2013年4月24日水曜日

スピルバーグのリンカーンから政治的比喩を読み取る。

 スピルバーグの最新作リンカーンが公開されて、映画ファンの解説や感想等、リンカーンに対して様々な感想がアップされつつありますね。賛否両論で、ダニエル・デイ=ルイスの神懸かり的な演技に対する称賛や、アメリカ史についての解説等、様々な評論がありますので、それらとは違ったリンカーンに対する解釈をしたいと思います。リンカーンから読み取れる政治的比喩について探ってみたいと思います。

 リンカーンは、映画の大半が修正憲法13条を可決させるための政治的取引に焦点が当てられており、アメリカ史に詳しくない人にはピンとこない映画なのですが、アメリカ史よりも、映画の製作者から読み取れる政治的比喩が分かれば、もっとリンカーンが面白く思えると思います。


 このインタビューでは、スピルバーグとダニエル・デイ=ルイスとマーク・ハリスがインタビューしています。序盤にマーク・ハリスが言うのは、私はジャーナリストで、リンカーンの脚本を担当したトニークシュナーが夫であり、私自身歴史上と映画のリンカーンのファンであると言ってます。

 脚本のトニー・クシュナー(ユダヤ系アメリカ人)は同性愛者で、インタビュアーのマーク・ハリスと結婚しているのです。映画版リンカーンは、ここが一つ政治的比喩を読み解くポイントだと思います。

 スピルバーグとトニー・クシュナーがタッグを組んで作った映画と言えば「ミュンヘン」です。ミュンヘン・オリンピックでイスラエル人選手がアラブのテロリストに誘拐され、最終的にテロリストと選手全員死亡してしまい、その報復の為にイスラエルの諜報機関モサドが強行的に報復に出て、その報復に関わったメンバーの苦悩や葛藤を描き出す人間ドラマでした。

 この映画が、イスラエルを批判するだけでなく、イラク戦争を強行したブッシュ政権に対する批判であることは最後のシーンで分かります。ブッシュ政権における共和党は、キリスト教福音派の支持を得てイラク戦争後の大統領選にも勝利しているのですが、政争の具として利用したのが同性愛や中絶ですね。憲法で同性愛や中絶を禁止して、キリスト教の価値観を国家の根幹に反映させようとしていたのです。

 従って、ミュンヘンが批判するものは、イスラエルの横暴、ブッシュ政権のイラク戦争が表向きには読み取れるのですが、トニー・クシュナーのセクシャリティを考慮すると、同性愛者や中絶を憲法で禁止しようとしていたキリスト教福音派に対する批判も読み取れるのではないかと思います。

 スピルバーグとトニー・クシュナーがタッグを組んだ映画は、どうしても共和党批判的な内容になってしまうのは避けられないの面があります。リンカーンで描かれた修正憲法13条を可決するために行われた政治的取引は、現在の民主党政権と野党の共和党との関係性を直接的に暗示していますが、黒人奴隷は、現代におけるセクシャルマイノリティや宗教的少数派に対する差別の象徴と読み取れるのではないか。黒人奴隷制廃止の為に命を懸けたリンカーンは、最近の人物で例えると自身が同性愛者であり、少数派の地位向上の為に尽力したサンフランシスコ市議のハーヴェイ・ミルクに近い。

 議会におけるサッディアス・スティーブンスと民主党議員のやり取りは、アメリカにおける少数派が差別されている状況の象徴で、「神は、黒人を白人と同等として作ったわけではない」と民主党議員が神の論理を利用して黒人奴隷制を擁護するのですが、キリスト教が黒人(少数派)の差別の根拠として利用されるアメリカ社会に対する批判であり、少数派の怒りの象徴と思える。


 
 映画の中で、サッディアス・スティーブンスが頑固親父として、「全ての人間は憲法によって平等と定められている。」と議会で民主党議員に主張すると、民主党議員が大激怒するのですが、これは同性愛の地位を向上させようと言うと、神に対する冒涜だと怒り狂うキリスト教福音派のような現状を類推させますね。個人的な解釈では、サッディアス・スティーブンスの描写は、ブッシュ政権において強引にキリスト教的価値観を国家に浸透させようとした事に対する皮肉かと。南北戦争の時には、黒人奴隷を解放し、白人と黒人の権利を同等にしようとする議員が共和党にいたのに、現代の共和党は一体どうなっているんだ?ということでしょうか。

 歴史的にみれば、アメリカにおける黒人は、アフリカから労働力確保の為に連れて来られたので黒人が差別されてしまうのでしょうが、アメリカが黒人に乗っ取られるというのは、ちょっと理解しづらいのですがね・・・。

 以上、リンカーンから読み取れる政治的比喩をまとめると以下の通り(個人的解釈)

 ①現代のアメリカ政治における、上院は民主党、下院は共和党が過半数を支配し、政権政党である民主党の政策を反対し続ける共和党に対する批判。

 ②南北戦争では、共和党に黒人奴隷制度を廃止しようと命を懸けた偉大な男であるリンカーン(オバマ大統領?)、民主党議員に「黒人と白人の権利は平等である」と声高に言い放ったサッディアス・スティーブンス(ジョン・マケイン?、イラク戦争に反対した共和党議員?)が所属していたのに、現在の共和党は一体どうなっているのか。共和党議員は、リンカーンやスティーブンスの理念を忘れたのかという批判・皮肉。

 ③黒人奴隷解放は、現代のマイノリティーに対する差別の象徴。キリスト教の教義が、その差別に利用されている現状を、そのまま議会シーンで描写。

 ④政治家は、それぞれ理想を持っている。こういう社会を実現したいという志を持つことは大事であるが、理想ありきではダメなのだ。キリスト教的価値観を理想とする人たちは、その理想を追求すると、同性愛者等に対して結果的に迫害してしまう。逆に、どれほど理想が正しくても、実現出来なければ意味がない。サッディアス・スティーブンスが議会で主張した「黒人と白人は同等である」という頑固な意志が、民主党議員の大反発を呼んでしまい、結果的に修正憲法13条を可決するための障害になってしまった。

 ⑤現代の政治家に必要な能力は、扇動力ではなく、敵対勢力に対する妥協を引き出せる現実的な交渉力なのではないか。交渉において多少法律に違反する行為を行っても、目的が正しければ、その行為を後世が正当化するのではないか。

 上記の解釈は筆者独自のモノなので、参考までにお願いします。リンカーンは、アメリカの政治や歴史を知らないと非常に難しい映画であるので、ハーヴェイ・ミルクを映画化した「ミルク」のように少数派の地位向上に尽力した男達の歴史的ドキュメンタリーとして見ると、違った楽しみが出来るのではないかと思います。

 トニー・クシュナー脚本の「エンジェルス・イン・アメリカ」を見れば、「リンカーン」を表面とは違う楽しみ方が出来るかもしれません。

 「リンカーン」を見て、日本に必要なのはサッチャリズムであり、日本再生の為に必要だと思う人は勘違いだと思います(そんな人いないと思いますけど)。「エンジェルス・イン・アメリカ」の舞台は、レーガン政権において、同性愛者が差別されていた現状を描き出すもので、古き良き時代に対するノスタルジー批判に近い。

 サッチャー逝去に合わせて、「リンカーン」を都合よく解釈しないで頂ければと思います。「リンカーン」を解釈する場合は、サッチャリズムより、少数派に対する差別に戦ったリーダーという解釈の方が自然です。

  オバマ大統領の役割は、南北戦争におけるリンカーンと同じです。すなわち、格差やキリスト教(ブルーステイツとレッドステイツ)によって分断されたアメリカ社会を再統合すること。オバマ大統領の第一期大統領就任演説で、リンカーンが使用した聖書を使った事は有名です。そして、第二期大統領就任演説では、同性愛者の地位向上について言及しました。

 「リンカーン」は民主党政権のプロパガンダ映画なのでしょうかね。D・W・グリフィスの国民の創生から、時代は変わったと実感します。

 

 ※「リンカーン」がアカデミー作品賞を取れなかった理由は、「ミュンヘン」でユダヤ系のスピルバーグ自身が、ユダヤを裏切ったと批判された影響があるのかもしれません。アカデミー賞を投票するのはユダヤ系の人も多いですから、絶対スピルバーグには投票しないと考えているハリウッド会員も存在するかもしれませんね。こんな評論もありますし・・・。



 「リンカーンは汚い政治家だ。目的が正しければ、汚い事をやってもいいだって?。政治家はみんな自分の行動が正しいと思ってるけど、全て間違っているからね。」

 ブッシュ政権のおいて不正が暴露された共和党議員に対する怒りでしょうか。リンカーンって、私利のために汚職に走る政治家の象徴じゃないのって解釈も出来ますね・・・。

 これはある意味、インセプション現象だ。映画で描かれている事は、製作者側の意図が反映されているから、実在の歴史を再現しても参考にならないよ。だって、本当じゃないかもしれないから。

  もう、これ以上は「リンカーン」を見た方の判断にお任せいたします。



追記:日本も、これから憲法を変えようとする動きが激しくなってきましたが、憲法を変える事がどれほど困難なのかという見方で「リンカーン」を見ると、より違う楽しみ方が出来ると思います。
本来憲法は権力に対して制約を課すものなので、リンカーンが苦心して修正憲法13条を可決させるプロセスこそが、民主主義の象徴かもしれません。ただし、憲法を変えるだけじゃなく、国益を守るために憲法を守ることも民主主義の象徴です。憲法とは何か、それを考える良い機会となる映画だと思います。

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