2013年4月20日土曜日

ビッグダディに届け、「父の祈りを」

遂に明日、ビッグダディ最終章、「最愛のオンナと別れ、家族と新たな道を見つけて幸せになるんだよ、俺たちプロですから」がテレビ朝日系列の電波で全国超拡大ロードショーされます。

 ビッグダディの応援掲示板は、ファンのビッグダディ終了に伴って阿鼻叫喚が増してきておりますね。

 そんなビッグダディのファンに贈る珠玉の感動家族ドラマがダニエル・デイ=ルイス主演、ジム・シェリダン監督の「父の祈りを」です。(あらすじはこちら)

 「父の祈りを」の原題は「In the name of The Father」で、直訳すると父の名の元にといったところで、神の名の元に正義を追及していくという意味が込められてますね。

 主人公は北アイルランド人のジェリー・コンロンという青年で、父親と上手くいかず遊んでばかりいる放蕩息子。家族との関係がうまくいかない中、主人公はロンドンで遊びほうけます。単なる遊びといっても、ハッキリ言って犯罪なのですが・・・。

 主人公がロンドンに滞在しているタイミングで、パブが爆発し、IRAの仕業と睨んだ警察に無実の罪で逮捕され、自分の無実を証明する為に人生を賭して公権力に戦いを挑んでいくという物語です。原作は1974年のIRAがギルフォード・パブ爆破事件を元に冤罪で逮捕されたジェリー・コンロンの回想記。

 この映画が描く悲劇とは、テロ事件が発生後、放蕩息子であったジェリー・コンロンが、公権力の思惑によって逮捕されるのですが、本人だけではなく家族まで逮捕されてしまい、ジェリー一家の未来が破壊されてしまうことです。

 実際の事件後、テロによる恐怖に対抗する為、英国議会は「テロ防止法」を制定します。警察に、テロが疑われる人間・勢力に対して、非合法な逮捕も容認するというものです。(筆者は事件を詳しく理解しておりませんので、詳しくはウィキでどうぞ)

 実際はIRA弾圧の為に、無差別に北アイルランド人を逮捕しているように描写されており、その被害にあった一人がジェリーコンロンであり、もし彼がテロ発生時にロンドンに滞在していなければ自分だけではなく、家族が逮捕されることはなかったかもしれません。

 テロが発生すると、国民全体が不安になり、見えない恐怖に対して過剰反応を利用して公権力が暴走してしまうことが歴史的に何度も繰り返されています。(最近では、ブッシュ政権の愛国者法で、テロリズムと戦う事を目的とした政府当局の権限が大幅に拡大された例が最も有名かと。)

 結局テロリズムと戦う為の公権力が、法律の制限を超えた権力を得ると、結論ありきの権力発動になる可能性が高く、疑わしきは罰する、関係のない人でも疑わしき人間として見なして、逮捕・弾圧するという悲劇になるのが歴史の常でした。

 ジェリー・コンロンだけではなく、家族等の人まで逮捕された背景としては、英国と北アイルランド(IRA)の対立が過熱し、英国自体が北アイルランド人を敵対視していたと言っても過言ではない。

 本作は、ジェリー・コンロンと父親ジュゼッペ・コンロンの無実を証明する為の戦いであり、最初は父親に対して反発ばかりしていた息子が、父親の毅然とした態度や意志を目にすることで生まれ変わっていく過程に焦点が当てられており、それだけでも感動的です。(実際は父親と息子は、同じ刑務所には収監されておらず、脚色と思われる)。それでも収監された初期は、やっぱり息子ダメダメなんですがw。

 主人公と父親が収監されてから、IRAは犯行声明を出して彼らは無実であると公表し、IRAのメンバーが逮捕され、自分の犯行であると認める。それでも父と息子は解放されず、父親は収監された実行犯の手を借りずに、自力で無実を証明しようと理不尽に立ち向かう。息子は少し更正したように見えて、半分諦めている雰囲気を醸し出す部分が非常に印象的。

 「セールスマンの死」というアーサー・ミラーの名作は、ずっと威張り散らしている父親が、実は大した事がないのではないかと気づいた息子が反発し、最終的に父としての威厳を失い自殺に追い込まれてしまうシナリオでしたが、父親と息子が対立するという構造を、本作も取り入れていますね。父親に対して反発する息子、お互いが心からぶつかっていく中で、息子が父親の偉大さを見出し、父親を超えようとする息子の成長物語。

 主人公が半分諦め燻っている中で、父子の運命を変える決定的な出来事が起きます。それは父親の死です。常に冷静で父親としての威厳を持ち、正義の為に戦い続けた父親。病に倒れ志半ばで死んでしまう。

 父親が病に倒れ、どんどん衰弱していく中で、息子は初めて父親の弱音を聞き、父の死に対する恐怖を感じたのです。いつも威厳を持ち堂々としていた父親が、初めて息子の前で死の恐怖を打ち明けたというシーンは、父子の絆が再生される瞬間でもあります。

 人間誰でも諍いがあります。特に親子は、全く違う環境で育っている事が多く、親の価値観に子が共感できず、反発するというのは誰もが経験していることです。セールスマンの死では、父子の魂のぶつかり合いによって最終的に父親が自殺するが、「父の祈りを」は、父親が病に弱っていく中で父子がお互いを分かり合っていく。

 不当逮捕という試練を乗り越える為に、父親の無念を晴らすために、息子は父親の偉大さを自ら体現しようとする、一種の通過儀礼的映画としての「父に祈りを」

 果たして、ビッグダディは「父の祈りを」で見せた父親の矜持を持ち合わせているのか。ビッグダディの子供達が、これからどう父親に向き合っていくのだろうか。「父の祈りを」を見た方なら、やはりビッグダディに対して否定的な意見を持ってしまうのではないかと思う。

 最後に自分達の無実が証明され、ダニエルがマスコミの前で語る台詞は涙なしでは見れない名シーンです。


 「私は無実だ。私は無実の罪で長い期間収監された。私は、英国の刑務所で無実の父が死んでいくのを見た。しかし、英国政府は未だに私の父が有罪であると主張している。私は、父の無実と、この裁判に関わった人が無実であることが証明されるまで、罪を犯した者に正義の裁きが下るまで、父の名と真実を元に私は戦い続ける。」



 
 これからビッグダディの総集編が放送されるみたいです。ビッグダディファンのみなさん、今すぐレンタルビデオ屋さんにいって、「父の祈りを」を見てください。テレビは消しましょう。悲劇に苛まれる家族の苦しみは、TV局の編集からは見る事はできない。

 予め脚色された感動なら、出来るだけ事実に近い、父子の葛藤と、その葛藤を乗り越える物語の方が共感できるのではないかと思います。

 とりあえずビッグダディは、シガニー・ウィーバーの濡れ場目的で「アイス・ストーム」を見て欲しいデス。

 最後に、この記事においてダニエル・デイ=ルイスの顔がドンっと写ってますが、わざとです。ホモセクシャル的な雰囲気を醸し出していますが、ビッグダディをイメージして載せました。なにか不快な思いをされた方は、予め謝罪致しますので、宜しくお願い致します。


 


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