2013年4月25日木曜日

宗教的対立に和解はありえないのか「アメリカン・ヒストリーX」

 ボストンの爆弾テロ事件、犯人が捕まってからいくつか供述をしているようですね。二人兄弟のうち、兄は射殺され、拘束された後の弟はベッドのベッドの上で供述しているようで、「兄はテロの首謀者で、イスラム世界を守りたかっただけなんだ」とCNNが明らかにした。

 この事件から、アメリカンヒストリーXという映画における主人公とその弟を思い出しました。

 トニー・ケイ監督、エドワード・ノートンやターミネーター2で少年時代のジョン・コナーを演じたエドワード・ファーロングが演じており、白人至上主義に傾倒する兄弟の心理的な危うさと葛藤、その悲劇を描き出した作品です。

 兄弟は白人至上主義に傾倒し黒人を憎んでいます。エドワード・ノートンはクルマ泥棒を働いた黒人を見つけ、容赦なく殺害し逮捕されます。なぜ黒人を憎んでいるのか。それは、アメリカの典型的な中流階級だった一家で、ある日父親が黒人に殺されてしまい、黒人に対する抑えきれようもない憎悪と、愛する父を失った事による喪失感から、ネオナチ組織に出会ってしまい、過激なキリスト教軍団に入ってしまったからです。

 愛する父親を失った後、心の中が空っぽになり、自分の居場所をネオナチ組織に求めてしまったのが悲劇の始まりでした。兄が逮捕された後、ファーロング扮する弟が兄が所属していたネオナチ組織に居場所を求めてしまうのです。

 愛する人を失って、心の中が空っぽになり、その空虚を埋めるために新たな居場所を求めてしまった兄弟の悲劇でもあります。ボストンのテロを実行した兄弟も、もしかしたらアメリカン・ヒストリーXで描かれた兄弟と似ているかもしれません。
 
 人は、希望無しには生きられない。自分の居場所を見いだせなければ、新たな居場所を見つけようとする。それが、ボストンのテロ事件を起こした兄弟にとって、イスラム教(もしくは、過激なイスラム教の思想を説く組織か?)だったのかもしれない。新たな居場所を見つける事によって、人は生き甲斐を見つける。その居場所を守る為なら、手段を選ばなくなる。洗脳といっても過言ではなく、まともな理性を失っていたことは間違いありません。

 「イスラム世界を守る為にテロを実行した」という動機に、理性も論理も存在しない。なぜなら、ボストンのテロ事件で犠牲になった人は、アメリカの中東政策と関係ない人で、イラク戦争に対する復讐なら、ブッシュ政権と裏で繋がっていた企業に対してテロを起こした方が自然な動機です。(テロを推奨しているわけでも、アメリカの責任ともいうつもりはありません。)

 また中東におけるテロは、タリバンやアルカイダ等、イスラム教の教義を歪めて解釈し、仕事がなく貧しい人々を洗脳して実行させているので、イスラム世界の敵がアメリカにいるわけではない。それでも、ボストンのテロ事件を強硬してしまった。イスラム世界を守る為に、本当にやるべき事は何か考える事すら出来なかったと思われる。

 アメリカンヒストリーXで描かれた兄弟と、ボストンのテロ事件を起こした兄弟に共通点を感じるのです。自分が信じる正義の為に、人を殺めてしまったという悲しい悲劇。その正義が、人を殺してまで、やるべき事だったのか。

 ネタバレになりますが、アメリカン・ヒストリーXにおいて最後に、黒人の報復として弟が殺されます。ボストンのテロ事件は、兄が射殺され弟が生き残った状態で拘束されました。映画と現実は違いますが、何か不思議な縁を感じるのです。

 エドワード・ノートンは「ラリー・フリント」で、ポルノ雑誌ハスラーの創刊者であるラリー・フリントとキリスト教福音派のジェリー・ファルウェルと裁判において、フリントの弁護士として戦ったり、ファイト・クラブでは、元々エリートビジネスマンが、自分の化身(理想像?)と幻想で交わることで、ファイトクラブを作って、金とクレジットカードにコントロールされた人間の本能を取り戻すために殴り合い友愛会を作るのですが、いつのまにか狂気のカルト集団(テロ組織)になってしまい、全米の都市にテロを起こそうという・・・。狂気性に気づいたエドワード・ノートンは、テロを阻止しようとするのですが、自身の化身と戦いつつ、最後にはビルが爆破される瞬間を眺めているという映画でした。

 エドワード・ノートンはエール大学卒のインテリで歴史学を学んでいたそうで、歴史に宗教がどのように関わってきたのかを映画における映画で体現しているのではないか(筆者の解釈)。

 「アメリカン・ヒストリーX」はネオナチと白人至上主義に傾倒するが、足を洗おうとして更正する中で最終的に弟を殺されたしまった男、「ファイトクラブ」では、ビジネスマンが自分の別人格と出会うことで、殴り合い友愛会に傾倒してしまい、最終的にビル爆弾テロに加担している事になってしまい、最後に別人格を克服したが、爆弾テロを阻止出来なかった男(傍観?)。

 「ラリー・フリント」は、ポルノ雑誌ハスラーの創刊者ラリー・フリントの弁護士としてジェリー・ファルウェルに戦いを挑む弁護士と、宗教やカルト的集団に関わったり、宗教勢力と戦う男を演じてたりと、エドワード・ノートンは1990年代の社会派ドラマによく出てたんですよね。

 一般人が何らかの機会(愛する人を失った、自分の居場所がない等)で、宗教や過激な思想を持つ集団に傾倒すると、人間性がどのように変わっていくかを知る上で、エドワード・ノートン出演作品を観ると、宗教とは何かを考えるきっかけになると思います。

 アメリカ社会における宗教のあり方、過激な思想を持った集団に傾倒してしまった人達について、「アメリカン・ヒストリーX」は白人と黒人の人種間対立だけでなく、多宗教との衝突を暗示していたのかもしれない。

 この記事は、個人の推察を元に書いておりますので、極力偏見や個人の倫理観を排除するよう配慮しておりますが不快な気持ちになられた方は、予め謝罪致します。
 

 

0 件のコメント:

コメントを投稿