは何かを考えるきっかけになると思います。

 アメリカ社会における宗教のあり方、過激な思想を持った集団に傾倒してしまった人達について、「アメリカン・ヒストリーX」は白人と黒人の人種間対立だけでなく、多宗教との衝突を暗示していたのかもしれない。

 この記事は、個人の推察を元に書いておりますので、極力偏見や個人の倫理観を排除するよう配慮しておりますが不快な気持ちになられた方は、予め謝罪致します。
 

 

2013年4月24日水曜日

スピルバーグのリンカーンから政治的比喩を読み取る。

 スピルバーグの最新作リンカーンが公開されて、映画ファンの解説や感想等、リンカーンに対して様々な感想がアップされつつありますね。賛否両論で、ダニエル・デイ=ルイスの神懸かり的な演技に対する称賛や、アメリカ史についての解説等、様々な評論がありますので、それらとは違ったリンカーンに対する解釈をしたいと思います。リンカーンから読み取れる政治的比喩について探ってみたいと思います。

 リンカーンは、映画の大半が修正憲法13条を可決させるための政治的取引に焦点が当てられており、アメリカ史に詳しくない人にはピンとこない映画なのですが、アメリカ史よりも、映画の製作者から読み取れる政治的比喩が分かれば、もっとリンカーンが面白く思えると思います。


 このインタビューでは、スピルバーグとダニエル・デイ=ルイスとマーク・ハリスがインタビューしています。序盤にマーク・ハリスが言うのは、私はジャーナリストで、リンカーンの脚本を担当したトニークシュナーが夫であり、私自身歴史上と映画のリンカーンのファンであると言ってます。

 脚本のトニー・クシュナー(ユダヤ系アメリカ人)は同性愛者で、インタビュアーのマーク・ハリスと結婚しているのです。映画版リンカーンは、ここが一つ政治的比喩を読み解くポイントだと思います。

 スピルバーグとトニー・クシュナーがタッグを組んで作った映画と言えば「ミュンヘン」です。ミュンヘン・オリンピックでイスラエル人選手がアラブのテロリストに誘拐され、最終的にテロリストと選手全員死亡してしまい、その報復の為にイスラエルの諜報機関モサドが強行的に報復に出て、その報復に関わったメンバーの苦悩や葛藤を描き出す人間ドラマでした。

 この映画が、イスラエルを批判するだけでなく、イラク戦争を強行したブッシュ政権に対する批判であることは最後のシーンで分かります。ブッシュ政権における共和党は、キリスト教福音派の支持を得てイラク戦争後の大統領選にも勝利しているのですが、政争の具として利用したのが同性愛や中絶ですね。憲法で同性愛や中絶を禁止して、キリスト教の価値観を国家の根幹に反映させようとしていたのです。

 従って、ミュンヘンが批判するものは、イスラエルの横暴、ブッシュ政権のイラク戦争が表向きには読み取れるのですが、トニー・クシュナーのセクシャリティを考慮すると、同性愛者や中絶を憲法で禁止しようとしていたキリスト教福音派に対する批判も読み取れるのではないかと思います。

 スピルバーグとトニー・クシュナーがタッグを組んだ映画は、どうしても共和党批判的な内容になってしまうのは避けられないの面があります。リンカーンで描かれた修正憲法13条を可決するために行われた政治的取引は、現在の民主党政権と野党の共和党との関係性を直接的に暗示していますが、黒人奴隷は、現代におけるセクシャルマイノリティや宗教的少数派に対する差別の象徴と読み取れるのではないか。黒人奴隷制廃止の為に命を懸けたリンカーンは、最近の人物で例えると自身が同性愛者であり、少数派の地位向上の為に尽力したサンフランシスコ市議のハーヴェイ・ミルクに近い。

 議会におけるサッディアス・スティーブンスと民主党議員のやり取りは、アメリカにおける少数派が差別されている状況の象徴で、「神は、黒人を白人と同等として作ったわけではない」と民主党議員が神の論理を利用して黒人奴隷制を擁護するのですが、キリスト教が黒人(少数派)の差別の根拠として利用されるアメリカ社会に対する批判であり、少数派の怒りの象徴と思える。


 
 映画の中で、サッディアス・スティーブンスが頑固親父として、「全ての人間は憲法によって平等と定められている。」と議会で民主党議員に主張すると、民主党議員が大激怒するのですが、これは同性愛の地位を向上させようと言うと、神に対する冒涜だと怒り狂うキリスト教福音派のような現状を類推させますね。個人的な解釈では、サッディアス・スティーブンスの描写は、ブッシュ政権において強引にキリスト教的価値観を国家に浸透させようとした事に対する皮肉かと。南北戦争の時には、黒人奴隷を解放し、白人と黒人の権利を同等にしようとする議員が共和党にいたのに、現代の共和党は一体どうなっているんだ?ということでしょうか。

 歴史的にみれば、アメリカにおける黒人は、アフリカから労働力確保の為に連れて来られたので黒人が差別されてしまうのでしょうが、アメリカが黒人に乗っ取られるというのは、ちょっと理解しづらいのですがね・・・。

 以上、リンカーンから読み取れる政治的比喩をまとめると以下の通り(個人的解釈)

 ①現代のアメリカ政治における、上院は民主党、下院は共和党が過半数を支配し、政権政党である民主党の政策を反対し続ける共和党に対する批判。

 ②南北戦争では、共和党に黒人奴隷制度を廃止しようと命を懸けた偉大な男であるリンカーン(オバマ大統領?)、民主党議員に「黒人と白人の権利は平等である」と声高に言い放ったサッディアス・スティーブンス(ジョン・マケイン?、イラク戦争に反対した共和党議員?)が所属していたのに、現在の共和党は一体どうなっているのか。共和党議員は、リンカーンやスティーブンスの理念を忘れたのかという批判・皮肉。

 ③黒人奴隷解放は、現代のマイノリティーに対する差別の象徴。キリスト教の教義が、その差別に利用されている現状を、そのまま議会シーンで描写。

 ④政治家は、それぞれ理想を持っている。こういう社会を実現したいという志を持つことは大事であるが、理想ありきではダメなのだ。キリスト教的価値観を理想とする人たちは、その理想を追求すると、同性愛者等に対して結果的に迫害してしまう。逆に、どれほど理想が正しくても、実現出来なければ意味がない。サッディアス・スティーブンスが議会で主張した「黒人と白人は同等である」という頑固な意志が、民主党議員の大反発を呼んでしまい、結果的に修正憲法13条を可決するための障害になってしまった。

 ⑤現代の政治家に必要な能力は、扇動力ではなく、敵対勢力に対する妥協を引き出せる現実的な交渉力なのではないか。交渉において多少法律に違反する行為を行っても、目的が正しければ、その行為を後世が正当化するのではないか。

 上記の解釈は筆者独自のモノなので、参考までにお願いします。リンカーンは、アメリカの政治や歴史を知らないと非常に難しい映画であるので、ハーヴェイ・ミルクを映画化した「ミルク」のように少数派の地位向上に尽力した男達の歴史的ドキュメンタリーとして見ると、違った楽しみが出来るのではないかと思います。

 トニー・クシュナー脚本の「エンジェルス・イン・アメリカ」を見れば、「リンカーン」を表面とは違う楽しみ方が出来るかもしれません。

 「リンカーン」を見て、日本に必要なのはサッチャリズムであり、日本再生の為に必要だと思う人は勘違いだと思います(そんな人いないと思いますけど)。「エンジェルス・イン・アメリカ」の舞台は、レーガン政権において、同性愛者が差別されていた現状を描き出すもので、古き良き時代に対するノスタルジー批判に近い。

 サッチャー逝去に合わせて、「リンカーン」を都合よく解釈しないで頂ければと思います。「リンカーン」を解釈する場合は、サッチャリズムより、少数派に対する差別に戦ったリーダーという解釈の方が自然です。

  オバマ大統領の役割は、南北戦争におけるリンカーンと同じです。すなわち、格差やキリスト教(ブルーステイツとレッドステイツ)によって分断されたアメリカ社会を再統合すること。オバマ大統領の第一期大統領就任演説で、リンカーンが使用した聖書を使った事は有名です。そして、第二期大統領就任演説では、同性愛者の地位向上について言及しました。

 「リンカーン」は民主党政権のプロパガンダ映画なのでしょうかね。D・W・グリフィスの国民の創生から、時代は変わったと実感します。

 

 ※「リンカーン」がアカデミー作品賞を取れなかった理由は、「ミュンヘン」でユダヤ系のスピルバーグ自身が、ユダヤを裏切ったと批判された影響があるのかもしれません。アカデミー賞を投票するのはユダヤ系の人も多いですから、絶対スピルバーグには投票しないと考えているハリウッド会員も存在するかもしれませんね。こんな評論もありますし・・・。



 「リンカーンは汚い政治家だ。目的が正しければ、汚い事をやってもいいだって?。政治家はみんな自分の行動が正しいと思ってるけど、全て間違っているからね。」

 ブッシュ政権のおいて不正が暴露された共和党議員に対する怒りでしょうか。リンカーンって、私利のために汚職に走る政治家の象徴じゃないのって解釈も出来ますね・・・。

 これはある意味、インセプション現象だ。映画で描かれている事は、製作者側の意図が反映されているから、実在の歴史を再現しても参考にならないよ。だって、本当じゃないかもしれないから。

  もう、これ以上は「リンカーン」を見た方の判断にお任せいたします。



追記:日本も、これから憲法を変えようとする動きが激しくなってきましたが、憲法を変える事がどれほど困難なのかという見方で「リンカーン」を見ると、より違う楽しみ方が出来ると思います。
本来憲法は権力に対して制約を課すものなので、リンカーンが苦心して修正憲法13条を可決させるプロセスこそが、民主主義の象徴かもしれません。ただし、憲法を変えるだけじゃなく、国益を守るために憲法を守ることも民主主義の象徴です。憲法とは何か、それを考える良い機会となる映画だと思います。

2013年4月23日火曜日

軍産複合体としての「アイアンマン」

 もうすぐアイアンマン3が公開されますね。シリーズ最終作なので世界中で盛り上がっているようで、我らがアイアンヘッド、世界のヨシマヤと主演のロバート・ダウニーjrのツーショットが、日本でも話題になりましたね。

 ハリウッドスターと日本代表希望の星のツーショットなんですから、そりゃ日本人はしゃぎますよね。僕は、ヨシマヤの華麗なクリアと巧みなフィードの方がハシャギマスガ。

 写真は、あえてペプシマンポーズのアイアンマンを持ってきました。コスチュームと、ロバート・ダウニーjrの顔に若干のミスマッチ感を感じてしまいます・・・。

 アイアンマン自体、非常に深いテーマが含まれている映画なので、単なるスーパーヒーローが世界を救うみたいな勧善懲悪的ストーリーからは一線を画しています。アイアンマンとは、アメリカにおける軍産複合体の象徴なのですから。

 軍産複合体とは、軍需産業を中心とした私企業と軍隊、政治機関が形成する連合体です。軍産複合体は、基本戦争が起きると儲かります。戦争が無ければ、その逆です。だから、政府に戦争を起こさせて、沢山武器を作って売りたいという欲求が働くことがあります。本来は、政府がコントロールしなければならないのですが、政府閣僚に軍産複合体の利害関係者がいれば、国益無視で他国に侵略戦争を仕掛けるという歴史が繰り返されてきました。

 原作コミックのアイアンマンはベトナム戦争が舞台で、映画一作目は2008年公開で明らかにイラク戦争やアフガン戦争を意識しており、主人公はアフガンでゲリラ組織に捕まってしまい、死の商人から正義のヒーロー(?)に生まれ変わるというシナリオです。

 映画版一作目は、凄い評価が高く、既にネタバレ等の解説は既にアップされているので、それらとは違う視点で分析します。

 この映画の問題点は、主人公ですね。天才科学者で大企業社長の主人公が、いい人なんですね。実際の軍産複合体の社長が、いくらなんでも簡単に正義の人として生まれ変われるのかと疑問を持たれる方もいるでしょう。公開当時イメージするのは、ディック・チェイニー副大統領とかですが、チェイニーってブッシュ政権におけるダースシディアスみたいな人で、Wをダークサイドから操った黒幕とすら言われる人ですからね。

 アイゼンハワー大統領が退任演説の時に警告した軍産複合体の台頭。結局誰も防げなかったのですが、その罪を償うためのアイアンマン。2008年公開なら、もう少し主人公はディック・チェイニーをモチーフにした方がいいと思いましたけどね。
 
 アフガンで拉致された主人公、なんとか脱出してアメリカに戻り、主人公が経営する大企業の武器製造を止めると宣言するんですが、こんなことはありえないので、アメリカ人の平和への祈りとしてのマクガフィンでしょう。

 そのあとは、会社の経営権を巡って、武器を作り続けたい人たちとの仁義なき戦いになっていくのですが、こういうパターンだと主人公最後に殺されるのが定番。もちろんそうなりません。アイアンマンはスーパーヒーローですから。

 今まで自分がやってきた事が間違っていたという事に突然気づいて改心しようとすると、必ず過去の自分が犯してきた罪に対する葛藤や苦しみといった人間描写があるはずですが、映画版アイアンマンは少し弱いかなと。

 こういう死の商人的映画を観るなら、アンドリュー・ニコル監督の「ロード・オブ・ウォー」の方が、映画として非常にシリアスで、尚且つニコラス刑事のオスカー俳優しての演技を堪能できます。アイアンマン3を見に行く前に下準備として見るべき映画としてお勧めです。こちらは、死の商人としての生き方から、悲劇までシナリオがアイアンマンより、しっかり描かれています。

 主人公が、今までの過去から決別して、自分が正しいと思った事をやり遂げようとする映画は、弁護士映画やギャング映画に多いので、そのような類の映画を意識してアイアンマン3を見ると、感情移入出来ると思います。

 ただ、主人公の恋人(?)のペパー・ポッツはどうなるのでしょう。グウィネス・パルトロウは、デヴィッド・フィンチャーのセブンで、サイコのケビン・スペイシーに首チョンパ。コンテイジョンでは、香港でウィルスに掛かって序盤で死亡し、解剖作業で脳を解体されていましたからね。

 アイアンマンにも、今までやってきた罪を償う必要があります。それは自発的に償える罪もあれば、強制的に神様が罰を与える罪もあるでしょう。今までのグウィネス・パルトロウの出演作から見て、ペパー・ポッツは死ぬんじゃないかなと思います。

 いや個人的に、そういうシナリオを期待しているだけです。グウィネスは、シェークスピアを惑わせた罪深い人ですからね。フィンチャーの執念から逃れることが出来ないんじゃないかとも思うのです。

 いやアイアンマンは、娯楽エンターテイメントの申し子なんですよね・・・。

ハイスクール白書 エリート養成所に気をつけろ

ハイスクール白書、優等生ギャルに気をつけろ」という映画をご存知でしょうか?。写真に写ってるのは、リース・ウェザースプーンです。この写真だけだと、まるで怪物みたいですよね・・・。

 マシュー・ブロデリックが高校の先生役をやっていて、先生女子生徒に喰われてるじゃないですかwww。怯え3割、7割警戒や不信といった表情なのが印象的。

 原題はElectionで選挙ですね。別にヒラリー・クリントンみたいな女性政治家が、大統領選挙で勝利を目指すといった映画ではありません。もっと小さい世界で、私達にも身近な出来事です。

 テーマは、高校の生徒会長選挙です。リース・ウェザースプーン扮する野望のために萌えている女子高生が、将来の大学進学を見据えて、キャリア作りの為に生徒会長になろうとするドタバタを描いたブラック・コメディ。

 米タイム誌が選ぶ政治映画で、1位の大統領の陰謀に継ぐ、なんと2位に輝いている名作映画なのです。

 高校の生徒会長なのに何故ここまで評価されているのか。それはアメリカのエリート養成プロセスに対する風刺が沢山込められているからですね。

 監督はアレキサンダー・ペイン。一貫してアメリカ社会に対する皮肉ったコメディ映画を作る監督ですね。アメリカ社会の裏側を勉強するなら、彼の映画を観るといいと思います。爆笑するというより、冷笑したりヒヤヒヤしながら見る事になるかもしれません。

 女子高生の主人公は、自分のキャリアの為になら手段を選びません。基本リア充(?)で、なんでも持っているんですね、先生との性的関係も・・・。ということで、いろいろ危機感を持ったマシュー・ブロデリックは、彼女を生徒会長にさせないために痛い人になっていきます。

 アメリカの有名大学は、SATといった筆記試験で高得点を取る事は当たり前で、学業以外の実績が必要になってきます。詳しくは田村耕太郎さんのコラムを。

 無垢な純粋な学生なんて、アメリカの競争社会では生き残れません。実はオトナより腹黒くて、頭良くて、でも精神的に何かバランスを欠いたエリートが生産されていきます。子供の頃から、ミスコン的競争や、学業における競争環境に晒されているアメリカ社会に対しての風刺でもありながら、警鐘を鳴らすといった意味で、深い深いコメディ映画です。

 誰が子供を競争社会に追い詰めるのか。それは両親以外ありえません。本作でも、主人公より強欲なのは母親なのです。実際、主人公が泣き崩れて辛い思いをしている時に、精神安定剤を飲ませて、あとで反省会をやりましょうねと言って、優しそうだけど鋼鉄のボディーブローを主人公に喰らわせるのです。

 このシーン見た人は、多分引いたと思います。母親気持ち悪いし、最悪の親だと感じるでしょう。しかし、日本でもお受験といった、幼少時から苛烈な競争社会に自分の子供を向かわせていますね。韓国も、中国も、インドも同じような現象が起きつつあります。

 子供の世界における競争社会が過熱して、最終的に行きつく先は、この映画だと思えばいいと思います。個人的には、ヒラリー・クリントンって、こういう競争社会に身を置いて勝ち残ってきたエリートなのかなと思いました。クリントン家って上流階級ですからね。アメリカの大統領は、下手したらブッシュ家とクリントン家の子息が交互にやるって可能性もありえましたからね。

 周りに行動力があって立派な事をやっている友人や、リアル充実してる人に対して、不信感をもっている方は、見ていてスカッとする映画だと思います。特に最後のマシュー先生怒りのパイ投げは、凄い共感できると思いますよ。

 アメリカ留学を考えている学生や、お受験をさせようか迷っている父母の方等、娯楽としてご覧ください。クレヨンしんちゃんのようなバカバカしくて、でもヒヤッとさせられる名作です。

 個人的には、マシューが演じた先生って、監督自身を投影してるんじゃないかと思いましたw。優等生ギャルのバカ野郎って事でマシュー先生の復讐、アレクサンダー・ペイン監督の呪いは、今更になって報われました。アカデミー賞女優のリース・ウェザースプーン、遂に本性を表しましたね。

 外面をいくら取り繕っても、中身が伴わない人は、やっぱりイタイのです・・・。映画の登場人物とは関係ないですが。

2013年4月22日月曜日

中国の鳥インフルエンザ怖いよね「コンテイジョン」

 中国の鳥インフルエンザ感染が未だに解決の糸口が見えませんね。人から人へ感染する可能性も否定できないとの報道であるようで、予断を許さない状況です。

 ウイルスとは、全く見えないモノであり、どうやって防げばいいか不明である事も多いため、市民がパニックに陥って、余計混乱に拍車を掛ける事もあり得ます。

 一般市民は、ウイルスに対する知識なんて持ち合わせているはずはありませんが、SARS等のウイルスが流行した場合、どのようにパターンで市民が混乱に陥るのかを知るうえで、スティーブン・ソダ―バーグ監督の「コンテイジョン」は一見の価値あり。

 COTAGIONとは、接触感染という意味です(逆に空気感染はINFECTIONと言います)。出演キャストが、あまりに豪華なので映画の内容なんか忘れて、美人な有名女優の演技しか覚えてないなんてありえるかもしれません。映画解説は町山さんの解説をどうぞ。

 個人的には、グウィネス・パルトロウが序盤に死んでしまうんですが、デイビット・フィンチャー監督のセブンを思い出しました。やはりグウィネスは、死に役が似合う女優ですね。あとタイタニックのヒロインが救われなかったのがなんとも・・・w。

 本作は感染症について、最もリアリスティックな映画で要点は以下の通り。

 ①感染症がいかに世界に広まっていくかを描写。
 
 ②市民が見えない恐怖に怯え、どのようしてパニックが発生するか。

 ③未確定な情報を流しデマを流す人間の危険性

 ④新型ウイルスに対するワクチン開発には、猿等の動物実験が必要。

 ⑤森林伐採等の開発によって環境が変わり、本来人間が感染するはずのない菌が
  人間に感染してしまう可能性。
 
 要点は、なるべくネタバレしないようまとめました。こういう映画の良い点は、なぜ新型ウイルスが生まれてしまうのか、原因の一端を知ることが出来ると同時に、見えない恐怖に対する人間の行動パターンを知ることが出来ることです。

 実際に感染症の流行が起きた時、予め人間が恐怖に怯え混乱していく心理やパターンを知っていれば、どのような状況でも冷静さを失わない可能性が増えますね。中国の鳥インフルエンザについて不確実な状況であるので怖がるのも当然ですが、コンテイジョンを見て客観的にパンデミックとは何かを知る事は、決して損ではありません。恐怖とは無知から生まれるものですから。

 本作では、感染症の流行が香港から始まるので、中国の鳥インフルエンザ流行の状況と似ている可能性もあります。(筆者の意見)

 ただし、ジュード・ロウ演じる恐怖の扇動者にはなってはいけません。どんな状況でも、恐怖を煽る無責任な人はいます。個人的には、ジュード・ロウ演じるフリー・ジャーナリストの行動パターンを頭に焼き付けて、映画中のジュード・ロウと同じ行動パターンの人を見かけたら、自動的に頭の中から排除する事をおススメ致します。

 パンデミックとは何かを理解し、無責任なフリージャーナリストにならないようにするため、本作で描かれる人間の心理描写や行動を頭に入れて、理性を失わないよう心掛けたいものです。

 グウィネス・パルトロウは、悲劇が本当に似合う女優です。
 


 

2013年4月21日日曜日

スピルバーグ監督作「リンカーン」が難しくてモヤモヤしたら、「ミルク」を飲みましょう。

今週金曜日に公開されたスピルバーグ監督最新作の「リンカーン」、評価が二分されているような気がします。

 スピルバーグ作品らしくないとか、シナリオが良く分からなかったから、民主主義のリーダーとは何か学べた等の感想をツイッターで流れてますね。

 リンカーンは、スピルバーグ作品史上最も政治的に深い映画であり、修正憲法13条を可決させる為に、南部の利害を代表する民主党議員の中から、強引な手法を使って懐柔するプロセスに焦点が当てられており、リンカーン自体に共感するのが難しいかもしれません。

 
 もしリンカーンを見て、何かしらモヤモヤしたモノが心の中に残るなら、1977年にサンフランシスコ市議員に当選し、自身も同性愛者であり、セクシャルマイノリティの地位向上に努めたハーヴェイ・ミルクを映画化したガス・ヴァン・サント監督、ショーン・ペン主演の「ミルク」をオススメします。

 なぜ、この映画を紹介するかというと、スピルバーグ監督の「リンカーン」は、トニー・クシュナーが脚本を担当しているからです。スピルバーグとトニー・クシュナーと言えば、ミュンヘンオリンピックでイスラエル人選手がアラブ系テロリストに殺され、その報復の為に強硬手段を取ったイスラエルを批判する「ミュンヘン」が有名です。2005年に公開された映画で、政治的比喩としては9.11同時多発テロの報復として、イラクを攻撃したブッシュ政権に対する批判映画として作られました。

 またトニー・クシュナー自身は同性愛者であり、「エンジェルス・イン・アメリカ」というニューヨークを舞台にした同性愛者の人間ドラマの原作者としても有名。

 スピルバーグとトニー・クシュナーがタッグを組んだ映画は、アメリカ社会に対する問い掛けのような映画になるのは必然的で、特に同性愛者に対して厳しい態度を取る共和党に対して批判的映画になってしまうのは避けられません。

 従って「リンカーン」自体は、アメリカ史やキリスト教、南北戦争時の状況等を理解しつつ、製作者の背景を知らないと、映画に入り込みづらいと言えるのです。

 「ミルク」なら、アメリカ史に詳しくなくとも、セクシャルマイノリティに対する偏見と闘った偉大な政治家として、自らが同性愛者である事を公表し、様々な苦悩、葛藤を抱えながら一人の人間として生きたハーヴェイ・ミルクに共感出来ると思います。解説はこちら

 アメリカにおいて、同性愛者に対する差別が激しい理由の一つはキリスト教です。聖書においては、同性愛を禁止していると解釈できる記述があり、キリスト教福音派と呼ばれるプロテスタントの人々が、同性愛を毛嫌いしているからです。ミルクにおいては、キリスト教福音派の支持を受けた政治家と同性愛について議論するといったシーンがあります。
 
 どの国でも、同性愛者、特にゲイに対する偏見は存在します。その偏見に宗教的価値観が絡むと差別が過熱してしまうのです。同性愛者の人々は、自分のアイデンティティを隠しながら生きるしかなかった人々の希望こそ、ハーヴェイ・ミルクそのものでした。

 志半ばで、ミルクはダン・ホワイトという同僚議員に殺されてしまうのですが、そのシーンも「ミルク」にあります。ミルクが暗殺された後の追悼集会のシーンは涙なしには見れない名シーンです。同性愛者の地位向上に全てを捧げた、セクシャルマイノリティ―にとってのキリストになった瞬間でもあります。

 この映画では、ミルクを殺害したダン・ホワイトの人間性について、明確に描かれるわけではないですが、さり気なく彼自身がミルクと同じ同性愛者だったのではないかと思わせるシーンがあります。彼自身の周りの環境が、自分自身のアイデンティティを偽り、結果的に、それが彼を追い詰めていったのではないかという製作者側の解釈でしょうか。

 「エンジェルス・イン・アメリカ」でも、ロイ・コーンという実在の弁護士をアル・パチーノが演じています。ロイ・コーンは、赤狩り時代に権力を得た弁護士ですが、彼自身がゲイなのです。AIDSに感染してしまい、必死にゲイというセクシャリティーを隠し弁護士として死のうとするが、弁護士資格をはく奪されたことを知った後死んでいくという哀れな終りでした。

 レーガン政権以降のアメリカの共和党は、キリスト教福音派が支持母体なので、同性愛者でありがながら共和党議員として、同性愛者に対する弾圧に手を貸していた人も実在しました。同性愛をテーマにした映画では、同性愛者として、自らのセクシャリティーを公表してマイノリティーの地位向上に努める人物と、自らのセクシャリティーを隠して、自分と同じマイノリティー弾圧に手を貸してしまう人物を対比させると、アメリカにとって非常に深いテーマを追求する映画になるのです。

 自分の本当のアイデンティティを隠して生きていくという事は、自分を犠牲にするだけでなく、他人を犠牲にしてしまい、悲劇が生まれてしまうという私達が学ぶべき教訓でもあります。

 もしリンカーンを見て、同じようなリーダーが苦悩しながら現実と戦っていくという映画を観たいと思ったら、ミルクをオススメします。

 映画の中で、ハーヴェイ・ミルクが暗殺された後に最後に流れる台詞。
「私達は希望が必要だ。希望無き人生なんて、誰も生きていけないのだから。」


 

 

もし自分の上司がハートマン軍曹だったら、俺達の職場ってフルメタル・ジャケットみたいなものじゃないの?

餃子の王将と言えば、どこでも美味しい餃子を食べれる事で有名。仕事終わった後サラリーマン、ビールと王将の餃子は至福の瞬間です。

 しかし、その美味しい餃子を提供するために、従業員の方が大変な研修を受けている事はあまりに有名。僕も餃子の王将は好きですけど、お店に入って店員さんが「いらっしゃいませ」と笑顔で挨拶してくれると、心の中では「ずっと、この風景」が頭の中で繰り返しリピートしてます。

 それと同時に、フルメタルジャケットの序盤で出てくる過酷なブートキャンプ、ハートマン軍曹のサド愛で暑苦しいシゴキを思い出してしまうのです。

フルメタルジャケットといえば、スタンリー・キューブリック監督の名作であり、戦争風刺コメディ(?)です。あまりに残酷な描写が沢山あるのに、なぜか冷めた目で見れる戦争映画なので、愛する人の為に武器を取って戦おうという気持ちにならないですね。ある意味キューブリックの良心なのでしょうか。

 本作は、ベトナム戦争の海兵隊として厳しいブートキャンプを受ける青年たちの苦悩、葛藤を描きながら、精神が崩壊していく様を描いています。見ていて正直嫌になる人が多いと思いますが、逆に、ブートキャンプを見て感動するような描き方をすれば、それは戦争賛歌になってしまうので、訓練描写を過剰なほど凄惨に描く必要があったのかもしれません。

 フルメタルジャケットの逆の方向で作った映画といえば、ポール・ヴァ―ホーベンのスターシップ・トゥルーパーズでしょう。スターシップ・トゥルーパーズは、ナチスドイツのプロパガンダ映画である医師の勝利のパロディーであり、訓練シーンもあるのですが、人間が狂っていく描写は皆無で、主人公が一度どん底に転落するが、最終的にヒーローになって、元恋人のチャーリー・シーンのワイルドシングスすら手に入れるので、典型的なハリウッドエンディングの映画です。

 もちろん、ポール・ヴァ―ホーベンも良心に溢れた名監督なので、戦争に参加したいと思う映画ではありません。



 
 これは一番最初のシーンで、訓練所で海兵隊志願兵を徹底的にシバキ上げている風景。ハートマン軍曹が大声で喝を入れ続け、訓令兵は大声でハートマン軍曹のシゴキに答える。もうサンデーモーニングのおじいちゃんが「喝ッ!!」って言うレベルではないです。

 なぜ、ここまで厳しい訓練が必要なのか。それは、海兵隊とは軍隊の中で最も死亡率が高く、並大抵の精神力では戦力として使い物にならないため、通過儀礼による洗脳のようなプロセスが必要になるからです。通過儀礼とは、ある一定の年齢に達した人間が、新たな環境に身を置き、厳しい訓練に耐えて、今までの甘い意識を捨て、新しい強い自分を手に入れることです。

 他国に侵略する場合、軍事攻撃は海兵隊から突撃します。映画でいえば、プライベート・ライアンのノルマンディー上陸作戦がイメージしやすいでしょう(映画の中では、キャラクターはどうやら海兵隊所属ではないようですが・・・)。

 敵対勢力の砦を攻略する為に突撃する海兵隊は、相手から必死の反撃を受けます。砦を防衛するために決死の覚悟で反撃し、長期戦に持っていくためゲリラ戦に持ち込みます。攻撃側の戦力が圧倒的に上回っていても、地の利があるためゲリラ戦には苦戦が避けられません。圧倒的戦力差がありながら、アメリカ海軍が苦戦した硫黄島の戦闘などは、その具体例と言えます。ベトナム戦争において、アメリカが敗北した理由も、ベトコンのゲリラ戦で根性比べになってしまい、アメリカが根負けしたと言える。

 死亡率が最も高く、ゲリラ戦等の長期戦に晒される可能性があり、海兵隊は狂うぐらいの精神的タフさが必要になるのです。

 餃子の王将におけるスパルタ研修も、同じ論理で行われていると考えるべきでしょう。ワカモノを厳しい訓練に晒し、甘い意識や弱い自分を殺すことによって、現場で使える人材に鍛えていくのです。しかし、離職率が高いのは、海兵隊において死亡率が高い理由と同じではないか筆者は考えている。

 このスパルタ研修の是非は、この記事では問わない。現実として、なぜスパルタ訓練が必要になるのか、フルメタルジャケットの訓練シーンに合わせて考察しました。

 しかし、この論理は戦争で他国を侵略する場合に必要な通過儀礼なので、これと同じ論理が飲食店や小売店等で成り立っていたとしたら、それが社会的に許容されるのか、話は別になってくるでしょう。

 通過儀礼による自分殺しは、精神的な負担が大きく、鬱病等の健康リスクが大きすぎる。企業が労働者を低賃金でコキ使って、体を壊して退職した場合、健康保険や生活保護で労働者を保護する必要が出てくるが、その原資は、国民の税金に他ならない。

 労働者に厳しい訓練を強いて、過酷な労働環境で働かせる事は、競争に勝つために国家システムの社会保障に甘えていると言う解釈も成り立つからだ。

 ブラック企業のスパルタ教育に関して、今回は通過儀礼的な概念から分析を行ったが、もちろん、これが現実の世界に当てはまると主張するつもりはない。しかし、ブラック企業、スパルタ教育といった曖昧な概念で批判するのは、おそらく問題解決に一切貢献しないと思われる。

 飲食業や小売業等の労働環境において、問題自体を因数分解し、因果関係を分析する冷静な議論が必要。しかし、冷静な議論が成り立ちにくい理由は、スパルタ研修自体が基本的に閉鎖的な場所で行われ実態を理解しずらく、実際に研修を受けた人たちにとって余りに辛い経験だった為おそらく自分の経験を冷静に語るのが難しいのかもしれない。

 
 

2013年4月20日土曜日

ビッグダディに届け、「父の祈りを」

遂に明日、ビッグダディ最終章、「最愛のオンナと別れ、家族と新たな道を見つけて幸せになるんだよ、俺たちプロですから」がテレビ朝日系列の電波で全国超拡大ロードショーされます。

 ビッグダディの応援掲示板は、ファンのビッグダディ終了に伴って阿鼻叫喚が増してきておりますね。

 そんなビッグダディのファンに贈る珠玉の感動家族ドラマがダニエル・デイ=ルイス主演、ジム・シェリダン監督の「父の祈りを」です。(あらすじはこちら)

 「父の祈りを」の原題は「In the name of The Father」で、直訳すると父の名の元にといったところで、神の名の元に正義を追及していくという意味が込められてますね。

 主人公は北アイルランド人のジェリー・コンロンという青年で、父親と上手くいかず遊んでばかりいる放蕩息子。家族との関係がうまくいかない中、主人公はロンドンで遊びほうけます。単なる遊びといっても、ハッキリ言って犯罪なのですが・・・。

 主人公がロンドンに滞在しているタイミングで、パブが爆発し、IRAの仕業と睨んだ警察に無実の罪で逮捕され、自分の無実を証明する為に人生を賭して公権力に戦いを挑んでいくという物語です。原作は1974年のIRAがギルフォード・パブ爆破事件を元に冤罪で逮捕されたジェリー・コンロンの回想記。

 この映画が描く悲劇とは、テロ事件が発生後、放蕩息子であったジェリー・コンロンが、公権力の思惑によって逮捕されるのですが、本人だけではなく家族まで逮捕されてしまい、ジェリー一家の未来が破壊されてしまうことです。

 実際の事件後、テロによる恐怖に対抗する為、英国議会は「テロ防止法」を制定します。警察に、テロが疑われる人間・勢力に対して、非合法な逮捕も容認するというものです。(筆者は事件を詳しく理解しておりませんので、詳しくはウィキでどうぞ)

 実際はIRA弾圧の為に、無差別に北アイルランド人を逮捕しているように描写されており、その被害にあった一人がジェリーコンロンであり、もし彼がテロ発生時にロンドンに滞在していなければ自分だけではなく、家族が逮捕されることはなかったかもしれません。

 テロが発生すると、国民全体が不安になり、見えない恐怖に対して過剰反応を利用して公権力が暴走してしまうことが歴史的に何度も繰り返されています。(最近では、ブッシュ政権の愛国者法で、テロリズムと戦う事を目的とした政府当局の権限が大幅に拡大された例が最も有名かと。)

 結局テロリズムと戦う為の公権力が、法律の制限を超えた権力を得ると、結論ありきの権力発動になる可能性が高く、疑わしきは罰する、関係のない人でも疑わしき人間として見なして、逮捕・弾圧するという悲劇になるのが歴史の常でした。

 ジェリー・コンロンだけではなく、家族等の人まで逮捕された背景としては、英国と北アイルランド(IRA)の対立が過熱し、英国自体が北アイルランド人を敵対視していたと言っても過言ではない。

 本作は、ジェリー・コンロンと父親ジュゼッペ・コンロンの無実を証明する為の戦いであり、最初は父親に対して反発ばかりしていた息子が、父親の毅然とした態度や意志を目にすることで生まれ変わっていく過程に焦点が当てられており、それだけでも感動的です。(実際は父親と息子は、同じ刑務所には収監されておらず、脚色と思われる)。それでも収監された初期は、やっぱり息子ダメダメなんですがw。

 主人公と父親が収監されてから、IRAは犯行声明を出して彼らは無実であると公表し、IRAのメンバーが逮捕され、自分の犯行であると認める。それでも父と息子は解放されず、父親は収監された実行犯の手を借りずに、自力で無実を証明しようと理不尽に立ち向かう。息子は少し更正したように見えて、半分諦めている雰囲気を醸し出す部分が非常に印象的。

 「セールスマンの死」というアーサー・ミラーの名作は、ずっと威張り散らしている父親が、実は大した事がないのではないかと気づいた息子が反発し、最終的に父としての威厳を失い自殺に追い込まれてしまうシナリオでしたが、父親と息子が対立するという構造を、本作も取り入れていますね。父親に対して反発する息子、お互いが心からぶつかっていく中で、息子が父親の偉大さを見出し、父親を超えようとする息子の成長物語。

 主人公が半分諦め燻っている中で、父子の運命を変える決定的な出来事が起きます。それは父親の死です。常に冷静で父親としての威厳を持ち、正義の為に戦い続けた父親。病に倒れ志半ばで死んでしまう。

 父親が病に倒れ、どんどん衰弱していく中で、息子は初めて父親の弱音を聞き、父の死に対する恐怖を感じたのです。いつも威厳を持ち堂々としていた父親が、初めて息子の前で死の恐怖を打ち明けたというシーンは、父子の絆が再生される瞬間でもあります。

 人間誰でも諍いがあります。特に親子は、全く違う環境で育っている事が多く、親の価値観に子が共感できず、反発するというのは誰もが経験していることです。セールスマンの死では、父子の魂のぶつかり合いによって最終的に父親が自殺するが、「父の祈りを」は、父親が病に弱っていく中で父子がお互いを分かり合っていく。

 不当逮捕という試練を乗り越える為に、父親の無念を晴らすために、息子は父親の偉大さを自ら体現しようとする、一種の通過儀礼的映画としての「父に祈りを」

 果たして、ビッグダディは「父の祈りを」で見せた父親の矜持を持ち合わせているのか。ビッグダディの子供達が、これからどう父親に向き合っていくのだろうか。「父の祈りを」を見た方なら、やはりビッグダディに対して否定的な意見を持ってしまうのではないかと思う。

 最後に自分達の無実が証明され、ダニエルがマスコミの前で語る台詞は涙なしでは見れない名シーンです。


 「私は無実だ。私は無実の罪で長い期間収監された。私は、英国の刑務所で無実の父が死んでいくのを見た。しかし、英国政府は未だに私の父が有罪であると主張している。私は、父の無実と、この裁判に関わった人が無実であることが証明されるまで、罪を犯した者に正義の裁きが下るまで、父の名と真実を元に私は戦い続ける。」



 
 これからビッグダディの総集編が放送されるみたいです。ビッグダディファンのみなさん、今すぐレンタルビデオ屋さんにいって、「父の祈りを」を見てください。テレビは消しましょう。悲劇に苛まれる家族の苦しみは、TV局の編集からは見る事はできない。

 予め脚色された感動なら、出来るだけ事実に近い、父子の葛藤と、その葛藤を乗り越える物語の方が共感できるのではないかと思います。

 とりあえずビッグダディは、シガニー・ウィーバーの濡れ場目的で「アイス・ストーム」を見て欲しいデス。

 最後に、この記事においてダニエル・デイ=ルイスの顔がドンっと写ってますが、わざとです。ホモセクシャル的な雰囲気を醸し出していますが、ビッグダディをイメージして載せました。なにか不快な思いをされた方は、予め謝罪致しますので、宜しくお願い致します。


 


パーフェクト・ブルーを見て精神的ブルーになる人は要注意

珠玉のエログロアイドルサスペンスで今敏監督のデビュー作である「パーフェクトブルー」。ナタリー・ポートマン主演、ダーレン・アーロフスキー監督の名作「ブラック・スワン」に多大な影響(町山さん解説)を与えた事で有名。

 人間が、ある事柄に夢中になり全てを捧げていくが、その代わりに自分自身が崩壊していくという映画を撮り続けるダーレン・アーロフスキー監督なら、パーフェクトブルーネタを引用するのは当然ですね。リメイク権も買ったそうで、合法です。(買い叩き気味?)

 筆者がパーフェクトブルーを連想したのは、偶然あるAV女優のブログを見たからです。内容見れば分かりますが、本人の精神状態がかなり不安定・・・。AV女優として名前が売れてしまったため、男性から偏見があるんじゃないか?、そのせいで結婚できないんじゃないかという言葉は、男から見ても辛いですね。

 オトコは、性的欲求が溜まるとAVに逃げてしまうので、ある意味AV女優を志望して一生懸命演技をしてくれる女性がいるわけで、単なる自己責任として切り捨てずらいと思うのが筆者の心境でもあり、そういう心境の中でパーフェクトブルーを観ました。

 サスペンスなので、ネタバレは出来ませんが大まかな流れは、ある地方出身の女性が女優という夢を叶えるため上京し、まずはアイドルとして活動。徐々に女優の仕事が入ってくるが、その仕事自体は、女性にとって嫌な裸シーンやレイプシーンといったもので、際どい仕事をこなすうちに、主人公の精神が崩壊していくというものです。

 まるでブログで書かれた内容と、パーフェクトブルーで描かれるシナリオや主人公の精神描写は非常に似ている。それぞれの人によって背景が違えど、女優としての濡れ場を不特定多数の人に公開する事が、出演者にとってはどれほど精神的な重荷になるのかを痛感させられる。

 もちろんパーフェクトブルーは、サスペンス映画なので、終盤にどんでん返しが待っています。悲劇を乗り越えて、自分自身の弱さを乗り越えて真の女優として成長していくのですが・・・。

 この映画は、アイドルや女優になりたいという夢を持った女性や、アイドルに熱狂するファンの方々にとって、非常に辛い映画。主人公が自分の夢を実現する為に、裸を共用されても断る事が出来ず、単なる裸から強姦シーンまでやらされるという描写を、まともに見れる人は限られるかもしれません。

 また、アイドルから女優に転身し、過激なシーンを演じる主人公に対してのファンの反応も一見の価値がある。現代のアイドルファンの心理描写や行動を描き出しており、実際のアイドルではAKB48を連想してしまいました(筆者の感想)

 この映画は、主人公が精神的に崩壊していくだけではなく、主人公の周りの関係性を見事に得描き出しています。アイドル時代からファンであった人達以外では、他に挙げるとすれば・・・

 ①主人公を母親のように世話する女性マネージャーの献身性と、その狂気。

 ②主人公の足元を見て、裸や強姦シーンの仕事を斡旋する芸能事務所。

 ③夢を実現する為に過激なシーンを断れず、自分自身に対して嫌悪感が強くなっていき
  自分自身に、新たな自分を作ってしまう解離性障害

 ④主人公を心から心配する肉親の心境と、その肉親に辛いと言えない主人公の葛藤

 パーフェクト・ブルーは、夢を追いかけて自分の全てを捧げようとする一人の女性が、周りの人間関係や環境によって追い詰められ、その辛さから逃れるために自分の心の中に、新たな自分を作り出す。しかし新たな自我が、主人公の精神を破壊していくという破滅的悲劇を描き切っている。

 これは、一種の通過儀礼的映画であり、過酷な競争社会で自分の夢を叶えるには、弱い自分を乗り越えて、新たな強い自分に生まれ変わる必要がある事を示唆すると共に、人を単なる手駒としか考えていない人間に対する社会に対する批判とも解釈できるでしょう。

 本作で描かれる内容の是非はともかく、実際の世界で起こっていることであります。夢を追いかけて精神が崩壊してしまったアイドルや女優、誰もが気づいているが誰も見つめようとしない現実。

 主人公に感情移入しつつ鑑賞しても、主人公の周りにいる人間を観察するといった鑑賞でも、学べる事は沢山ある。芸能界という特異な環境における人間模様を知るために、パーフェクトブルーを見る事をオススメしたい。

 おそらくパーフェクトブルーは、見る人によって解釈が分かれる映画でしょう。単なるサスペンス映画として見るのではなくて、人間ドラマとしてのパーフェクトブルー。見終わった後、怖かっただけじゃなくて、ブルーになる人は何か心当たりがあるかもしれない。

 
 

2013年4月19日金曜日

アルゴの裏側を理解する為に「ミッシング」

 スピルバーグのリンカーンを追い抜いて、今年のアカデミー作品賞に輝いたアルゴ。ベン・アフレックは監督3作目でアカデミー作品賞取るとは、グッド・ウィル・ハンティングで脚本や演技が絶賛されて以降、色々紆余曲折がありましたが、やはり天才なのですね。

 そんなアルゴ、メタルギアシリーズの小島秀夫さんの2012年で一番面白かった映画と評価するだけあります。ライジングより面白・・・ry

 イラン・イスラム革命勃発によって、アメリカ大使館職員がイラン国内に取り残されてしまい、CIAのエージェントでトニー・メンデス扮するベン・アフレックが、カナダ人として映画撮影を装い、大使館職員を救出したという実際の事件を元に撮影されたアルゴ。

 そんなアルゴをより深く理解するのにオススメな映画、コスタ・ガブラス監督の「ミッシング」をご紹介します。

 ミッシングは、1973年のチリ、ピノチェト率いる軍事勢力がクーデターによって、アジェンデ政権を転覆させた事件を元に作られた作品です。

 チリの軍事クーデターによって、アメリカ人青年のチャールズ・ホルマンという実在の人物が突然失踪し、その家族が失踪した息子の行方を追うが、そこにはCIAの思惑が見え隠れしていたという怖い怖いシナリオ。

 映画の中では、息子の行方を必死に追う父親が、息子が失踪した件についてCIAが関わっているのではないかと勘付きます。しかし、劇中ではCIAが実際にクーデターに関わっていると視聴者の思わせる演出がありますが、本当にCIAが関わっていたのかは明確に描かれません。クーデターと、CIAの関係性をあえて曖昧に描写しているからこそ、リアリティーの高い作品になっています。

 アメリカの対外戦略において、ウィルソン主義というものがあり、一言で言えばアメリカの民主主義を世界中に広め平和に貢献するというもの。(モンロー主義は、孤立主義でウィルソン主義と対極に位置するイデオロギー。)

 しかし、実際は「敵の敵は味方」戦略がアメリカの基本の外交姿勢であり、アメリカにとって最大の敵は共産主義で、共産主義の芽を潰す為なら手段を選びません。民主主義と相対する独裁国家ですら、アメリカにとっては共産主義を潰す手段である。

 中東において親米独裁国家という、非民主主義でありながらアメリカと経済的に深く繋がっていた国家が存在していた理由の一つは、独裁者がイスラム勢力を弾圧してくれるから。

 チリ・軍事クーデターは似たようなパターンで、左翼的に傾きつつあったアジェンデ政権を転覆させる為にCIAが軍事クーデターを画策し、ピノチェト率いる軍事勢力が、チリの政権を掌握したという背景があります。

 軍がクーデターを起こし、政権を掌握するという事件には、CIAの思惑が絡んでいる事が多く、親米独裁という、民主主義と相対する独裁国家がアメリカと繋がっている背景でもあります。実態は、もっと複雑で、宗教的対立や石油資本と現地政府の癒着などを挙げればキリがなく、全体の状況を理解している人は、ほんの一握りでしょう。(ジョージ・クルーニー、マット・デイモン出演のシリアナという映画は、中東諸国とアメリカの複雑な繋がりを描いた名作です。)

 ミッシングでは、軍事クーデターにCIAが関わっていた事を曖昧ながら描いている点がリアルで、アルゴの場合は、イランにおける親米のパーレビー王朝が、イスラム革命によって崩壊する時点からシナリオが始まるので、どうしてもアメリカ側から見たイラン・イスラム革命という作品にならざるをえない。
 
 イラン政府がアルゴの内容を批判するというのも、アメリカ政府の都合によってイラン国内が蹂躙されたという認識が存在するからです。実際の事件を映画化した場合、製作側の意図や政治的プロパガンダが含まれる事は避けれらない為、イラン側の批判も一理あると言えます。

 コスタ・ガブラス監督は、他にもZ、戒厳令、告白といった三部作で、実際に起きた政治的に有名な事件を実写化する監督なので、もしアルゴを見て政治や外交に興味を持たれた方は、ミッシングやZ等の作品をオススメします。

 イランから見たアルゴに対する反論的映画は、どのような内容なのかも目が離せません。
 

2013年4月18日木曜日

私たちは何故戦うのか「Why We Fight」

アメリカ上院議会で、銃規制法案が否決された。共和党議員だけではなく、民主党議員も反対票を投じたとのことで、民主党が過半数を握る上院で、銃規制法案が否決されたというのは、ショックが大きいことだろう。

 アメリカでは、銃による悲劇が幾度となく繰り返されている。オバマ大統領も2期目という事で、銃規制強化法案に乗り出したが前途多難という事であろうか・・・。

 今回紹介する映画は、ドワイト・アイゼンハワーの退任演説の風景をジャケット写真として使用したドキュメント映画「Why We Fight」である。


 本作の冒頭は、アイゼンハワーの退任演説から始まる。演説内容は、軍産複合体が、アメリカ社会を支配し、一部の巨大資本の都合によってアメリカ政治が牛耳られる可能性と、その危険性を訴えるというもので、アメリカ史にとっては画期的な演説内容であった。

 ジョン・マケイン上院議員、ベトナム戦争参加者、学者等の様々なバックグラウンドを持つ人々がインタビューを受け、イラク戦争や過去のアメリカが起こした戦争がなぜ起きたかを解明していくという内容であり、本作を見れば、アメリカがなぜ銃規制を進める事に困難が伴うのか理解に役立つだろう。

 「アメリカは、世界中に民主主義を広めるために犠牲を厭わない」というセリフが某大統領の口から発せられる。世界を平和にするために、邪悪な敵を滅ぼしにいくと。しかし、一見偉大な思想に見えるドクトリンにも、大きな陰謀が隠れており、それは軍産複合体の利益であると告発するのが、大まかな流れである。

 アメリカは、民主主義国家として進歩しているが、資本主義と民主主義が常に対立している。その中で、民主主義が勝利しているように見えて、政府の決断の大半は、強大な権力をもった巨大資本によってコントロールされており、実は資本主義が勝利していたのであると。

 著名な政治学者、チャルマーズ・ジョンソン氏が、アメリカの近代史について解説しており、説明が非常に分かりやすく、教科書にはあまり書かれない、巨大資本とアメリカ政府の結びつきについて理解を深めるには必見。

 ジョンソン氏は、「アメリカが辿った道は西洋で初めて生まれた民主主義レジームである、ローマ帝国の道を辿っているという。ローマ帝国は、周辺にある国家を侵略し吸収していった。そして、帝国を維持し、拡大していくには強大な軍事力が必要である事を発見した。」と解説し、アメリカ帝国を風刺した。

 ローマ帝国において発見された帝国の維持拡大の為の軍事力増強が必要であるという教訓が、アメリカ帝国の根幹にあり、その軍事力を支える企業体がアメリカ経済を支えているという皮肉。

 現在のアメリカは、金融立国で経済を牽引しようとした為、製造業は中国等に流れてしまい、輸出出来る製品は限られている。もし、アメリカ政府が軍産複合体を解体しようとすれば、その産業に従事するアメリカ人が職を失ってしまい、経済の疲弊を促進してしまう可能性すらある。

 また大半のアメリカ人は、銃規制に反対する理由はなくとも、最後には巨大資本の論理で政治が動くというのが現状。

 アメリカが銃規制を促進するという事は、軍産複合体に対して不利益をもたらす事は明らかである。一見銃規制は正しいと思われるが、それによって職を失うアメリカ人も出てくる可能性もあろう。

 オバマ大統領の銃規制強化法案は、アメリカ社会の根幹を変える勇気があるのか?、理想を追及するために、どのような犠牲を払う事も厭わない覚悟があるか、アメリカ人全体に対する問い掛けではないだろうか。

 銃規制を促進する事によって、様々な面で国民にとって良い効果も生まれれば、思いもしなかった不測の事態すら起きうる。

 本作は、国家とは一体何か?、企業とは何か?、自分たちが正義として認識していたモノが本当に正義なのか?を考える良い機会になるだろう。

 「The price of liberty is eternal vigilance,And we have not been vigilant」
 自由の代償は、永遠なる用心である。しかし、私たちは用心深くはなかった。

 チャルマーズ・ジョンソン氏が、ドキュメントの最後に発する言葉。
私たちは、まだ無垢過ぎるのではないか。


 
 

セス・マクファーレンのおっぱい論「We saw your boobs」

 「We saw your boobs」(あなたのおっぱい見たよ)。

 今年公開された酒とマリファナのセクハラが趣味のテディベアがハチャメチャな騒動を巻き起こす大爆笑コメディのTEDの監督、セス・マクファーレンがアカデミー賞授賞式の司会者を務めた事は皆さんご存知でしょう。

 セス・マクファーレンが司会で言い放った珠玉の名言、OPPAIwww。


 
 被害者は、メリル・ストリープ、直美・ワッツ、アンジェリーナ・ジョリー、杏・ハサウェイ、春・ベリー、ニコール・キッドマン、マリッサ・トメイ、クリステン・スチュワート、シャーリーズ・世論、ヘレン・ハント、スカーレット・ジョハンソン、ジェスカ・チャステイン、ジョディ―・フォスター、ヒラリー・スワンク、ペネロペ・来栖、

 そしてケイト・ウィンスレット(おっぱい注意報発令・・・・www)

 これは、多分女優のみなさん、おっぱい出せばアカデミー賞取れるとか勘違いしてない?。だから、あんたら演技で不必要なくらい脱ぐんじゃないのって遠回しの皮肉かw。

 ということで、以下セス・マクファーレンの思考を読み解きます。

 ①ケイト・ウィンスレットの「愛を読む人」ってハダカの時間長すぎる。アカデミー主演女優賞取る為に濡れ場ばかり演技するのは止めましょう。

 ②最近は裸にならなくても、自慰行為とレズで主演女優賞取った方いらっしゃいましたね。男はいくら脱いでも意味ないですが、女性は全然違うよね。

 ③いつジェニファー・ローレンスの裸を見れるのか楽しみだね。

 ④いつか揉ませて・・・

結論「アカデミー賞の賞が決まる前にノミネートされた人が紹介される時、演技シーンも流れるんですが、どうして誉れ高き瞬間に凄く気まずい雰囲気を醸し出すのでしょうか?。自慢のおっぱい張って、堂々としようぜ。」

 TED2が楽しみでございます。下ネタで申し訳ございません。

 
 

橋下大阪市長に贈る硬派なドキュメント「クライアント9 エリオット・スピッツァーの興亡」

現大阪市長であり、日本維新の会共同代表である橋下徹氏。歯に着せぬ発言で話題に事欠かない生粋の喧嘩屋であり、政治家としては異色なタイプである。

 最近は、ツイッターで持論を連投して、読者からは火病とか発狂してると言われ、あまり評価は良くないようだ。朝日系列の週刊誌と常に火花を散らしており、常に敵を見定めて口撃的に戦うのが橋下流なのか。

 橋下大阪市長の流儀についての是非は置いておいて、既存勢力に挑戦を挑もうとする人なら見て損しないであろうドキュメント映画「クライアント9 エリオット・スピッツァーの興亡」を紹介します。

 監督はアレックス・ギブニーで、ブッシュ政権下におけるロビイングの実態を暴いた(ジャック・エイブラモフの暴走)を告発した「カジノ・ジャック」や、リーマンショックは、金融業界・経済学会・政府の癒着こそが真因である事を糾弾する「インサイド・ジョブ」を製作したことで有名。


 本作は題名通り、エリオット・スピッツァーに焦点を当てたドキュメント。エリオットは、第54代ニューヨーク州知事で、かつてニューヨーク州司法長官を務めたエリートであり、司法長官時代はメリル・リンチやAIGといった金融機関の不正を追及して、正義の人とまで呼ばれた人物である。

 そのエリートでありながら、正義の象徴でもあったエリオットが、売春疑惑によってニューヨーク州知事を辞職せざるをえなくなり、転落していった事件についての疑惑を追及していく内容である。詳しい解説は、町山さんのキラキラの解説を参照ください。

 正義を追及し、不正と戦う現代のキリストのような存在が、エリオット・スピッツァーであるが、結局現代のキリストも性欲には勝てなかったのである。おそらく、普段から相当のプレッシャーに苛まれているはずで、重圧から逃れるには売春に逃げるしかなかったのであろうか。

 キリスト教の教義に七つの大罪という概念がある。人間を地獄に突き落とすと見なされた七つの欲望や感情を指す。その中で、エリオットを地獄に突き落としたのは色欲であった。色欲をコントロールできず、売春に逃げてしまい、その事実をニューヨークタイムズ紙が報道してしまい、当時ニューヨーク州知事であったエリオットは失脚してしまった。

 問題は、誰がニューヨークタイムズに情報をリークしたのか、どのような思惑が存在していたかである。出る杭は打たれるという言葉があるように、自分たちの利権に切り込もうとする人間がいれば、その人間を転落させようとする見えない力が必ず働くのである。

 特に金儲けを邪魔しようとする人間には、手段を選ばず排斥しようとするのが常であり、エリオットも、その例外ではなかったのだ。ロバート・ケネディーは暗殺されたが、現代では暗殺より、スキャンダル発覚による失脚の方が都合が良いのだろう。

 本作から学ぶべき教訓は、既存の利権や規制勢力に立ち向かう人間は、公明正大で不正は一切してはならない。特にオンナに手を出すのは、自分から揚げ足を取られる為のネタを作っているようなものだ。

 キリスト教における七つの大罪は、現代社会にも当てはまり、感情や欲望を制御しつつ、理性を絶対失わないよう狡猾に動かなければ、政治家として自らの理想を実現する事は不可能なのである。

 エリオットは、スキャンダル後CNNのキャスターになり、政治活動に復帰できたが、これは過去の功績が認められたからに他ならない。

 私は橋下市長を心から心配している。迂闊な言動で失脚するといった事態だけは避けられるよう気を付けて欲しいと思う。もちろん全ての政治家にも当てはまるが・・・


 キリストになれ、橋下市長。自治体を破綻させても、労働組合を敵に回してポピュリズムに走っても許される。しかし、不倫だけは許されないのだ。

2013年4月17日水曜日

スピルバーグ最新作「リンカーン」を観る前にオススメの映画「アミスタッド」

去年全米公開され、今年のアカデミー賞で最多12部門ノミネートされ、主演のダニエル・デイ=ルイスが史上3度目の主演男優賞を獲得したスピルバーグ最新作リンカーン。

 スピルバーグは、未知との遭遇やE.TといったSF映画から、ミュンヘンやリンカーンといった政治的・人道的に深いテーマを焦点を当てたり、プライベート・ライアンや戦火の馬といった戦争映画まで、恋愛映画以外なら、いかなる作品でも作れる世界最高峰の巨匠である。(恋愛下手?)

 新作リンカーンが今月19日から全国公開(遅すぎる・・・)ということで、スピルバーグ作品で黒人奴隷に焦点を当てた「アミスタッド」を紹介します。(アミスタッドの解説はこちら→ネタバレ注意)

 アミスタッドとは、アフリカの奴隷を拉致して、アメリカ大陸に連れて行く時に使われた船の名前を指し、この作品は実際に合った事件を映画化。

 本作のシナリオは、アフリカ人が奴隷として捉えられ、アミスタッド号で白人から拷問されていたが、航海の途中でアフリカ人が反撃した。漂流後のアメリカ本土で捉えられ、自由を勝ち取るために裁判で争うというもの。

 映画「リンカーン」は、アフリカから連れて来られた黒人奴隷を解放する為に修正憲法13条を議会で可決させる為に、民主党議員を懐柔するプロセスに焦点が当てられている。「アミスタッド」は、第6代合衆国大統領のジョン・クインシー・アダムズ(アンソニー・ホプキンス)も登場しており、重要な役割を果たしているため、実質的に「アミスタッド」の続編が「リンカーン」とも解釈できるだろう。

 アミスタッドは1997年公開で、タイタニックと同じ年に公開されているので、目立たなかったとも言われるが、歴史的事件を詳細に再現したということで評価が高い作品。尚且つ、「リンカーン」とも類似性があるので、一度見る事をおススメ。


 「リンカーン」は、スピルバーグ作品で最も政治的な映画である。政治と宗教、歴史的背景を知らないとダニエル・デイ=ルイスの演技は堪能出来ても、作品の真意は分からない人もいると思われるので、「リンカーン」を観る前に頭に入れるべきポイントを3つ解説します。


①現在のアメリカ政治情勢を反映している。
 
 現在の民主党オバマ政権において、上院は民主党、下院は共和党という事で、日本で言うねじれ現象が発生しており、財政の崖問題や銃規制問題等で利害が対立し、法案審議が進まない状況が、そのまま「リンカーン」で反映されている。

②南北戦争当時、奴隷制を解放しようとしたのは共和党。奴隷制を支持したのは民主党。

 現在のアメリカ政治では、民主党がリベラルで中絶や同性愛を擁護していくという立場。共和党は、キリスト教福音派が支持母体であったので中絶や同性愛は反対で保守的。現在の政治では、南北戦争当時と党のイデオロギーが逆転している。ある意味、現在の共和党に対する皮肉とも取れる。


③奴隷制を支持する南部はキリスト教右派の支持が強く、キリスト教を根拠にして黒人奴隷制を支持していた。

 これは、様々ない解釈があるとは思いますが、キリスト教を信じる人程、黒人に対する差別意識が強かったという意味。実際のシーンで、「神は、黒人を白人より下等な生き物として生み出したため、白人と黒人は同等ではない」というセリフがあります。


 とりあえず、「リンカーン」を見に行く際は、この3つのポイントを頭に入れないと、全く理解できないと思います。必要最低限の知識ですので、映画見に行く前に調べたり、パンフレット購入して後から確認すると良いかなと。

 映画のリンカーンは、黒人奴隷解放の為の善人のような描き方になっており、これは映画の政治的メッセージを強調する為の脚色と思われます。映画の中に出てくるリンカーンのいくつかの台詞は、製作者側の意図をそのまま反映したものでしょう。(実際リンカーンは、奴隷制廃止論者とも、白人至上主義のイデオロギーも持っていたと言われます。)

 具体的に伝えたい政治的メッセージとは、「目的が正しければ、どのような行為であっても、歴史が、その行為を正当化する」といったところです。実際に見れば、意味が分かると思いますし、アメリカ史に詳しい方なら、すぐピンと来ると思います。

 上記の政治・宗教的解釈は、筆者独自のモノですので、解釈が間違っている等はあるかもしれませんので、ご参考までに・・・。(個人的な解釈は、こちらの記事で)


 個人的に一番の見せ場は、今話題の東進スクール国語教師、林修センセーのギャグ
「いつやるか、今でしょ」を彷彿とさせるシーンがあります。ダニエル・デイ=ルイスが、それをやっているところ、筆者は笑いました。今なので「Now」というセリフがヒントです。

もうYouTubeに、そのシーンが上がってますので、最後にどうぞ。


林修センセー版「今でしょ」


ダニエル・デイ=ルイス版「Now Now Now」



 林修センセーの「今でしょ」ネタは、スピルバーグがダニエル・デイ=ルイスに真似させて、パロディとして使ってるんですね、分かります。

 スピルバーグは恋愛下手なのか、あまり恋愛映画取ってません。リンカーンもデートムービーとして見に行くと、彼女がパリス・ヒルトンみたいな人であれば、映画見終わって感想聞いても、「ワタシ、バカだから分からないわよ」って言われる可能性大ですので、ご注意ください。
  

マーガレット・サッチャー逝去、時は変わった「ゲーム・チェンジ」

 マーガレット・サッチャーが今月亡くなった。イギリスでは、日本時間17日の夜に葬儀が行われる。アメリカからは、チェイニー元米副大統領が参加するとは、オバマ政権からもサッチャーは良く思われていないのでしょう。ボストンの爆弾テロ等の国内や、北朝鮮情勢が緊迫化しつつあり、ブッシュ政権の閣僚しかサッチャーの葬儀に参加出来ないといった面もあるでしょうが。

 サッチャー逝去のニュースと共に、「The iron lady」(邦訳:マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」が取り上げられ、サッチャー追悼のアイコン的映画になっている。

 その中で、今回は「ゲーム・チェンジ 大統領選を駆け抜けた女」をご紹介します。WSJ等の記事でも、「鉄の女の涙」が取り上げられ、日本の政治家や有識者でも多数言及されているからこそ、この映画を取り上げる。


 本作の主人公は、サラ・ペイリン(ジュリアン・ムーア)。2008年の米大統領選において、共和党の大統領候補であるジョン・マケインが副大統領候補として指名した女性政治家である。サラ・ペイリンは当時アラスカ州知事で、民主党のオバマ候補との競争で、不利な大統領選を強いられるマケイン候補の秘密兵器として突然副大統領候補に指名された事は有名な出来事だ。

 ペイリンが出現した背景には、レーガン政権から続いた共和党の支持母体のキリスト教連合(同性愛や中絶に反対するカトリック・プロテスタント福音派、モルモン教等の勢力)が、ブッシュ政権のイラク戦争や、有名伝道師の性的スキャンダルによって崩壊したため、ペイリンを副大統領候補にすることによって、共和党陣営が大統領選の巻き返しを期待したという面がある。

 しかし、選挙戦が進むにつれて、あまりに過激な右翼的発言や基本的常識の欠如が明らかになり、余計共和党陣営の首を絞める結果にはなったのだが・・・。

 本作では、オバマ陣営に苦戦するマケイン陣営スタッフの苦悩が詳細に描かれている。マケイン陣営は、最初からオバマ陣営に勝てない事を分かっており、最終手段としてサラ・ペイリンを選ばざるをえなかったという点が良く分かる映画である。

 ペイリン自体がどれほど危なっかしい政治家だったのか。本作で描かれるペイリン描写は以下の通り

 ①9.11同時多発テロの真犯人はイラクであったと認識。アメリカの対外戦略を知らない。
 ②FRBを知らず経済政策について一切知識がない。
 ③歴史を知らない。(興味なかった?)
 ④討論会やインタビューで、基本的知識・認識不足を露呈する。

 他にも、アラスカのとなりにロシアが存在するといったボケ(ジョーク?)まで披露し、有権者の失笑を買ってしまう。最終的には選挙対策チーム自体が崩壊してしまうという笑えない状況・・・。

 結局、どんな手を使っても共和党陣営は選挙に勝てなかったのだが、もしマケイン・ペイリン陣営がオバマ陣営に勝ったとしたらどうなるか?。

 ペイリンは、おそらくマーガレット・サッチャーになろうとしただろう。マーガレット・サッチャーは、歴史的評価が分かれる政治家で、労働者側の立場から言えば憎きサッチャー以外何者でもないが、資本家側から見れば有能で英国病を克服した歴史的に偉大な女性リーダーとの評価

 サッチャーが生まれた背景は、英国病によって経済が疲弊していた状況で、共産主義に対するイデオロギー闘争の闘志としてのアイコンを、民主主義勢力が欲していた面がある。サッチャーの先見性自体は偉大であり、評価されるべきものだ。詳しくは国際ジャーナリストの小西克哉氏のサッチャー論を参照。サッチャリズムとは、明確な敵対勢力が存在してこそ、効果を発揮する。当時のイギリスで言えば、肥大化する労働組合や冷戦下における共産主義といったものだ。

 現代は、資本主義側から見て明確な敵対勢力が存在しないので、サッチャリズムが現代において効果的か疑問である。むしろ、金融業界の暴走による経済崩壊、軍事産業と石油産業の利権に為に戦争が勃発し、無実の市民が犠牲になる、巨大資本の発展途上国搾取といった負の側面が大きくなってきた。

 新自由主義的イデオロギーは、共産主義の対等によって極端な方向に向かっていた世界経済の秩序を調整したという功績は誰もが認めるだろう。しかし、明確な対立軸が存在しない現代では、新自由主義が世界経済の秩序を歪めつつあるのだ。

 サラ・ペイリンは、どちらかと言えばイデオロギーありきの政治家であり、キリスト教的理想を政治に追及しようとしていたと思われる。サッチャーのアイコンを自分に重ねて、現実的に実現可能な政策か考慮せず、我が道を突き進んでいただろうというのが本作を見れば分かる。

 イデオロギーとは理想そのものであるが、理想ありきでは政治はなりたたない。宗教は理想への追求であるが、政治とは現実との妥協によって進んでいく。共産主義が崩壊した理由と言っても過言ではない。

 サッチャーは一般庶民から上流階級へ上がった知性の高い女性であり、その先見性が冷戦終結に貢献したが、もしサラ・ペイリンが2008年の大統領選で勝利し、米副大統領になっていたらどうなっていたのであろうか。今考えてみれば恐ろしいものである。

 The question we ask today is not whether our government is too big or too small, but whether   it works (私たちが問うべきは、大きな政府か、小さな政府のどちらを選ぶべきかではない。政府が政府としての役割を果たすかどうかである)by Barack Obama's Inaugural Address

 新自由主義ありきの政治は、もう現代社会では成り立たない。理想ありきではなく、徹底的な現実主義者こそ、今の世界に必要なリーダーであることを痛感させられる映画である。

 ※筆者は、完全にオバマ政権を支持するわけではない。ただし、中絶や同性愛を政治的論争に使う政治家は全面的に支持しないという立場である。また資本主義を容認しつつ、新自由主義的アプローチには反対を唱えるという中途半端な政治スタンスです。
 



2013年4月16日火曜日

田村耕太郎さんの著作読んでグローバル企業で活躍したかったら・・・「ザ・コーポ―レーション」

田村耕太郎さんのドラゴンクエスト解説本、今年になってから、出版ペースがグローバルエリートレベルになっております。

 ツイッターにも田村耕太郎さんの著作についての驚嘆の声で埋まり、本人も宣伝のつもりかRT沢山しているようですね。

 田村耕太郎さんの著作は、日本を飛び出て世界にチャレンジしようという内容なので、見知らぬ土地でチャレンジするには、相手を理解する必要がある。特にグローバル人材になるには、グローバル企業や、そのような企業で活躍する人間が、どのような思考を持っているのか?


 今回は企業という存在に焦点を当てたカナダ製作のドキュメント映画、「ザ・コーポレーション」を取り上げます。本としても出版されており、映画か本、どちらかを読めばグローバル人材に必要な思考方法を知ることが出来るでしょう。

 この映画は、マイケル・ムーアやミルトン・フリードマンといった思想人や超有名企業でCEOを務めていた方まで、多様な人材に対してインタビューが収録されています。この映画自体は、反企業的側面が強く、企業が国民生活に貢献してきた部分はあまり取り上げれられておらず、巨大資本の不正や、反社会的行為、発展途上国に対する経済的搾取といった事件を取り上げ、企業とは何かを論ずるものです。

 本作におけるキーワードは、徹底的な収益追求の後に企業は一体どうなってしまうのか?という点です。結論は、反社会的性格を帯びたサイコパスになってしまう。映画のあらすじ(ネタバレ注意)

 この映画ではサイコパスという言葉が多用され、企業は収益最大化の為ならば手段を択ばないという主張を証明するため、いくつもの実際に起きた事件が取り上げられます。

 実際に取り上げられた事件の一つにボリビアの水道事業民営化問題がありますが、これは007慰めの報酬の元ネタになった。(慰めの報酬の解説)。実際はベクテルという米企業が、世界銀行と繋がっており、世界銀行が財政難で苦しむボリビアを優遇する代わりに、水道事業をベクテルに斡旋したという。世界銀行とは、発展途上国の健全な経済発展を促す為に存在すると一般的には思われているが、国際機関の欺瞞を告発する内容になっている。

 映画自体は、企業の反社会性をアピールする為に同じ内容を何回も繰り返されており、撮影時間もかなり長いので飽きる人もいるだろうが、企業体の負の部分を認識するには良い教材になる。

 
 このドキュメント映画で、注目してほしいのは、企業が消費者に行う広告活動である。学生から見れば、広告に対して憧れを持つ方も多いだろう。文系学生で、マーケティングに憧れ、実際に勉強している方も多い。ただ、憧れだけではなく、実際の負の部分を認識する必要がある。

 企業にとって広告とは、収益最大化の為に消費者をCM等で洗脳し、自社製品を買わせるよう扇動しているとの描写があり、広告とは何か、今までとは違う解釈を見ることが出来るだろう。

 
 本作で告発された反企業的性格は、グローバル企業の経済活動に象徴される特徴である。大人数で権力を持ってしまえば、消費者の都合を一切無視して、企業利益を最優先する傾向が生まれてしまう点を、倫理的に否定するだけではなく、一人一人が理解すべき事であるとの主張は一見に値する。

 とくにグローバルに活躍したいと思われる方には、企業体の反社会性を認識すること。自分が生き残るためには、人間的良心を捨てたサイコパスになる覚悟はあるかを心の中で問うたほうが良いだろう。

 3月初旬にマイケル・サンデルの白熱教室で、日本の企業経営者との冷めた公開討論会が放映された。日本の企業経営者は、企業収益の向上・企業価値の最大化は大事だが、最も重要な事は社会との共生であると口を揃えて主張し、サンデルを唖然とさせた。

 正直、サンデルはもっと過激な言葉を期待していたと思われるが、それは巨大資本が収益最大化を追及する事は正しいのかといった面を、もっと議論したかったのだろうか。

 無論、ブッシュ政権における生命倫理委員会のメンバーでもあったサンデル師の思想は日本人に理解されずらい可能性もあるが・・・。

 本作は、ニコニコ動画に字幕ありUPされていたので、時間がある方は必見。
 

2013年4月15日月曜日

今こそ、ビッグダディ(とそのファン)が見るべき映画「アイス・ストーム」


 ビッグダディシリーズの最新作が、4月21日テレビ朝日系列で全国公開ということで、ビッグダディファンの皆様クビを長くして待ち望んでいた事でしょう。

 本当は3月に最新作が公開される予定だったのに、離婚騒動や何かで公開が1か月遅れてしまったようで・・・。しかも、「ビッグダディの流儀」という駄本?まで出版するようで、お仕事絶好調みたいですね。

 そんなビッグダディとその愉快なファンに贈る衝撃的ドラマ映画がアイス・ストームです。原作はリック・ムーディで、ブロークバック・マウンテンとライフ・オブ・パイで2度アカデミー監督賞を受賞したアン・リーの作品。

 アン・リー監督は、ライフ・オブ・パイで映像化不可能と言われたパイの物語を映画化して、興行的にも大成功を収めました。元々は、性のタブーを破りちょっとエッチだけど、深いテーマを追求する硬派な監督です。



 そんなアン・リー監督が映画化したアイス・ストーム。エイリアンシリーズで有名、最近はホラー映画やSFパロディー映画のチョイ役で出演してばかりのシガニー・ウィーバーも出てます。

 舞台は1970年代、アメリカのコネチカット州。ある中流家庭の不安な日々に焦点を当てた映画。アイスストームとは、雨氷のことでアメリカ北東部では被害が大きいとのこと。

 テーマは夫婦交換・・・。1970年代のアメリカの一部地域では、夫婦交換が流行していたことを告発したのが原作で、シガニー・ウィーバーの濡れ場ももちろんありますw。この映画のあらすじ(ネタバレ注意)

 この映画では、経済的には豊かでも、夫婦の不仲が子供の精神状況にどれほど悪影響を与えるかを克明に描き出しています。両親が不仲で、子供にいい影響を与える事はありません。また、自分の両親が、夜な夜な不倫や夫婦交換をしていたとしたら、子供はどう思うか。両親は絶対に子供にばれないよう気を付けても、子供は必ず気づき反社会的な性格になってしまうでしょう。

 両親の不仲は、子供にとって良い影響を与える事はない。悲劇を乗り越えれば、強いオトナになれるかもしれないが、やはり精神的代償が大きいのです。

 映画の終盤に、大きな悲劇が訪れます。まるで、子供の事を考えず自分たちの欲望を優先したオトナたちに天罰が下ったかのように。

 最近のTVやドキュメント番組では、子持ち夫婦の離婚劇や、大家族の生活劇に焦点を当てた番組が多い。特に過激な夫婦喧嘩や、その夫婦喧嘩を健気に我慢する子供は、見ていて同情を誘い視聴率も取りやすいと思われるが、子供の精神が崩壊していく事に一切焦点を当てない。

 アイス・ストームは、ビッグダディの解毒剤として一見する価値がある映画。ビッグ・ダディに不信感を持たれた方に是非見て頂きたい映画です。

 林下キヨシさん、シガニー・ウィーバーの濡れ場目的でいいので、一度ご覧になってください。




 ちなみに本作の舞台になったコネチカット州は、閑静な住宅街でお金持ちが住んでいる事で有名。W・ブッシュ前アメリカ大統領もコネチカット生まれ。アメリカ社会の欺瞞や崩壊に焦点を当てたドラマ映画の舞台は、コネチカット州であることも多い。(レボリューショナリー・ロード、エデンより彼方に、等)。

ユニクロブラック論とウォルマート



 「甘やかして、世界で勝てるのか」、ファストリテイリングの柳井正会長が語ったお言葉。

 別に労働者は世界で勝つために、ユニクロで働いているわけじゃないよ、という突っ込みは抜きで、ユニクロブラック論を考える為に、「ウォルマート~世界最大のスーパー、その闇~」を紹介します。

 2005年に製作されたウォルマートを告発するドキュメントで、このドキュメント映画を見れば、ユニクロブラック論より深く理解出来ると思います。


本作で指摘されたウォルマートの労働環境に対する問題点は以下の通り。(筆者の解釈。)


①価格破壊によって、地元の個人商店が淘汰される。メイドインチャイナで、大半の製品が安すぎるので、他の競争相手が対抗できない。(アメリカにおける日用品価格を押し下げた)。ウォルマートの激安戦略によって、生き残った競合相手も低価格戦略を強いられる。

②正社員の平均年収が200万円以下で、相当な低賃金(4人家族では貧困家庭)。他の競合相手が既にウォルマートに潰されているので、低賃金労働者は他に働く場所がないので、そのまま搾取構造が生まれてしまう。

③従業員の大半は正社員であるが、アメリカは国民皆保険が存在せず、民間の保険に加入しなければならない。しかし、低賃金労働者には民間の保険に加入できず、州政府等が税金でウォルマートの従業員を補助しなければならない。ウォルマートが従業員に払うべき給料や法定福利を、州政府の税金で払っているようなもの。

④販売している大半の製品は、中国やインドなので、ウォルマートは儲かっても、アメリカ人に還元されない。還元されるのは経営陣や株主のみ。

 
 上記問題点はアメリカで起きている問題であるが、そのまま一部ユニクロブラック論に当てはまる。現場の労働者は、低賃金で働かされ、社会保障から疎外される可能性である。激務の割に低賃金では、従業員の健康状態が脅かされる。将来的に政府の社会保障として負の遺産になる可能性は否定できない。企業が労働者をコキ使い、使えなくなったら政府が税金で保護するという最悪の状況・・・。他にも労働環境についての描写は、ユニクロブラック論を理解する上で大いに参考になります。

 またユニクロブラック論について、本当の問題は採用の失敗であるとの主張もあります。採用問題の失敗として語る事自体は間違ってないが、日本全体で考えれば、もっと深刻な問題が潜んでいる。またグローバル化によって発展途上国の経済が発展するように見えて、実際は巨大資本によって発展途上国の労働者が搾取されている実態も告発されています。

 映画評論家の町山智浩氏が、本作について解説した動画があるので、ご参照ください。もしかしたらYouTubeで検索すれば、このドキュメント映画自体見れるかもしれませんので、探してみるといいと思います。

 今回の記事はウォルマートやファストリテイリングを批判するものではありません。小売業は競争の激しい業界であり、本作が現状がどれほど深刻かを理解するのに役立つと思います。

国際競争に勝ち残る事と、労働者の待遇を守る事は両立しないという事を痛感させられるドキュメント。