2013年6月16日日曜日

リストラ代理人としての「マイレージ・マイライフ」

ジョージ・クルーニー主演のリストラ代理人の生き様を面白おかしく描いた「マイレージ・マイライフ」。リストラという言葉は、学生を卒業したら、結婚の次に怖い言葉になります。

 アメリカにはリストラ代理人が実在するそうで、従業員を解雇する際に、会社が代理人を利用して解雇の意向を伝えるのです。

 そのリストラ代理人のプロとしてアメリカ中を回るベテランエージェントをジョージ・クルーニーが演じます。顔付きや雰囲気は仕事の出来るチョイ悪オヤジです。


 一つだけ苦手な事があって、ジョージ・クルーニーと同じで、家に帰った後に自分を待っている家族を作れなかったのです。仕事と、オンナ遊びに没頭するオトコこそが、リストラ代理人としての主人公であり、ある意味アメリカ人の象徴なのでしょうか。

 この映画は、おそらく見たくもないと思う方もいると思います。リストラなんて誰もしたくないですし、誰もがリストラを避けたいと思うのが自然です。なぜ主人公がリストラ代理人稼業を続けるのか、人間的におかしい人なのではないかと思って当然でしょう。

 しかし、主人公も、もしリストラを受けたら他にやることがないのです。自分は仕事で、他人をリストラするくせに、自分はリストラ稼業にしがみ付くという皮肉。これも監督のジェーソン・ライトマンの演出が面白いですね。

 だから、神様は主人公に試練を与えました。自分がリストラされそうになるのです。インターネット上で、遠隔地からスカイプのようなTV電話で解雇対象の従業員に、リストラ宣告をしようとするのです。そのアイディアを提案したのは新人の女性。経済不況によってリストラに掛ける余裕すら企業になくなってきたので、リストラ宣告会社(死刑執行代理人のギルド)が、そのアイディアを採用することになり、主人公にリストラ危機が訪れます。しかも、主人公が新人女性の研修係になりハメになり、ドタバタな騒動が起こり、最終的に悲劇も訪れます。

 ここで見えるのは、リストラですら機械的に処理しようとする会社の冷酷さ、なぜかリストラ宣告スカイプ作戦を思いついて提案するのが新人の女性(女性の社会進出としての比喩?)、自分の利害と相反する企業方針に従わざるをえない中年オトコ、世代間で考えや背景にギャップがある新人を教育する苦悩、自分がクビになるので、担当していた仕事のノウハウを他人に引き継いで、それでお役御免になるという虚しさ。
 
 中年リストラ代理人のリストラ危機、自分のアイデンティティそのものであるマイレージライフを失う不安、本当は、自分の仕事が奪われるのだから嫌々なのに、自分の職務をこなしていく姿は、まるで神様が、今までの自分の行いを振り返りなさいという事で主人公に与えた試練です。

 主人公に家族がいないのは、他人の職業を奪い、もしかしたら他人の人生をめちゃくちゃにしていたかもしれない人間に対して、幸せな家庭生活は値しないということでしょう。実際、アメリカ中を飛び回っており、家族と戯れる時間すらないのですから。

 これは、ダーレン・アーロフスキー監督、ミッキー・ローク主演の「レスラー」にも通じるテーマで、人は一つの事に全てを捧け続けると、やり直しがきかなくなってしまうのです。情熱を捧げると同時に、それ以外の事から頭から離れなくなり、家族を失う、もしくは家族を得る機会を失うというのは、その道を極めてきたプロフェッショナルに対する敬意でもあり、悲劇的な結末を迎えることによって、一つの道を究めるプロフェッショナル的生き方が、どういうモノなのかを知る良い機会になります。

 個人的には、ダーレン・アーロフスキー監督の映画に出てくる主人公の生き方は感動するけど、自分にとって大事な人には、そのような生き方をしてほしくないとも思ってしまいますが・・・。

 結局、こういう映画って、物語終盤に、自分には何もなかったという事を実感するというシーンがあるので、今まで続けてきた事を止められなかった人間に対する、神様からの人生リストラ宣告(?)でもあります。リストラ代理人は、他人の人生に良くも悪くも影響を与えている。長年の経験があるおかげで、人を傷つけないように配慮しながらリストラ宣告を行える為、主人公の人生は崩壊せずに職務を遂行させるが、絶対愛する人と結ばれる機会は一切与えないという神様の意志でしょう。他人をクビにする時に、あれだけ配慮出来るなら、やっぱりモテるのは避けられないよねというのは神様の諦めでしょう。

 ただ、新人女性は、遠隔地スカイプTVリストラ宣告作戦で、実際に自殺者が出てしまい、自分のやった事が正しいのか葛藤に苦しみます。実際なら、新人女性は精神崩壊してもおかしくはありません。新たな道を歩むのですが、これは一体なんの比喩なのか。過去に犯した過ちを簡単に乗り越えてしまう、もしくは忘れてしまう(?)アメリカ人そのものという解釈も出来るかなと思います。

 個人的な解釈なのですが、「人は結局自分の事しか考えてないよ、どんなに綺麗な建前があっても、結局お前ら他人をクビにしないと生きていけないんだろう。自分たちに対してクビを宣告するリストラ代理人も寂しい奴なんだよ」という風刺かと。だから、自分の上司に対してムカついたら、こういう映画を観てスッキリしましょう。他人を自殺に追い込んだ新人女性も新たな道を見つけたわけですから・・・w

 ただ、職務について、あくまでドライなアメリカ人の象徴でしょうか。リストラ話について、個人的に面白かった記事をリンクします。この記事読むと、クビになる側も結構ドライなんじゃないのって思いましたw。ホントかどうかは分かりません。ネタに見えるのですが・・・。


 

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